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イベリスの鎖  作者: Amit Tsu
第1部 再会の渇望 
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思い出の中のえり


 授業が終わった午後、勝は中庭に面したベンチから“星見えり”を見つめていた。


 彼女は三人の男女に囲まれていた。その中心で、明るく笑っている。


 女子二人、男子一人。いずれも学部も学年も同じ、新入生グループ。


「えり、今度のゼミ飲み、来るよな?」


「え〜どうしよ〜。うち、アルコール弱いんだよね〜」


「俺が介抱してやるよ、冗談冗談!」


 男子が軽口を叩き、女子が笑い声を上げる。その一連のやり取りを、勝は遠くから無言で見ていた。


 “違う”。

 その一言が、心の中で静かに弾ける。


 中学の頃の彼女は、こんな風に目立つタイプじゃなかった。

 人をいじったり、場を引っ張ったりするような振る舞いは、彼女の中に存在しなかったはずだ。

 もっと物静かで、誰よりも礼儀正しくて、ふわりと微笑むだけの子だった。


「……大学デビュー、ってやつだよ」


 勝は呟くようにそう言った。

 でも、その言葉は言い訳にしか聞こえなかった。


 ただ一つ確かなのは、彼女の周囲にいる“ノイズ”が、耐えがたいほど耳障りだということだった。


「全部、消えればいいのに……」


 誰に聞かせるでもなく、勝は呟いた。


 *


 高校二年のある日――。


 塩見りえは、学校帰りに乗った電車の中で“彼女”を見かけた。


 星見えり。中学時代、勝がずっと恋をしていた相手。


 りえの乗った車両のひとつ向こう。違う高校の制服を着た彼女が、男子生徒と一緒に座っていた。


 男子がえりの髪に何かを取ってやる仕草を見せ、えりは少し照れたように笑っていた。


 それは、とても自然なやり取りだった。

 日常のひとコマ。誰にでもあるような、でもりえにとっては一生忘れられない光景。


 りえは車窓のガラスに映る自分を見た。


 無表情。疲れた目。制服は乱れていないけれど、どこか地味で陰気。


 “勝が見ているのは、あの子なんだ”


 そう思ったとき、喉の奥から何かがこみ上げてきた。


 悔しさでも、悲しさでもなかった。


 ただひたすらに、自分という存在が「透明」だと知らされた気がした。


「……変わらなきゃ、私はずっと、影のままなんだ」


 その夜、りえは初めて自分のお小遣いで化粧品を買った。

 勝が好きな色、勝が可愛いと言っていた髪型、ファッション雑誌を何時間も読み漁って、鏡の前で笑顔を作る練習をした。


 全部、勝の隣に“立つ”ため。

 でもその隣には、常に「星見えりの幻」がいた。


 *


 キャンパス。夕暮れ。


「一色くーん!」


 えりの声に、勝は振り向く。


 さっきまでいたグループから離れて、一人で歩いてきた彼女の姿に、胸が高鳴る。


「こんなとこで何してたの?」


「……いや、ちょっと。風が気持ちいいなって思って」


「ふーん、詩人っぽいね?」


 無邪気な笑顔。だが、その“無邪気さ”に勝は釘を刺される。


 ――やっぱり違う。


 中学の彼女は、こういう無遠慮なからかい方はしなかった。

 言葉の選び方ひとつ、表情の作り方ひとつ、全てが微妙にズレている。


「えり……、さ。中学のとき、甘いの苦手だったよね?」


「え?」


 彼女が瞬時に目を泳がせる。だが、すぐに笑顔に戻った。


「あ〜、そうだったっけ? 私、舌バカだからな〜。昔のことって、すぐ忘れちゃう」


「……そうか」


 小さな違和感は、次第に綻びを生んでいく。


 勝の記憶の中の“星見えり”と、目の前の彼女。

 その違いが、彼の心に深く潜んでいた“疑念”を呼び覚ます。


 ――もしかして、これは、俺の“えり”じゃない?


 そう思いかけて、勝は首を振った。


 違う。それはおかしい。目の前の彼女は“星見えり”だ。間違いない。


 彼女を得るために、俺はどれほどの努力をしてきたと思ってる?


 この手で手に入れたんだ。なら――


 あとは、邪魔なものを排除するだけだ。


 あの男子、あの女子、そして……彼女の周囲を囲む全ての“ノイズ”。


 静かに、静かに。

 勝の中で、鎖の音が鳴り始めていた。


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