日常
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はるか、ごめん。
その一言が、毎朝、目覚めと共に喉の奥から滲み出てくる。
夢の中で会ったわけじゃない。昨日も思い出したわけじゃない。
ただ、それはもう、呼吸みたいなものだった。
僕の名前は、佐藤舞太夫。
一歩も外に出ず、ゲームとアニメと共に過ごす、いわゆる“引きこもりオタク”だ。
身長175センチ、体重120キロ。メガネ。もっさり髪。
いろいろ言いたいことはあるだろうけど、まず言っておく。
――僕は、幸せだ。
カーテンは閉めっぱなし。
机には山積みのペットボトルとカップ麺の残骸。
パソコンの画面には、昨夜までプレイしていた美少女育成RPGが光ってる。
天国だ。いや、もはや楽園。
「兄さん、また布団の中でスマホゲームしてるでしょ」
部屋のドア越しに、弟の優翔の声が響いた。
こいつは僕と正反対。スポーツ万能、成績優秀、そしてめちゃくちゃイケメン。
おまけに性格もいいという、もはや神のチートキャラ。
でも、そんな彼が僕に嫉妬する唯一の点――
「兄さんって、なんか人生楽しそうだよな」
……うん、それは否定できない。
「陽菜が迎えに来てるよ」
「……無視してて」
「めちゃくちゃノックしてるけど」
「聞こえないふりしてて」
ドアの向こうでは、幼馴染の陽菜がガンガンにドアを叩いてる。
「開けなさい!ブタオーッ!今日こそ外に連れ出すからね!!」
声がでかい。足音もうるさい。圧がすごい。
でも、なんか……嫌いじゃない。
バンッ!
「勝手に開けるわよ!!」
勢いよくドアが開いて、陽菜が土足(※気持ち的に)で部屋に踏み込んでくる。
「うっわ……くっさ。なにこれ、カップ麺の墓場?布団と机の境界線がないってどういうこと!?」
「お前な、朝からうるせえぞ……」
「ほら!今日こそ出かけるよ!駅前のアニメイトまでくらいなら行けるでしょ!」
「え、それ俺が一番行きたいやつじゃん」
「じゃあ着替えて!」
「行かないけどな」
「うるっさい!!」
部屋の外から、父の低い声が飛んできた。
「陽菜、騒がしいぞ。隣に響く」
「すみません、信義さん!でも舞太夫が――」
「“また”じゃなくて、“いつも通り”だろ」
「……さすがです」
父・信義は、少ない言葉で核心を突くタイプだ。
厳しくはない。むしろ放任主義。でも、家族の誰よりも僕のことを見ている。
「舞太夫、朝飯食ってけ」
「……もう食った」
「うそつけ。昨日のゴミ、優翔から聞いた」
「アイツほんとチクるよな……」
「兄さん、自分の足音でバレてるんだよ」
「お前な、そういうとこ冷静でイラつくんだよ」
リビングから、今度は母の声。
「舞太夫~、わかめと豆腐のお味噌汁、どっちがいい?」
「わかめ」
「じゃあ豆腐ね~」
「聞いた意味とは?」
母・美月は、家族の太陽みたいな人だ。
美人で優しくて、天然で、たまに怖い。
僕の引きこもり生活を肯定するわけじゃないけど、否定もしてこない。
食卓には、陽菜と優翔と僕。
そこに父と母が加わって、なんとなく家族の形が整う。
どこにでもある、ちょっと賑やかな朝ごはん。
――はずなのに、
僕の中には、いつも“ある言葉”がくすぶっている。
「はるか、ごめん。」
それは、朝ごはんの味をほんの少しだけ苦くする。
そして今日も、変わらない日常が始まる。