廃嫡された? そりゃそうでしょうよ
アンナは魔法使いである。
魔法使いと言ってもなんかすっごい魔法が使えるとかではない。国を滅ぼせるようなのだとか、人を大勢殺すようなのだとか、そんな物騒な魔法はまず使えない。ちょっとした怪我を治すだとか、お花に水をやるだとか、周囲にパッと水を散らせて天気のいい日に虹を作りだしたりだとか。
使い方次第では誰かを傷つける事ができるのかもしれないが、アンナの性格はどちらかといえば善良であり、困っている人を助ける事もまぁ自分ができる範囲であれば惜しまないタイプだ。
「ですからね、元王子様、もう一回言いますけど、魔法使いと魔女は別物。違います。確かにどっちも魔法は使えるけれど、魔法使いの使う魔法なんて平和的なものばっかりで、貴方のいうようなすっごい魔法とかはまず無理なんですって。
そういうのは魔女の得意技。魔女って見た目は人とおんなじに見えるけど、アレ中身は人外だから。一緒にされても困っちゃいます。向こうが人の振りをするのはできても、こっちが化け物になれるかって言われたら無理だもの。
てか、王族ならそこら辺ちゃんと学んでたと思うんですけど……たまにいるんですよね、人の話きちんと聞かないで間違った方向に勝手に脳内自己完結するタイプ。
元王子様もそれだったから、廃嫡されちゃったんでしょ? 廃嫡される前に矯正されてたならともかく、廃嫡されちゃったらもうどうしようもなかんべよ。
親がマトモな教育してくれてたにも関わらず己の馬鹿さ加減で匙投げられたってだけですもん。
じゃあ後は何が悪いって、自分の頭の悪さを嘆くべきなんじゃないですか?」
「きっ、貴様! 不敬だぞ流石にそれは!」
「えぇ? 不敬って言われてもなぁ。もう廃嫡されて王族だったっていう事実さえ王家からしたら黒歴史扱いされていなかった事にされたいらない子なんだし、現に元王子であって今はもう王子じゃないんだから、不敬にはならないでしょ。むしろ廃嫡されてるのにまだ自分は王子だ王族だ、なんて公言したらそっちの方が……ねぇ? 王家を騙る不届き者扱いになると思いまーす」
アンナはたまたま作ったお薬を届けにきた村の近くで、キラキラした美貌の青年に絡まれていた。
その青年はアンナが言う通り、元王子である。
少し前にやらかして廃嫡された王家の産業廃棄物と言ってもいい。
国外追放とかされててもおかしくはないのだけれど、流石にこんな産廃を他国に追いやるのも迷惑な話なのだろう。他国の人間の立場から見れば確かにとても迷惑。ゴミは各家庭・自治体で処分すべき。
さっさと反省して自分は王家にいながらどうしようもないダメ人間だったと受け入れて平民として慎ましやかに生きていくのであればまだしも、まだ王子様気分が抜けきっていないせいでそこらで今までと同じように尊大な態度でやらかしては追い出され、王都から追いやられた後流れ流れてそこそこ離れた村にたどり着いたのだろう。
王都から離れた場所ならまだ情報がマトモに流れてこなくて、自分が王子だと言えばそれなりに歓待してくれるものだと思い込んでいたのかもしれない。
だがしかし、王都に限った話ではないが魔法使いはアンナだけではないのだ。
世界各地に魔法使いは存在している。
そうして魔法を使って各地で情報のやりとりをしているので、この元王子がやらかして廃嫡された件はとっくに国内に広まっているのだ。
そういうのも、常識だったはずなんだけどなぁ。
この元王子頭の中身スッカスカかよぉ……とアンナは内心で嘆いた。
見た目だけなら誰もが想像しそうな王子様フェイスなのだが、いかんせん中身が伴ってくれない。
ロイヤルファミリーの一員として高度な教育を受けていたはずなのに、それらが何一つとして機能していないとか、こいつに費やした時間も費用も何もかもが無駄だったとなればまぁ、アンナだって嘆きたくもなるし、元王子の家族はもっと嘆いた事だろう。
下手したら市井にいる文字の読み書きもできない子供の方がまだ世の中の道理を弁えているかもしれない。
「とにかくね、あたし、困ってる人を助ける事はあるけど、でもそれって助けるに値する人だけで、助けてもらって当たり前、どころか一度助けたらそのままずるずると人の脛かじりそうな相手に差し伸べる手は持ち合わせてないの。そういうわけだから、じゃーねー!」
「あっ、おい!」
村で尊大な態度で村人たちに迷惑をかけた元王子は間違いなく村から追い出されたのだろう。
そこまでボコボコにされる前に撤退したのは賢いのかもしれない。
賢かったらそもそも追い出されるような失礼な態度を取らない、とか、そもそも廃嫡されない、だとかの突っ込みはあえて無視する。
ただ、それでも他に行く宛てがなかった元王子はどうにかしてここらで世話をしてくれる人を探していたのだろうと思われる。
まぁ見た目はいいし、その見た目にコロッと騙される女性を捕まえることができれば、何日かは食いつなぐ事ができたとは思う。
アンナはお薬を届けに来た際、ちょっとそこの奥様達と話し込んでしまっていた。
お茶とお菓子を出されて持て成され、最近どう? なんて世間話に大輪の花を咲かせていた。
元王子の話も実はちらっと出ていたのだ。その時に。
アンナが来た前の日にやってきて、やれ自分は王子だとのたまって持て成せと言い、村の人間を顎で使おうとしたり、ただ飯にありつこうとしたり、挙句の果てには寝床どころか家を用意しろときたもんだ。
王都なら即座に兵を呼ばれてしまうだろうけど、ちょっと辺鄙な感じの村なら兵士がやってくる事はないと思って侮ったのかもしれない。
確かにここに兵は常駐していないが、村の平和は基本的に村の衆が守っている。
自警団があって、野生動物だとか野盗だとか、そういったものが村を襲いに来たとしてもバッチリ守れる程度には強い。流石に他国から侵略しにやってきた兵士たち相手となると難しいが、逆に言えばそんな事がない限りは兵がいなくてもどうとでもなるのだ。
なのでまぁ、元王子が暴虐の限りを尽くそうとしたところで、当たり前のように返り討ちにあったわけだ。
魔法使いたちによって情報がきちんと届けられたのもあって、単純に顔の良い詐欺師だと思われず一応元王子だと村の人たちにも知られていたからこそ、いきなりぶち殺されたりせずに軽くボコって追い出すだけに留めた。元王子はそこんとこもうちょっと感謝すべきだとアンナは思っている。
ともあれ、世間話に花を咲かせてキャッキャした後、さてそれじゃそろそろ帰るかぁ、となって村の外に出てしばらく行かないうちに元王子に絡まれたのだ。アンナは色んな所にお薬を作って届けたりする事もあるし、その届け先にはお城も含まれていた。もしかしたら、あの元王子はうっすらとアンナの事を記憶の片隅にでも留めていたのかもしれない。だからこそ声をかけられたのだと思う。
そこでアンナも一応元王子には、無理難題吹っ掛けられたけれども魔女と魔法使いは別なので魔女みたいな真似はできないよ、という事と、お前が廃嫡されたのはお前がとことん馬鹿だったからだよ反省しろ、というのを大量のオブラートとともに叩きつけた。オブラートで包むのとか面倒すぎてオブラート越しに正論叩きつけたとも言う。
だがしかしそれでも元王子は納得も理解もしてなさそうだったから、面倒になって箒にまたがり飛んで逃げたのであった。あのままずるずると付き合ってたら、アンナの家にまでくっついてきそうだったし、そのままヒモ生活に突入されかねなかったので。
困っている人を助ける事だってそりゃああるにはあるけれど。
一度手を差し伸べたら最後、骨の髄までしゃぶり尽くしてきそうなタイプに差し伸べる手はないのである。
元王子が廃嫡された原因は、聖女を魔女扱いしたからだ。
もっと言うのなら、婚約者だった聖女を捨てて別の女に乗り換えようとしたのが原因である。
もうこれだけで馬鹿かな? と言ってしまうのも仕方のない事だろう。
聖女と偽り騙したな、この魔女め。
