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イベリスの鎖  作者: Amit Tsu
第1部 再会の渇望 
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恋する努力


 大学生活が始まってから一週間、勝は毎朝同じ時間のバスに乗るようになっていた。


 彼女――星見えりが、同じ時間帯のバスに乗ってくるからだ。


 もちろん偶然ではない。初日の帰り道、彼女が誰と帰ってどこで降りたかをさりげなく観察した。翌日、その時間にバス停で待ってみたら、彼女がふわりと現れた。勝は内心、歓喜の咆哮をあげた。


「おはよう、えり」


「あっ、勝くん! おはよう〜!」


 笑顔。勝のために向けられたようなその表情に、心が焼けつく。


 彼女がそうやって名前を呼んでくれるだけで、生きている価値があると思った。

 中学のころは名字で呼ばれていたのに、今は“くん”づけとはいえ、下の名前だ。それだけで勝は、今の自分が「彼女に相応しい存在になれた」と錯覚していた。


「このバス、便利だよね。時間もぴったりだし」


「うん……そうだね。俺もこの時間、好きだよ」


 大学生活は始まったばかりで、話題に困ることはなかった。

 授業の話、教授の癖、キャンパスの食堂のこと。彼女が語るすべてを、勝は肯定し、共感し、頷き続けた。


 彼女にとっての「話しやすい男子」であること。そこから始めるのが、勝の戦略だった。


 *


 その夜、勝は自室で古いアルバムを開いていた。


 高校三年の秋。文化祭の日、校庭で塩見りえとツーショットを撮った一枚がある。

 二人で作ったクレープ屋の看板の前、勝の腕には小麦粉の跡がついている。

 その時、彼女が言った。


「今の勝、えりちゃんが見たらびっくりすると思うな」


「……そう、かな」


「うん。マジでいい感じになってきてる。服とかも、めっちゃ似合ってるよ。ほら、私が選んだやつだし」


 りえはそう言って、照れたように笑った。

 勝はその笑顔が好きだった。親友として、支えてくれるその姿に、感謝もしていた。だが、それ以上の感情を持ったことはなかった。


 彼にとって彼女は、ただの“戦友”だった。


「もっと、えりちゃんの好みに寄せていこっか。仕草とか、喋り方とか。私、女の子目線でアドバイスするよ」


「ありがとう、りえ。助かるよ、ほんとに」


「ううん……。勝のためだもん」


 あのとき、りえがどんな気持ちでその言葉を口にしたのか、勝は気づかなかった。


 気づくはずもなかった。なぜなら、彼の目に映っていたのはいつだって、星見えりただ一人だったから。


 *


 再び現在――。


 翌朝、勝は鏡の前で微調整を繰り返していた。

 髪の分け目、シャツのボタン、香水の量。昨日、彼女が「今日の服、爽やかだね」と言ってくれたから、それに近いコーディネートを選んでいた。


 大学の講義棟に入ると、彼女はすでに友人たちと談笑していた。


「あ、ひいろくん!」


 見つけるとすぐに手を振ってくれる。嬉しい。だがその一方で、彼女の隣にいる男子の存在が、どうしようもなく目についた。


 髪をかきあげて話す、体育会系の男。笑いながら、えりの肩を軽く叩く仕草。

 勝の視界が狭まる。喉が詰まる。


 ――なんだ、あいつは。


 勝は笑顔を作ったまま、ゆっくりと歩み寄る。


「おはよう。昨日のレジュメ、印刷してきたから、もし必要だったら……」


「あっ、ほんと? ありがと〜! 助かるよ!」


 えりは素直に喜んでくれた。だが、その横から男が茶化すように声をかける。


「一色、マメだなぁ〜! そういうの、女子にモテるタイプだよな?」


 勝は笑って答える。「そんなことないよ」

 だが内心では、目の前の男の喉元を引き裂いてやりたい衝動に駆られていた。


 ――邪魔だ。お前さえいなければ。


 そう思ってしまった瞬間、自分の中の何かが、音を立てて軋んだ。


 それでも勝は、自分の恋を「純粋な努力」だと信じていた。

 誰にも文句を言われる筋合いはない。

 中学からずっと、彼女のためだけに生きてきたのだから。


 たとえ、彼女が別の男と笑っていても――。


 手に入れる。

 そのためなら、何を捨ててもいい。


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