表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イベリスの鎖  作者: Amit Tsu
第3部 暴かれる愛
23/33

沈む星


 涙に濡れた頬を隠すように、彼女──いや、“りえ”は顔を伏せていた。


 勝の視線は、その肩の震えに釘付けだった。見えているはずのものが、わからなくなる。目の前にいるのは確かに「星見えり」で──それなのに、脳裏には、別の名前がこだまする。


 塩見りえ。


 あの名前が、忘れかけていた記憶の断片とともに、じわじわと輪郭を取り戻していく。


 「……なんで、泣いてるんだよ」


 震える声が、宙に溶けた。


 問いは答えを求めていたのではない。誰よりも、自分自身に投げかけていた。

 目の前の少女の涙は、あまりにも“本物”で、壊れそうで、苦しくなるほど綺麗だった。


 だがその美しさこそが、恐ろしかった。

 自分がこれまで信じてきたすべてを、覆そうとしているから。


 「私は……」


 ようやく顔を上げた彼女の瞳には、濡れた星が浮かんでいた。

 その輝きはどこか遠くの夜空を思わせる──手を伸ばせば掴めそうで、なのに届かない。


 「ずっと……あなたの隣にいたかったの。どんな姿でも、どんな名前でもいいって思ってた」


 その声は、えりではなかった。

 けれど、りえでもなかった。


 ──仮面を脱いだ、誰かだった。


 「でも、いくら姿を変えても、心のどこかにいたの。昔の私が……、消えないまま、ずっと」


 彼女はそっと胸元に手を伸ばす。

 勝は無意識に後ずさった。


 カチ、と小さな音がして、細い鎖の先が揺れた。


 ペンダント──金色の、鍵の形をしたそれが、静かに揺れていた。


 「……見て」


 それは、差し出す手ではなく、“差し戻す”ような所作だった。

 まるで「これがすべてだった」と告げるように。


 「これが、私。私の……本当の気持ち。名前じゃなくて、顔でもなくて──あなたを好きだった気持ちだけが、私を私にしてくれたの」


 勝の瞳に映る鍵が、ゆらゆらと揺れる。

 そのたびに、胸の奥がざわつく。


 ──見たことがある。


 けれど、その記憶に触れた瞬間、頭の奥が警鐘を鳴らすように痛んだ。


 「やめろ」


 勝はその言葉を、反射的に吐き出していた。


 「それを、見せるな。言うな。お前は……そんなの、じゃない」


 りえの手が、かすかに震える。

 けれど、彼女は笑った。どこか空っぽな微笑みだった。


 「そうだよね。私も、ずっとそう思ってた。見せたら、壊れちゃうって。だからずっと隠してた」


 勝の胸が、張り裂けそうだった。


 「でもね、勝くん。私の中では、あなたといた日々だけが、夢じゃなかったの。たとえ全部が嘘だったとしても、この鍵がある限り、私の愛は夢じゃない」


 言い終えると、彼女はそっとペンダントを胸に戻した。

 まるで、傷口を押さえるように。


 「私が誰かなんて、どうでもよかった。あなたが、私を見てくれていた。それだけが、すべてだったの」


 その言葉を、勝は受け止めきれなかった。


 彼女が泣いていたことも、笑っていたことも、すべてが「りえ」のものだと認めてしまえば──自分の世界が壊れる。


 「……黙れ」


 声が、掠れていた。


 「……やめてくれ」


 震える手が、自分の髪をかきむしる。

 崩れ落ちそうな自我を、なんとか支えようとしていた。


 彼女はただ、静かに微笑んでいた。


 その微笑みは、救いのようで、呪いのようでもあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