そんな感じで特に何も悪くない婚約者を悪に仕立て上げ、自分は他の女とのうのうと結婚しようと目論んだのであった。ちなみに浮気相手に該当しそうになった令嬢は、別に王子と懇意になっていたわけではない。
平民育ちで自分も平民だと思っていたが、実は父親は貴族の生まれで母とは引き離されてしまってそれでも探しに探していたが、母は病で倒れ……みたいな感じで貴族の家に引き取られて慣れない貴族生活を送っているだけの令嬢だった。
とりあえず権力ある人の機嫌損ねたら大変だから愛想良くしておこ、みたいな感じでにこにこしてたら勝手に元王子が勘違いしただけというアイタタタなオチであった。
単純に婚約破棄を突きつけるくらいであれば、廃嫡まではいかなかったと思われる。
精々が立太子ルートが閉ざされて臣籍降下からの、ちょっと不自由な結婚生活とかそれくらいだったはずだ。
普通に臣籍降下を選んだのならそこそこ自由だったかもしれないが、馬鹿を晒すタイプを普通の臣籍降下でのびのびした生活などさせられるはずもない。婿入り先でまた勘違いして暴走されたら折角受け入れてくれた婿入り先にも迷惑かかるし。
そうなれば王家への忠誠心とかもごっそりなくなるかもしれないのだ。
貴族たちの大半が王家に忠誠誓ってるから王家は王族としてやっていけているのであって、国中の貴族たちから忠誠心が消えた場合待ち受けているのは断頭台である。
元王子が廃嫡されたのは、聖女を魔女に仕立て上げようなんてやらかしたからだ。
それさえなければ、まぁ、ギリ王家の末端みたいな感じで肩身の狭い暮らしは避けられなくても王族のままでいられたはずなのに。
昔、大昔の話である。
かつて魔女がこの国の王族を呪った。
どうして呪ったかまではわからないが、まぁ魔女が気に食わなくて呪ったか、はたまた王家の誰かが魔女に喧嘩売ったかのどちらかだろう。
魔法使いとは比べ物にならないくらい凶悪で物騒で強大な力を持つ魔女ではあるが、彼女たちとて暇ではない。ふと目に映っただけの人間一匹にちょっかいをかけるなんて事はまずない。
目に映った相手がこちらに喧嘩を売ってくるだとか、魔女にとってイラッとさせるような事でもしない限りは魔女だって一々人間の個体識別をしていないので。
ちなみに魔女が気に食わなくて呪ったのと、王家が喧嘩売ったのとは同じではないのか? と思われがちだが内訳が異なる。
喧嘩を売った場合はさておき、魔女が気に食わないと思ったケースは過去の文献からそこそこ残されている。
例えばお気に入りの場所だったのに王家が避暑地にしようとして開発して台無しにされただとか。
これはこの国ではなく別の国の話だ。大体百年程前。
例えば魔女が興味を惹かれて観察していた人間が、たまたま虫の居所の悪かった王族によって殺されてしまっただとか。殺した相手が魔女の観察対象だったなんて王家は勿論知らなかったのでこの場合は喧嘩を売ったとかいう以前の話である。
ちなみにこの話も他の国での話である。二十年前。
基本的に誰かを傷つけたり何かを破壊したりした場合、それが魔女の気に障った結果……みたいなのが大半だ。意図して喧嘩を売らない限りは。
魔女に喧嘩を売ったからとて、必ずしも破滅するわけではないのだがまぁ被害は大きい。
六十年ほど前に魔女に喧嘩を売ったレディ・フラッシュなどはとくに有名である。
己の美貌が自慢だったレディ・フラッシュは魔女相手に張り合って結果魔女の怒りを買った。
艶やかな髪は呪いで見事なまでのツルッパゲ。
それだけなら相手が悪かったんだよ、で慰めもできよう。けれども魔女の呪いはそれだけで終わらなかった。
禿げた事を嘆きながらもレディ・フラッシュがウィッグをかぶればウィッグ越しに輝くツルッパゲ。帽子をかぶっても布越しに輝くツルッパゲ。
普通に禿げを晒すなら輝かないのに隠そうとすればするほど眩く輝くのである。昼の太陽よりもなお眩いとかとんでもねぇ嫌がらせである。
最終的にレディ・フラッシュは禿げを隠そうとすると余計眩しくなるから下手をすると周囲の人間の目が潰れる、との事で王命で禿げを晒し続け隠す事まかりならん、とされてしまったのである。
