思い出の中のえり
授業が終わった午後、勝は中庭に面したベンチから“星見えり”を見つめていた。
彼女は三人の男女に囲まれていた。その中心で、明るく笑っている。
女子二人、男子一人。いずれも学部も学年も同じ、新入生グループ。
「えり、今度のゼミ飲み、来るよな?」
「え〜どうしよ〜。うち、アルコール弱いんだよね〜」
「俺が介抱してやるよ、冗談冗談!」
男子が軽口を叩き、女子が笑い声を上げる。その一連のやり取りを、勝は遠くから無言で見ていた。
“違う”。
その一言が、心の中で静かに弾ける。
中学の頃の彼女は、こんな風に目立つタイプじゃなかった。
人をいじったり、場を引っ張ったりするような振る舞いは、彼女の中に存在しなかったはずだ。
もっと物静かで、誰よりも礼儀正しくて、ふわりと微笑むだけの子だった。
「……大学デビュー、ってやつだよ」
勝は呟くようにそう言った。
でも、その言葉は言い訳にしか聞こえなかった。
ただ一つ確かなのは、彼女の周囲にいる“ノイズ”が、耐えがたいほど耳障りだということだった。
「全部、消えればいいのに……」
誰に聞かせるでもなく、勝は呟いた。
*
高校二年のある日――。
塩見りえは、学校帰りに乗った電車の中で“彼女”を見かけた。
星見えり。中学時代、勝がずっと恋をしていた相手。
りえの乗った車両のひとつ向こう。違う高校の制服を着た彼女が、男子生徒と一緒に座っていた。
男子がえりの髪に何かを取ってやる仕草を見せ、えりは少し照れたように笑っていた。
それは、とても自然なやり取りだった。
日常のひとコマ。誰にでもあるような、でもりえにとっては一生忘れられない光景。
りえは車窓のガラスに映る自分を見た。
無表情。疲れた目。制服は乱れていないけれど、どこか地味で陰気。
“勝が見ているのは、あの子なんだ”
そう思ったとき、喉の奥から何かがこみ上げてきた。
悔しさでも、悲しさでもなかった。
ただひたすらに、自分という存在が「透明」だと知らされた気がした。
「……変わらなきゃ、私はずっと、影のままなんだ」
その夜、りえは初めて自分のお小遣いで化粧品を買った。
勝が好きな色、勝が可愛いと言っていた髪型、ファッション雑誌を何時間も読み漁って、鏡の前で笑顔を作る練習をした。
全部、勝の隣に“立つ”ため。
でもその隣には、常に「星見えりの幻」がいた。
*
キャンパス。夕暮れ。
「一色くーん!」
えりの声に、勝は振り向く。
さっきまでいたグループから離れて、一人で歩いてきた彼女の姿に、胸が高鳴る。
「こんなとこで何してたの?」
「……いや、ちょっと。風が気持ちいいなって思って」
「ふーん、詩人っぽいね?」
無邪気な笑顔。だが、その“無邪気さ”に勝は釘を刺される。
――やっぱり違う。
中学の彼女は、こういう無遠慮なからかい方はしなかった。
言葉の選び方ひとつ、表情の作り方ひとつ、全てが微妙にズレている。
「えり……、さ。中学のとき、甘いの苦手だったよね?」
「え?」
彼女が瞬時に目を泳がせる。だが、すぐに笑顔に戻った。
「あ〜、そうだったっけ? 私、舌バカだからな〜。昔のことって、すぐ忘れちゃう」
「……そうか」
小さな違和感は、次第に綻びを生んでいく。
勝の記憶の中の“星見えり”と、目の前の彼女。
その違いが、彼の心に深く潜んでいた“疑念”を呼び覚ます。
――もしかして、これは、俺の“えり”じゃない?
そう思いかけて、勝は首を振った。
違う。それはおかしい。目の前の彼女は“星見えり”だ。間違いない。
彼女を得るために、俺はどれほどの努力をしてきたと思ってる?
この手で手に入れたんだ。なら――
あとは、邪魔なものを排除するだけだ。
あの男子、あの女子、そして……彼女の周囲を囲む全ての“ノイズ”。
静かに、静かに。
勝の中で、鎖の音が鳴り始めていた。




