番外編 ドレスコートは基本です7
ああ、まだかしら?
わたしは控室の中をウロウロと歩き回っていた。
隣の控室から物音がする。
どうやら侯爵家の入場が始まったらしい。
それが終われば、私たちの入場となる。
デネブ様がルーカス殿下に連れられて奥へと消えてから、結構な時間が経っている。
もちろんきっちり準備するなら、時間が絶対的に足りないことには間違いない。
それでも熟練した王宮侍女の手にかかれば、十分支度を整えられるくらいの時間はたったはずだ。
なのに、ルーカス殿下もデネブ様もまだ戻ってない。
「そわそわと落ち着きのない。みっともないから座れ」
「・・・はい、申し訳ありません、殿下」
普段であれば気にならないはずの殿下のきつい言葉が、余裕がないせいか聞き流せない。
思わずシュンとうなだれて、殿下の隣に腰かければ。
「陰気臭い顔をするな、不愉快だ」
そんな言葉と共に、ギュゥっと両腕で体を抱き込まれた。
わたしを安心させるように右手で強く抱きしめ、もう片方の手で優しく背中を叩いてくれる。
・・・え、なに? どうなってるの、これ? わたし抱きしめられてる?
物理的な距離の近さと、殿下の爽やかなコロンの香りに包まれ、一気に熱が頬に集まる。
最近の殿下は、余りわたしの体には触れてこなかったから(ルーカス殿下からは「察して差し上げてくれ」と言われたけど。あれってなんのことだったのかしら?)こんなふうに抱きしめられるのは、本当に久しぶりで。
前ぶれなく急に抱きしめられて。
伝わって来る殿下の温もりや息遣いに、恥ずかしいやら焦るやら。
でも。
トントン、と規則的に背中を叩かれると、なんだか気持ちが落ち着いてきた。
不安で不安定だった心がゆっくりと浮上してくる。
そうよ、デネブ様はルーカス殿下に任せておけばきっと大丈夫。
でもそうなってくると、気になるのは『不安』や『恥ずかしい』よりも、もっと現実的なことで。
そう、例えば、こんなふうに密着してると、化粧が・・・。
「い、いけません、殿下。お召し物が汚れてしまいます」
気がついた瞬間、さっと血の気が引いた。
殿下は今日、王族の式典用の衣装を身に纏っている。
この衣装は、白を基調としているので化粧をバッチリ施してあるわたしをこんなふうに抱き抱えたりしたら・・・。
殿下の腕をやんわりと振りほどき、慌てて離れてみたけれど。
ああ、やっぱり。
殿下の左胸に口紅がついてしまっている。
それも綺麗に唇の形、いわゆるキスマークだ。
やってしまった・・・。
勿論何かのはずみで汚れることは想定内だろうから、一着や二着は代えが用意してあるだろう。
殿下もそのことを承知していたから躊躇なくわたしを抱きしめたんだろうけど。
だからってキスマークはないわよね。
恥ずかしすぎる。
「・・・殿下」
殿下の背後から、すいっと音もなく現れたのは、王宮侍女の制服を着た年配の女性だ。
呼びかけの後、無言で差し出された両手の上には、殿下が着用しているものと同じものが綺麗に畳まれた状態で乗っている。
もう代えの服を持ってきてくれたらしい。
・・・っというか、人がいるんだった。
あまりにも気配がなくて、壁に同化するように立っていたから、忘れてた。
ちらっと入口付近に視線を向けてみる。
そこに立っていた殿下の護衛騎士達が、わたしの視線を受けて一斉に視線をあさっての方向へ向けた。
『なにも見ておりません』『私たちは壁です』
無言の訴えが聞こえてくるけど。
皆さん、絶対一部始終を見てましたよね?
一番端の、一番若いピュアそうなあなた!
頬が赤いんですけど!
表面上は淑女らしく、穏やかな笑みを保ちつつ。
でも内心、あまりの恥ずかしさに頭を抱えていると。
「レイチェル」
ウィルフレイ殿下の声が聞こえ、思わず振り返った。
レイチェルとは、先程の侍女の名前だろう。
殿下はいつの間にか上着を着替え終わっていて。
汚れ一つないその装いにほっと安堵の息がもれた・・・のだけれど・・・。
「それ」
そう言って、ひどく真剣な顔の殿下が指差したのは、先程わたしが汚してしまった上着で。
「洗わず、そのまま俺の部屋に運んでおいてくれ」
・・・はい?
