ドレスコードは基本です13
アイシャをからかうのが、ちょっと面白くなっちゃってるアランさま視点です。
「それは大変だ。 いかがわしいことをされないように、身辺警護人を増やさないといけないかな」
ニコニコと微笑みながらも、少しだけ苛立ちを乗せ、独り言のように呟けば。
「アランさま!」
想像通り、アイシャが焦ったように顔色を変えた。
額いっぱいに汗を浮かべて、「今のはほんの冗談です」だとか「アランさまの寝込みを襲うような事は決してしない・・・つもり、です」などと一生懸命言い訳をしているアイシャを、僕は目を細めて、わざと冷たい目で見下ろした。
アイシャ・・・言い訳をするならそこは「襲ったりしない」とはっきり言い切るところじゃないかな。
なのに「つもり、です」と付けてしまう当たり、本当に嘘の付けないまっすぐな娘だな、と思う。
アイシャには・・・正確にいうと、この子と、その友人のリリィには本当に振り回されっぱなしだった。
今思い返して見ても、大変な日々だったという記憶しかなくて。
もう一度あの二年間を送らせてやると誰かに言われたら、全力で拒否するけれど。
・・・でも。
視線をゆっくりと動かせば、兄上の色を全身に纏ったラナベル嬢の姿が見えた。
一目で、『彼女が誰に愛されていて』『誰の物なのか』がわかる。
勿論、ラナベル嬢を物扱いするつもりはないけれど。
それでも、全身で兄上の溢れんばかりの愛情を受け止め、幸せそうにそこに在るラナベル嬢を見ると、少しだけ心が痛む。
その姿を見て、『もしあの時のあの決断の場面にもう一度時が戻ったなら』、などと馬鹿みたいに想像をしてしまう。
たとえどんなに願ったところで、過ぎてしまった時間は決して戻らないし、それに・・・。
「ラナベル嬢」
ああ、ただ呼びかけるなのに、こんなにどうしようもないほどの愛情が乗ってしまう。
あれから二年も立ったのに、まだ僕の中には、こんなにもあなたを特別に思う心が残っている。
堪えきれない愛情で、震えそうになる声を必死で押さえ込んで。
勤めて冷静に見えるように微笑みかける。
瞬間、ビクッとラナベル嬢の体が震えたのが見えた。
僕を見つめる少しだけ潤んだ目が、申し訳なさそうに揺れている。
どうしてだろう。
彼女は、僕のことなんて一切覚えていないはずなのに。
僕との思い出は『魔女殿に渡した対価』だから。
もう決して戻らないはずだし、以前ラナベル嬢から届いた手紙からもそれは確かなはずなのに。
・・・もしかして。
馬鹿で夢見がちな僕は、わずかな期待を抱いて、ちらりとラナベル嬢の隣に座っている魔女殿に視線を向ける。
随分と狭そうだな。
どうして二人掛けのソファに三人で座っているんだろう。
思うところはあったけれど、わざわざ突っ込むほどの事ではないので口をつぐんでおく。
僕の視線を受けて、魔女どのが嫌そうに顔をしかめる。
そして。
「戻ってない」
たった一言だけど、そう答えてくれた。
無視することも出来たし、実際嫌そうに顔をしかめているのに、ちゃんとそう教えてくれる当たり、この魔女どのは意外と親切だな、と思う。
でもそうか。
やっぱり記憶は戻っていない、か。
わかっていたことなのに、少しだけ胸が痛む。
けれど、それよりもずっと大きな安堵感が心を占めた。
今更記憶が戻ったところで、僕にできることなんて何もないし、むしろラナベル嬢に余計な気を使わせて、その心を傷つけてしまうだけだ。
そんなことになるくらいだったら、僕のことなんて忘れたままでいい。
けれど。
ラナベル嬢に気付かれないように、今度はちらりと視線を壇上へと向けた。
王族代表として挨拶する予定のウィルフレイ兄上が、じっとこちらの様子を伺っているのが見えた。
焦ったような、けれど僕を気遣うような複雑な視線。
ラナベル嬢の心を少しでも傷つけてしまう可能性があるなら、僕のことなんて忘れたままでいい。
その気持ちに少しも嘘はない。
けれど・・・。
申し訳ありません、兄上。
心の中で、許しを乞うた。
動けない兄の隙を狙って、こんなことを企てる僕は相当な卑怯ものだろう。
けれど、一度だけ。
ただの一度だけでいい。
まだ誰のものにもなっていないラナベル嬢と、踊りたい。
窮屈そうに身を縮めて座っているラナベル嬢の目の前に移動し、左手を胸に添えて頭を下げた。
「ラナベル嬢。 どうか僕と・・・」
言葉と共に差し出した右手が、緊張と罪悪感で震える。
卑怯者の自覚がある。
けれどどうかラナベル嬢。
「僕と一緒に踊ってはくださいませんか?」
どうか一度だけ、僕のわがままを聞いてはくれないだろうか。
必死で懇願する声は情けないほどかすれていて、動揺で体全体が震えた。
驚いたように息をのんだのが、誰だったのか。
頭を下げている僕にはわからなかったけれど。
一秒、二秒。
頭を下げたまま、ゆっくりと数を数えた。
三を数え終わっても、ラナベル嬢からの返事はない。
きっとこの非常識な申し出をどう断るべきか、思案しているんだろう。
これ以上は大事な女性を困らせるだけだ。
すぐに申し出を取り下げて。
少しでも場の雰囲気が悪くならないように、冗談だよ、と笑わないと。
そう判断し、引っ込めようとした僕のその右手に。
柔らかくて暖かい何かがそっと重ねられた。
わずかな重みで、少しだけ沈む込む僕の右手。
その右手を、きゅっと握ってくれたのは。
「喜んでお受けいたします」
穏やかに微笑んでいる、僕の特別な女性だった。
ほとんど接点がないはずなのに、アランがラナベルにダンスを申し込んだ。
そのことに一番驚き、そして納得したのはアイシャです。
ああ、推しの様子があんなに違ったのは、『どうしても救いたくて、でも救えなかった初恋の女性を、この世界のアランさまはちゃんと救えたからだったんだわ』と色々察しています。




