恋する努力
大学生活が始まってから一週間、勝は毎朝同じ時間のバスに乗るようになっていた。
彼女――星見えりが、同じ時間帯のバスに乗ってくるからだ。
もちろん偶然ではない。初日の帰り道、彼女が誰と帰ってどこで降りたかをさりげなく観察した。翌日、その時間にバス停で待ってみたら、彼女がふわりと現れた。勝は内心、歓喜の咆哮をあげた。
「おはよう、えり」
「あっ、勝くん! おはよう〜!」
笑顔。勝のために向けられたようなその表情に、心が焼けつく。
彼女がそうやって名前を呼んでくれるだけで、生きている価値があると思った。
中学のころは名字で呼ばれていたのに、今は“くん”づけとはいえ、下の名前だ。それだけで勝は、今の自分が「彼女に相応しい存在になれた」と錯覚していた。
「このバス、便利だよね。時間もぴったりだし」
「うん……そうだね。俺もこの時間、好きだよ」
大学生活は始まったばかりで、話題に困ることはなかった。
授業の話、教授の癖、キャンパスの食堂のこと。彼女が語るすべてを、勝は肯定し、共感し、頷き続けた。
彼女にとっての「話しやすい男子」であること。そこから始めるのが、勝の戦略だった。
*
その夜、勝は自室で古いアルバムを開いていた。
高校三年の秋。文化祭の日、校庭で塩見りえとツーショットを撮った一枚がある。
二人で作ったクレープ屋の看板の前、勝の腕には小麦粉の跡がついている。
その時、彼女が言った。
「今の勝、えりちゃんが見たらびっくりすると思うな」
「……そう、かな」
「うん。マジでいい感じになってきてる。服とかも、めっちゃ似合ってるよ。ほら、私が選んだやつだし」
りえはそう言って、照れたように笑った。
勝はその笑顔が好きだった。親友として、支えてくれるその姿に、感謝もしていた。だが、それ以上の感情を持ったことはなかった。
彼にとって彼女は、ただの“戦友”だった。
「もっと、えりちゃんの好みに寄せていこっか。仕草とか、喋り方とか。私、女の子目線でアドバイスするよ」
「ありがとう、りえ。助かるよ、ほんとに」
「ううん……。勝のためだもん」
あのとき、りえがどんな気持ちでその言葉を口にしたのか、勝は気づかなかった。
気づくはずもなかった。なぜなら、彼の目に映っていたのはいつだって、星見えりただ一人だったから。
*
再び現在――。
翌朝、勝は鏡の前で微調整を繰り返していた。
髪の分け目、シャツのボタン、香水の量。昨日、彼女が「今日の服、爽やかだね」と言ってくれたから、それに近いコーディネートを選んでいた。
大学の講義棟に入ると、彼女はすでに友人たちと談笑していた。
「あ、ひいろくん!」
見つけるとすぐに手を振ってくれる。嬉しい。だがその一方で、彼女の隣にいる男子の存在が、どうしようもなく目についた。
髪をかきあげて話す、体育会系の男。笑いながら、えりの肩を軽く叩く仕草。
勝の視界が狭まる。喉が詰まる。
――なんだ、あいつは。
勝は笑顔を作ったまま、ゆっくりと歩み寄る。
「おはよう。昨日のレジュメ、印刷してきたから、もし必要だったら……」
「あっ、ほんと? ありがと〜! 助かるよ!」
えりは素直に喜んでくれた。だが、その横から男が茶化すように声をかける。
「一色、マメだなぁ〜! そういうの、女子にモテるタイプだよな?」
勝は笑って答える。「そんなことないよ」
だが内心では、目の前の男の喉元を引き裂いてやりたい衝動に駆られていた。
――邪魔だ。お前さえいなければ。
そう思ってしまった瞬間、自分の中の何かが、音を立てて軋んだ。
それでも勝は、自分の恋を「純粋な努力」だと信じていた。
誰にも文句を言われる筋合いはない。
中学からずっと、彼女のためだけに生きてきたのだから。
たとえ、彼女が別の男と笑っていても――。
手に入れる。
そのためなら、何を捨ててもいい。