何故洗わずに?
というか殿下、『そのまま』ってところを、やけに強調されてましたけど?
それ、一体どうされるおつもりですか?
それにはわたしのキスマークが残っているんですけど?
侍女さんも『心得ました』って感じて、目をキラっとさせて頷かないで。
キスマークなんて絶対に残しておけない。
とにかくあの上着はこちらで回収しないと。
「お待ちください、その上着を・・・」
ささっと足音も立てずに部屋から退出しようとしている侍女さんを、慌てて止めに入ったわたしの声に。
コンコンコン、と扉をノックする音が重なる。
「お待たせいたしました。ウィルフレイ殿下、並びにコナー公爵令嬢。入場をお願いいたします」
聞こえてきた案内人の声に、ヒュッと喉奥がなる。
デネブ様とルーカス殿下はまだ戻っていない。
どうやらわたしが失態を侵しているうちに、タイムリミットが来てしまったらしい。
こういう大きな式典での入場は、基本爵位順となる。
最初に平民。騎士爵、男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵ときて、最後が王族だ。
パートナーによって爵位が違う場合は、上の爵位が優先される。
つまりルーカス殿下がエスコートを努めてくださるなら、デネブ様は侯爵家の後(今回公爵家の出席者がわたし以外いないため)での入場となる。
けれど最後の入場となる王族枠だとしても、やはり順序がある。
第二王子であるルーカス殿下は、ウィルフレイ殿下よりも先に入場しなければいけない。
王太子よりも後の入場はありえない。
それが許されるとしたら、国王夫妻だけ。
そして入場は一定ペースで行われているため、遅らせたりすることはできない。
それは『スムーズに準備を行えていない』という意味を指し、家格の恥となってしまうからだ。
「殿下、ご入場をお願いします」
私たちが返事をしなかったためだろう。
案内役の戸惑ったような声が、ドアの向こうから聞こえてくる。
「ああ、今、行く」
音もなくウィルフレイ殿下が立ち上がった。
そうして気遣わし気な表情を浮かべながらも、わたしに手を差し出してくれる。
・・・・。
ここで入場をごねても仕方がない。
覚悟を決めて、殿下の手を取って立ち上がる。
ゆっくりと優しくエスコートされて、重い足をなんとか前へとおし進める。
護衛騎士が開けてくれたドアをくぐって。
そこで。
こちらに挨拶するように深く頭を下げている人影が見えた。
誰だろう?
もう出席者は全員入場しているはずなのに。
人影は二人。
一人は焦げ茶色の髪を一つに結い上げた女性。
身につけている、ドレスの形は少しだけ古く。
そして色味もベージュといった落ち着いた色。
宝石類はほとんどつけておらず、かわりにガラスだろうか?
手作りらしき、とても綺麗な髪飾りが一つついている。
頭を下げているので顔が見えず、誰なのかまでは分からないが。
髪やドレスなど、全体的に落ち着いた色合いをしているにもかかわらず、目が離せないような華やかさがあった。
そしてもう一人。
綺麗なカーテシーをしているその女性のとなり。
胸に手を当てて頭を下げている男性。
品格とか、存在感がまるで違う。
一つに結われた、長く伸ばされた薄い金髪はキラキラと輝いているよう。
身につけているのは(細かい装飾品は違うものの)驚くことに、ウィルフレイ殿下と同じ、王族の式典服。
そしてその肩に羽織られたペリースマントに描かれているのは、国章である獅子。
獅子を掲げることを許されているのは王族の男児のみ。
王家には現在三人の王子がいる。
第一王子で王太子のウィルフレイ殿下。
その弟君である第二王子のルーカス殿下。
そして。
「お久しぶりです、兄上」
お二人の殿下とは腹違いの弟、第三王子のアラン殿下だ。
そして混乱に乗じて、無事ラナベルのキスマークを手に入れた殿下。
ほくほく顔だったそうです。
それをどうしたのかはご想像にお任せいたします。
勿論下心なく、ラナベルを慰めるつもりで抱きしめてます。
読んでいただきありがとうございました。