女性に対して禿げを晒せとは酷な命令だが、しかし元はといえば魔女に喧嘩を売ったレディ・フラッシュに原因があるし、彼女が隠そうとすればするほど眩くなった結果、巻き添えで自分の目が失明するかもしれない勢いで眩しい目に遭うとなれば致し方ない。
レディ・フラッシュの頭の形が綺麗な卵型であったならまだ禿げてもなお美しいライン、とか言えたかもしれなかったが、しかし禿げた事で明らかになったレディ・フラッシュの頭の形は少々不格好であった、と言い伝えられている。
髪の毛があったから今までは完全無欠の美貌だとか言われていたようだが、しかし禿げた途端、その美しさは儚く消えたのであった。
なおレディ・フラッシュというのはこの一件から名付けられた名であり、彼女の本名が何であったかまでは伝えられていない。
――ともあれ。
魔女は基本的に自分に率先して喧嘩を売るような相手には遠慮も何もなく呪ったりするけれど、それ以外の場合はお気に入りの何かを台無しにされた場合にのみ牙をむく。
気に入った人間を観察するにしても、相手に気づかれないようじっと見ているだけなので、誰が魔女のお気に入りかなんて人間にはわかりようがない。
なので、知らず魔女の敵に回るような事をしないためには、誰彼構わず周囲の人間を傷つけるような事はしてはいけない、とこの国の人間は過去に遭った事例と共に教わるのだ。
かつて、この国を呪った魔女は一体何が原因でそうしたのか、そこまでは伝えられていないけれど。
それでも王家の人間が何かをやらかしたのは確かである。
呪ったついでに使い魔経由で呪った事を知らせるまでしたのだ。
恐らくは、一瞬で激怒してこいつら全員皆殺しにしよう、とまでのお怒り度合ではなかったのだと思われる。ただ、それでも気に入らない事に変わりはないのでそこそこ長い間嫌がらせはしておこう、くらいには思っていたのだとも。
呪いによって王家は呪われた。
その呪いをそのままにしておくと、頭痛肩こり片頭痛腰痛膝関節痛とじわじわ痛みがやってきて、日常生活に支障がでまくる。
とはいえ、放置したところで死ぬまではいかなかったらしい。一応過去呪われた者の中であえてと放置し続けどこまで悪化するのかを確認した者がいた。
死にはしないが寝ても起きても立っても座ってもいずれかに不調がやってきて集中力は簡単に途切れるので書類仕事など以ての外だし、かといって身体を動かすような執務も無理。というか仕事にならないし普通に過ごすのも一苦労。
眼精疲労を放置し続けた結果、ほんのり痛んでいた頭痛が更に眼精疲労分も上乗せされて痛みはどんどん増すばかり……なんて感じで放置したところで何一つとしていい事はなかった。まぁ当然だろう。
呪われているのだから、それを放置しておいて良くなることがあるはずもない。
王家全体に呪いが降りかかったものの、しかしそれを緩和する方法があった。
解呪ではなく緩和というあたり、魔女のお怒り具合も察せようもの。
その緩和方法というのが、聖女である。
魔女はヒトの姿をした中身厄災と言われても否定はできない。
けれど聖女というのは過去、そう呼ばれる者が現れたのは確かだがそれが本当の意味で聖女だったか、と問われると疑問が残る。
だが魔女はあえて聖女としたのだ。
聖女が呪いを肩代わりしている間は、呪われた王家の人間も苦痛から逃れる事ができる。
と、まぁ、これだけ聞けば聖女が救いの存在であると思えるけれど。
聖女になるには条件があった。
たった一人の聖女に王家全体の呪いを支えろとは酷な話。
故に魔女が呪いの緩和方法として伝えた聖女というのは、複数名存在している。
場合によっては女性ではなく男性がその役割を担う事もあった。その場合は聖女ではなく聖人とされているが、そこは特にどうでもいい。
聖女になるためには、ある儀式をしなければならないが、それもそう難しいものではない――とアンナは聞いている。アンナは自分が聖女になろうなんて思った事もないので名乗りをあげるなんて事はしなかったので、そこら辺はお妃様だとか王女様だとか、そういった相手から聞いた話だ。
