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春を知らないイベリス
誰もいない庭に、白い花が咲いている。
細く、か弱く、けれどどこか誇り高く。まるで、誰かの記憶を忘れまいとするように。
それは“イベリス”――「心を惹きつける」「甘い誘惑」「初恋の思い出」という花言葉を持つ花。
誰も気に留めないようなその花のそばに、ある日、一通の手紙が風に揺れていた。
《君が見た世界が幻でも、私は信じたい。あれは、確かに“愛”だったと。
そして、私はもう、鍵を閉じたまま進むよ。君が愛した“私”としてではなく、
本当の私として、生きていく。》
手紙には署名はなかった。
けれど、イベリスのそばには、かつて誰かの胸で輝いていた、ひとつのペンダントがそっと置かれていた。
それはもう、何も開けない。ただ、記憶を閉じ込めたまま、そこにあるだけ。
――春を知らずに咲くイベリスのように。




