表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イベリスの鎖  作者: Amit Tsu
第3部 暴かれる愛
24/33


雨が、まだ降っていた。

止むことを忘れたように、ただ冷たく、ただ静かに。

りえの前に立つ勝の目は、もはや彼女を見ていなかった。


「……全部、お前のせいだ」


掠れた声だった。

けれど、次の瞬間、喉の奥からせり上がるような怒号が、雨音を裂いた。


「お前が全部……奪ったんだ!」


その声は、幼さすら滲ませていた。

愛して、信じて、寄りかかって――その末に裏切られた少年の叫びだった。


「“えり”も……記憶も……俺の気持ちも、お前が……!」


言葉の途中で、勝の手がポケットへと潜った。

見慣れない黒い金属が、濡れた空気の中で不穏な光を放つ。


折りたたみナイフ。


刃が展開される音が、やけに大きく響いた。

りえの目は、刃ではなく、そのナイフを握る勝の手を見つめていた。


それは、震えていた。

怒りではない。憎しみでもない。

それは、恐怖と、自責と、どうしようもない喪失の震えだった。


「……勝くん」


りえは、そっと胸元に手を伸ばした。

ペンダントを握りしめる。

鍵の形をしたそれの先端は、月を失った空のように鈍く光っていた。


「これが……“本当の私”だよ」


彼女の声は、もう震えていなかった。

その瞳には、たしかな覚悟が宿っていた。

勝の怒りも、絶望も、迷いも――全てを受け止めようとするように。


しかし勝は、それを拒絶するかのように叫んだ。


「違う……違うっ!お前なんか知らない!俺は、“えり”が――!」


その言葉に、りえの瞳が微かに揺れた。

口元が、哀しげに歪む。


「そうだよね……勝くんは、えりしか見てなかった」


彼女の指が、ペンダントを強く握った。

そして、次の瞬間――


「でも、勝くんに……そんなこと、させたくなかったの」


一歩。

もう一歩。

りえは、勝へと歩み寄る。

雨が、二人の距離を打つように落ちてくる。


勝が刃を振り上げかけた、その刹那。


りえはその胸元から、鍵のペンダントを引き抜いた。

そして――その鋭利な先端を、迷いなく、勝の首元へ突き立てた。


鋭く、小さな音。

だが、その直後に起きたことは、あまりにも大きすぎた。


ぴしゃり、と。

雨粒と同じ音がして、勝の首から、赤が噴き出した。

それは瞬く間に彼のシャツを染め、りえの腕を濡らし、服の袖から彼女の胸元へ、頬へ、滴っていった。


鮮烈な赤。


あのとき、血はペンダントにしか付着しなかった。

彼女の手も、服も、なにも濡れなかった。

りえは、それを「奇跡」だと思った。

えりがすべてを許して、彼女の中に溶けていったのだと、思い込むようにした。


だが、今は違う。


「……っ……!」


勝が崩れ落ちるように、りえの肩へ寄りかかる。

りえはその体を、しっかりと受け止めた。

勝の重み。体温。痛み。流れる血。


どれも、現実だった。

抗いようのない、現実だった。


「これでよかったんだよね……勝くん」


呟く声は、雨に溶けそうだった。

その目からは、次から次へと涙があふれていた。

震える肩。濡れた髪。血に染まった腕。


りえは、そのすべてを、受け入れていた。


「これで……“えり”は、勝くんの中で、綺麗なまま終われるよ……」


抱きしめる力が、少しだけ強くなった。

指先が、未だぬくもりを宿すその身体に、最後の祈りを込めるように。


そして――


りえは、それを「罰」だと思った。


彼のために犯した罪。

彼のために壊した心。

彼のために選んだ終わり。


そのすべてが、自らに返ってくるような痛みだった。


だからこそ、それは、罰だった。


誰にも赦されない、ふたりだけの罰。

愛ゆえの、終わらせ方だった。


――雨は、まだ、降り続いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