ちなみにあの元王子の母親であるお妃様も聖女である。
元王子の妹にあたる王女様は聖女ではない、が彼女の婚約者である公爵令息は聖人とされていた。
王家の血筋を引いているものだけに呪いがかかるので、嫁にきた王妃様は呪われていない。
だが、王の血を引いてうまれた王女様は呪われている。
王妃様は王様の呪いを肩代わりするために聖女としての儀式を行ったし、王女様の呪いを婚約者である公爵令息が引き受けるために聖人となった。
と、まぁ、これだけ聞けば伴侶になる相手に苦痛を押し付ける結果になってしまうのだが、聖女や聖人に本来苦痛を受けるべき者と同じだけの苦しみがいくか……となるとそうでもなかった。
自分の呪いを引き受けてくれている相手、伴侶であったり、婚約者であったりを大事にしているのであれば、苦痛はそこまでではないらしいのだ。
ところが、苦痛を引き受けてくれた相手を蔑ろにしたりして、相手の心が離れるような事になれば。
呪いによる苦痛は強くなり、最悪伴侶が倒れてしまう。
呪われた王家の人間は呪いを放置し続けても死ぬ事はない、とされているが、しかし肩代わりをした相手はその苦痛を放置し続けると命を落とす場合もある。
そしてもし、肩代わりした相手が命を落とした場合は。
今まで以上の苦痛が本来の相手に返っていくのだ。
それがわかっているのは、過去にやらかした愚か者がいたから。
呪いを肩代わりしてもらった愚かな王族は今まで自らを苛んでいた苦痛から解放され、そうして喉元過ぎて忘れてしまったのだ。呪いが消えてなくなったわけではないという事を。
そうなれば、自分のために身を挺して呪いを肩代わりしてくれた相手であっても、突然そんな相手が疎ましく思えてきた。
自分にはもっと相応しい相手がいるのではないか。自分は王族なのだから、自分が望めば相手は思いのままのはずなのに……と。
呪われた王族の婚約者に、というのは気軽に決められるものではない。
家柄が相応しかろうとも、我が子が呪いを肩代わりするという事実を考えれば躊躇う親は存在する。貴族の結婚は政略で調う事が多いけれど、それはあくまでもお互いの利になるから結ぶものであって、一方的に我が子を生贄のように差し出すつもりなどあるはずがないのだ。
王族がその意味を理解した上で、自分の呪いを肩代わりしてもいい、と進み出てくれた相手を大切にするのであれば何も問題はない。
肩代わりした側もその状態であればそこまでの苦痛はないので。
だが、かつての愚かな王族はそれをすっかりと忘れてしまい、そうして自分のための聖女となった婚約者を蔑ろにし――死に追いやってしまった。
もっと早い段階で婚約を解消し、聖女の役目を辞めてしまえば死には至らなかっただろう。
だが、彼女が聖女を辞めてしまえば、次の相手になろうと進み出る者は現れなかっただろうし、その状態で聖女がいなくなれば呪いは今まで以上の威力となって元の相手に降りかかる。
それを恐れた王が、きちんと言い聞かせるから、などと時間稼ぎをしてどうにかしようと悪あがきをした事で、最悪の結果になってしまったのだ。
結局、その時の王子は死んだ。
この一件は王家にとって決して忘れてはならぬ教訓として、戒めとしてその後代々語り継がれてきたはずなのに。
「でもそれなのにその時の馬鹿な王族と同じ事をあの元王子様はやらかしちゃったんだよねー」
箒に跨り空をひとっ飛びして帰ってきた我が家で待ってくれていた家族に、今日こんなことがあってさぁ、なんて話をしていたアンナは、
「でも、まぁ、聖女様死ぬまではいってなかったから、まだ元王子様生きてはいるんだけどね?
そういう意味ではマシなのかな? いやどうだろ?」
と、首を傾げていた。
「あぁ、聖女の役目を放棄するようにって忠告したの、僕だからね」
「兄さんが?」
「だってあのご令嬢は何も悪くないのに他人の呪いで命を蝕まれてるとか、理不尽だろう?
