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イベリスの記憶
白い花を、最初に見たのはいつだっただろう。
たぶん、中学生のとき。
通学路の途中、古びたフェンス越しに、小さな庭があった。
そこに、ひっそりと咲いていた。
人の目に触れることのない、名も知らぬ白い花。
見た瞬間、なぜだか、泣きたくなった。
うれしくもないのに、悲しくもないのに、
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるようだった。
あの日、誰かに声をかけられた。
「それ、イベリスっていうんだよ」
やさしい声だった。
それから私は、その人のことをずっと考えるようになった。
笑った顔。
泣きそうな顔。
一緒に歩いた放課後の道。
ふたりで撮った写真のこと。
小さなペンダントの重み。
やがてその人は、私のすべてになった。
……でも、それが“誰”だったのか、思い出せない。
名前も、顔も、声も。
なにひとつ、確かには思い出せない。
だけど、たしかに私は、
あのとき――
恋をした。
(ここで、ページが破れている)




