心の整形
整形外科の待合室は、冷房の風が妙に乾いていた。壁の時計の針が秒を刻むたび、心のどこかを削られていく気がする。
塩見りえは、真新しい問診票を膝に乗せたまま、視線を宙に泳がせていた。名前を書いたのは、手が震えてから少し経ってからだった。
“塩見りえ”
──この名前を、ここで終わらせる。
「整形」なんて言葉は、画面の向こうの世界のものだと思っていた。
けれど、今ここでその手続きのために座っている自分は、確かに現実に存在している。
思えば、自分の顔が嫌いだと思ったことは、一度もなかった。
不細工だとか、地味だとか言われたことは山ほどあったけれど、鏡の中の顔にすら文句をつけられたら、自分という存在の居場所が本当にどこにもなくなってしまう気がして、何度も自分で「これでいい」と言い聞かせていた。
でも。
彼の隣にいたあの子──星見えりは、太陽のようだった。
誰もが振り返るほど華やかで、まっすぐで、優しくて、何より……勝が“恋をした相手”だった。
「……彼にふさわしいのは、私じゃない。だけど……」
でも、私が“えり”になれば──
もしも、この手で“えり”という存在を塗り替えられたなら──
きっと、また笑ってくれる。
もう誰にも邪魔されずに、彼だけを見つめられる。
りえは、そっとペンダントを胸元から引き出した。
小さな金色の鍵。光にかざすと、どこか安っぽく、儚げな光を返してくる。
「この鍵がある限り、私は“りえ”を忘れない」
声に出すと、急に胸がぎゅっと締めつけられた。
整形によって外見は変わっても、この鍵だけは“過去”をつなぎとめるものとして、手放さないと決めていた。
“えり”になることは、自分を偽ることじゃない。
“えり”の顔を借りて、初めて「自分として彼に愛される」ための唯一の方法。
──そして、罪。
そのことを、りえはよく分かっていた。
手術の日程が決まった。
鏡の前で、顔にマーキングされていく自分を、りえはただ見つめていた。
恐怖はなかった。痛みも覚悟していた。
ただひとつ、心の奥底に芽生えていた感情──それは、希望だった。
本当の自分として、もう一度彼の隣に立つ。
“えり”としてでなく、“勝が初めて心を寄せた存在”として、隣に。
そして彼の夢を叶える。
彼の愛を、私が受け止める。
血のにじむような手術とリハビリの果てに、鏡に映った“えり”の顔は、まるで別人のようだった。
けれど、胸にある鍵のペンダントだけが、唯一、彼女の“過去”をつなぐ鎖として、変わらずそこにあった。
その夜、りえはひとり、自室の窓から夜空を見上げて呟いた。
「もうすぐ、会いに行くからね……勝くん」
声は微かに震えた。
けれどその瞳には、決意の炎が静かに燃えていた。
──闇の奥、沈黙の中に、一通の封筒が置かれていた。
星見えりの名前が書かれた、消印のない手紙。
それは、次に語られるべき“嘘”の物語の幕開けだった。