だから彼女のご両親にそれとなく教えただけだよ」
アンナの兄、カザンはしれっと言ってのけた。
聖女になるためには呪いを肩代わりする相手とのパスをつなげなければならない。
そうして呪いが本人からパスを経由して肩代わりする相手に流れていくという寸法なのだが。
あの元王子もすっかり健康そのもの生活に一切の不便がない身体になった事でかつての愚かな王族と同じように喉元過ぎれば熱さを忘れる状態に陥ってしまったのだ。
それでも周囲は一生懸命説得していた。
ただでさえ王族の伴侶になる、と言うのは苦労が付きまとう。
一介の貴族の嫁や婿になる以上にだ。
あの王子の母である妃とて、王妃としての仕事をこなさなければならないのに、呪いの肩代わりまで、となれば普通に考えたら重圧どころの話ではない。
だが王はそれをとてもよく理解していた。それがどれだけ大変で、どれだけ尊い事か。
本来ならば自分が受けねばならぬ苦痛を引き受けてくれた女性を、王は一等大切にした。
故に肩代わりされた呪いは大した事にはならなかった、と王妃様は後日コロコロと鈴の音を転がすような笑みとともに語っていたが、王が王妃を大切に扱わなければ笑い話にできるような余裕すらなかっただろう。
更には妊娠・出産と大変な事が控えていたのだ。
そんな最中に呪いが張り切っていたなら、出産と同時に王妃は命を落としていたかもしれない。
王族に嫁ぐというのは、色々な責任や重圧が伸し掛かってくるのがわかりきっているのに、更に呪いのせいでそれがとんでもなく辛く苦しいものになるかもしれないのだ。
だからこそそれを理解している王族たちは、そんな自分とそれでも人生を共にと覚悟を決めてくれた相手を大切にする。
臣籍降下した王族たちもそれは同じだ。人生をかけて苦楽を共にしてくれる相手を大切にできないようならそれこそさっさと自ら命を捨てるべき――くらいの気持ちですらある。
なので大半の王族は伴侶との関係はこの上なく仲睦まじいものとなっている。
お互いがお互いを想い合い大事に大切にしている様を見て、貴族たちも自然とそれらに倣うようになった。
貴族たちは別に魔女にそういった呪いをかけられてはいないけれど、それだっていつ何が切っ掛けで同じように呪われるかわかったものじゃないのだ。魔女が誰かを呪うのは、魔女に直接喧嘩を売るか、はたまた魔女が比較的大切にしているであろう誰かを蔑ろにした場合。
であるのなら、自分たちは呪われていないからと政略で結ばれたからと伴侶を蔑ろにして、それがもし魔女の興味の対象であったなら。
そんな考えに行きつくのも当然の流れだったのかもしれない。
それが原因で、この国の王族や貴族たちは政略結婚であったとしても、他国の者が見たならば恋愛結婚なのだろうと思われるくらいに仲睦まじい者たちが多い。
皆が皆わかりやすい感じにイチャイチャしてるわけではないけれど、他者が見て熱々だな、と思う程度には仲の良い者たちばかりだ。
そんな中でやらかした元王子の駄目っぷりは言うまでもないだろう。
アンナから言わせればそりゃ廃嫡もされるわな、といったところで。
王家が呪われているのは平民だって知ってる話だし、その呪いを肩代わりする聖女や聖人という立場の者たちだって平民にとってはご存じなのである。
文字の読み書きも覚束ないような平民ですら、物語に出てくるような奇跡を起こすタイプの聖女や聖人と、この国の王族の伴侶に選ばれている聖女や聖人は役割が異なるのだ、とは理解している。
なので聖女様どうかお助けを~なんて感じで救済を求めたりはしない。少なくともこの国ではそんな真似をする者はいなかった。
「ここしばらくは愚かな王族も出る事がなかったから、伝えられてなかったみたいなんだよね。
聖女や聖人を途中でやめる事ができるっていうの」
「そうなの? あ、でも上手くやっていけてるなら確かに言う必要はないか」
「そう。だからじゃないかな、元王子様が勘違いしたの」
「あぁ~」
いくら呪いを肩代わりしてくれている婚約者を大事にしろ、と言ったところで既に苦痛から解放された王子にとってその相手が気に食わない者となってしまったのなら、大事にしろと言われてもどうせそのうち結婚する事になるんだから、その前にせめて自分の好きなようにさせてくれてもいいじゃないか、と甘ったれた事を思って周囲の言葉も響かなかったのだろう。
今までは何をするにも苦痛がセットで、ただ生活をするだけでも辛いのに、そこに王族の人間として相応しい教育も……となれば、まぁ、マトモに集中力が続かなくて勉学に身が入らないなんて事があったりもするのだろう。
そこで肩代わりする相手が現れて、自分の身体が苦痛から解放されたのであれば。
最初は感謝もしただろうけれど、しかし苦痛がなくなってそれが当たり前のものだと思い込むようになれば。
婚約者が自分が望んで決まった相手ならまだしも、そうではなかったのであれば、どうしてこいつが婚約者なんだと不満を抱く事になるのかもしれない。
カザンの話を聞いてアンナはクズ男の思考とかよくわかんないです、としか言えなかったが。
まぁ、苦痛から解放されて今までやりたくてもできなかった事とか目一杯やりたい、っていう気持ちまでは理解できるけれど、だがその結果、自由に恋がしてみたい、はどうなんだろうかなとも。
大体聖女となって呪いを肩代わりしてくれている婚約者がいるとわかっている王子が他の令嬢に言い寄ったところで、令嬢だっていい迷惑だ。
遊びで声をかけられるのも、自分はそういうのにちょうどいい相手と思われているようで不快だし、仮に婚約解消して自分が彼の聖女となれ、と言われるのも迷惑で。
大体最初からそのつもりがあったなら、とっくのとうに名乗りを上げているのだ。
家の方針もあるとはいえ、令嬢がそれでも彼を支えたいのですとか言えば王子の婚約者に……となる家はそれなりにあった。
ただ、そういった家の令嬢たちは、王子のツラは確かにいいけど、為人から自分が彼の苦痛を全て受け入れて支えられるか……となった時に、自分にそこまでの覚悟はないなと冷静に判断したのもあって。
結果、ほとんどの家は聖女になる事を選ばなかった。
唯一、それでもと王子に恋をしていた令嬢が名乗り出て、そうしてようやく王子は苦痛から解放されたわけだ。
それなのに今更声をかけられても、令嬢たちからすればいい迷惑だ。
しかも中身がクズときた。折角自分のためにと呪いを肩代わりしてくれる聖女が現れたというのに、それを蔑ろにして他の女に声をかけるような男に靡くなど、ほとんどの令嬢たちからすれば冗談ではなかった。
令嬢たちは聖女に言ったのだ。
今からなら多分まだ間に合うから辞退した方がいい、と。
ただ、長年こういったケースが出なかったのもあって、聖女を辞める際の儀式とかが忘れられつつあったとか言われて、それにも時間がかかるのだと言われていたらしい。
記録を完全抹消されてはいないようだが、しかし奥底にしまい込まれて聖女や聖人を辞める際の儀式のやり方は多くの人から忘れ去られつつあったので。
国王も王妃も、なんだったら妹である王女までもがきちんと大切にしなさいと説得していたのは、聖女を辞める儀式のやり方が記録とともに発掘されたら間違いなく解除されるとわかっていたからだ。
聖女や聖人を任ずる際の儀式は王族の数だけやっているようなものなので今更やり方を改めて確認する必要はないけれど、辞める事がほぼないまま年月が経過したため儀式のやり方がわからず辞めるまでの時間がかかる、というのはある意味で国王たちからしても予想外だったのだ。
まさか自分たちの代で必要になるような事になるなんて……と。
王子の婚約者になった令嬢は、どちらかといえば控えめな女性であった。
大勢の中で注目を浴びるような目立つタイプではない。どちらかといえば相手を支え自分は目立たないよう控えているのが当然といったような、一見すると嫋やかに見える女性であった。
それもきっと王子が侮る原因の一つだったのだろう。
そうして蔑ろにされ続けた聖女は、呪いの力に蝕まれ倒れるまでに至った。
だが、その頃になってようやく昔の記録が発掘されて、聖女や聖人を解除する儀式のやり方も改めて明らかになったのである。
ちなみにその頃、王子は婚約者が聖女ではなく魔女であり、自分を騙していたのだと冤罪を吹っ掛けて王子が惚れた相手こそが真の聖女だなどと言って上手い事婚約者を変更しようとしていたのだが。
まぁ普通にその計画は成功するはずがない。
王子が自分の結婚相手に、と狙っていた令嬢は他にきちんと婚約者がいたし、何より聖女の味方であった。彼女の献身があって今王子は元気一杯行動できているというのに……という思いもあったし、王子が言い寄ってきた時も妙な誤解を周囲にもたれないよう徹底していた。
お目当ての令嬢に嫌がらせをしていた、だとかの冤罪も被せようとしていたようだが、親友同士でそんな事実は本人たちの証言からも周囲からの証言からも出るはずがない。
大体その婚約破棄をやらかそうとした時点で、聖女は体調を崩して倒れ寝込んでいたので茶番劇を繰り広げる場に聖女はいなかった。
エスコートをしていたのであればまだしも、それすらしないでいたのだから不在であっても気付かない――などという不様を晒したのだ。
そんな醜態を晒したのだと後日聖女は伝えられ、ようやくそこで彼女は王子を見限った。
今まではそれでも、いつかはわかってくれると信じていたのだ。周囲も皆親身になって聖女の味方をしていたし、決して彼女を陥れようなんてしていなかった。だから、誰かから悪い噂を聞いて王子が暴走したわけではないとわかっていた。
結局最初から最後まで彼女に悪意を持っていたのは王子だけだったのだ。
自分を嫌うだけならまだしも、ありもしない冤罪を仕立て上げてまで……となれば恋も情もすっかり冷めきってしまった。元々大して育つことすらなかったのだから、こんな事があればそりゃああっという間にその感情がなくなるのも致し方なし。
私、男を見る目がなかったのね……とほろほろと涙を流し嘆く令嬢は、それでも次は失敗しないわと前を向いていた。
聖女を辞めるにしても辞めないにしても、辞め方の儀式に関しては早いとこ調べておいた方がいい、とカザンが彼女の両親をせっついていたのもあって一命をとりとめたけれど、もしもう少し遅ければ彼女もまたかつての愚かな王族の婚約者だった相手のように命を落としていたかもしれない。
そうして聖女を辞めた後は、肩代わりしていた呪いも今までの分の利子だ受け取れとばかりに王子に返っていったのである。
今回の件もあって王子は将来王にするにも大問題しかないし、臣籍降下させるにしてもどの家も彼を受け入れようとはしなかったので、廃嫡からの平民として追放となったのである。
王族ではなくなったとはいえ、呪いはしっかりと根付いている。
ただ、平民となった事で多少は軽減されたのか、王族のままなら今頃は何をするにもだるくてロクに動けない、となっていたかもしれないが、彼は案外元気にあちこち移動はしていた。
とはいえ、それもいつまでもつかはわからないが……
「ねぇ兄さん」
「ん?」
「かつて王家を呪った魔女って、もしかしてその当時の王家に嫁ぐ人が蔑ろにされて、それで呪ったのかしら?」
「さぁ? どうだろうね。そんなに気になるなら本人に聞けばいいだろう」
「本人って……大昔の魔女がまだ生きてるって事?」
もう兄さんったら冗談が下手ね、なんて笑うアンナに。
きょとん、とした顔をしているカザンは「あれ? 知らなかったっけ?」と呟いていた。
「母さんの茶飲み友達のロザリーさん。彼女がそうだけど?」
「え? え、えぇっ!?」
一体何の冗談だ、そんな気持ちで兄を見るも、兄はその表情を崩さない。
数秒見つめて、しかし一向になーんちゃってー、と返ってこないところから、ようやくアンナはどうやら本当の事なのか……? と思い始めていた。
ロザリーさんは母の茶飲み友達で、大体三年に一回ラズベリーパイを持って遊びにやってくる。
アンナも過去何度か遊んでもらったし、いろんなお話しを聞かせてもらったりして面倒を見てもらった。
母の友達であり、自分にとっても頼りになるお姉さんだった。
それがまさか、かつて王家を呪った魔女と聞かされれば驚くしかない。
ロザリーさんが前回家に来たのは一年程前なので、次に来るのは大体二年後だ。
二年後。
長いようだが案外あっという間の短い期間。
「うーん、知りたいような知りたくないような……」
まさかこんな身近に魔女がいた、とは気付きもしなかったアンナは悩ましげに呻いた。
もし魔女が、ご本人が身近にいないのであったなら、謎は謎のまま知らない状態で、でも真相は知りたいかな~? なんて思っていただろう。
だが案外身近にご本人が、と知ってしまった今。
正直、真実を知るのが怖かった。
一体どんな暴露話が飛び出るかわかったものではないのだ。
うっかり王家の闇みたいなのも知ったら……と思うととても怖い。
「……二年後の私に任せる事にするわ」
「そうか」
「えぇ」
なので今ここで、じゃあ次にロザリーさんが来たら聞いてみるね! なんて冗談でも言えなかった。
もし言ってしまったら、二年後、ロザリーさんが遊びに来た時に兄に「あぁそういえば」みたいなノリで話題に出され、嫌でも真相を知る事になる。
二年後の私がやっぱり知らないままでいいや、と思っていたとしてもだ。
だからこそ、アンナは未来の自分に選択を委ねるどころか丸投げにした。
二年後、この話をうっかり忘れていればそれでよし。どうしても気になったままなら聞こう。
そんな感じで。
「アンナが真相を知る事ができるかどうかは神のみぞ知るってやつか」
「その日の気分よ」
兄がしたり顔で頷くのを、アンナは居たたまれない気持ちで言い直した。
神のみぞ知る、だなんて御大層すぎる言い方をされたらなんだか二年後、本当に話題にしないといけない気がしたからだ。
なのでまぁ、アンナが真相を知る事ができたかどうかは――
二年後、ロザリーさんが遊びにやって来た時のアンナのその日の気分次第である。
次回短編予告
悪役令嬢に転生していると気づいた転生者が悪役にならないように頑張ろうと思った矢先無意味に終わった話。テンプレテンプレ。