番外編 ドレスコードは基本です3
ウィルフレイ殿下の、『その装いで行くのか』との問い掛けに。
デネブさまはわたしの時と同じように『もちろんだ』と胸を張って答え、更に洋服自慢が延々と続く。
ついには。
「殿下、そろそろ出発いたしませんと・・・」
と、困り果てた殿下の護衛騎士が思わず止めに入るほど。
それにしても、殿下。
微笑みながらいつまでも話を聞いてあげるなんて、優しすぎませんか。
「ああ、もうそんな時間か。では、よかったら魔女どのも一緒に乗っていくといい」
でもそのおかげで、殿下は状況を正しく理解してくださったようで。
会場まで馬車に一緒に乗せてくださるらしい。
「時間の無駄だ、さっさと行くぞ、このウスノロめ」
「はい、殿下」
そうしてわたしはウィルフレイ殿下に丁寧にエスコートされて、王家の紋章が掲げられた馬車に乗り込んだ。
広々とした馬車の中には、もちろん誰もいない。
ほんの少しだけルーカス殿下がいつもの仏頂面で座っていたりするかも、なんて期待してたけど。
よくよく考えたら、デネブさまを迎えに行くなら我が家ではなくベルン子爵家か学生寮に行くはずだし。
コナー公爵家にきてるわけないわよね。
じゃあ、もしかしてデネブさまを迎えに行ったルーカス殿下と行き違いになってる、なんてことは。
「ルーカス殿下でしたら、城で執務をこなされていましたよ?」
僅かな希望をもって、殿下の護衛騎士さまに聞いてみたけれど(ウィルフレイ殿下にもう一度聞いてみたけれど、悪態が先行してよくわからなかったのよね)、返ってきた言葉は絶望的なもの。
はあ、やっぱりダメなのね。
デネブさまもルーカス殿下とは卒業式以来、ほとんど会っていないと言っていたし。
そのルーカス殿下はご自身の卒業パーティーで、バハムから留学されていた王女殿下をエスコートされてたし。
ウィルフレイ殿下の(つまりわたしたちの)結婚式の後で、ルーカス殿下とその王女殿下の婚約が発表されるのでは、って噂もあるくらいだし。
もしかしたらルーカス殿下はデネブさまのことが、と思ってたけど。
わたしの思い違いだったようだ。
外で護衛騎士さまと話していたウィルフレイ殿下が、優雅な動作で馬車に乗り込み。
そして程なくして、わたしたち三人を乗せた馬車は会場に向かって走り出した。
とにかく、会場についてからデネブさまのパートナーを探しましょう。
もしどうしても見つからなかった場合は、先生に頼むのも手よね。
入場は爵位順だから(パートナーの方の爵位にもよるけれど)子爵家であるデネブさまの入場は早い。
会場に着いたらすぐにでも行動を起こさなければ間に合わない。
そう思って、気ばかりが急いていたけれど。
わたしのその思いは思わぬ方向で砕かれることになる。
カラカラと音を立てて馬車は進む。
随分とスピードが遅いように思えるけれど、気を使ってくださっているのかしら?
王家の馬車は殆ど揺れない上に、座面のクッションも最上級のものだから、もう少しスピードをあげても大丈夫なのだけど。
けれどウィルフレイ殿下の指示かもしれないし、おかしなことは言えない。
別に急がなくても十分間に合うしね。
そうしていつもより少しだけ時間をかけてたどり着いた会場で。
ウィルフレイ殿下に手を引かれて、馬車から降りた。
デネブさまのエスコートはとりあえず護衛騎士さまにお願いしてあるけど、会場で騎士さまを使うわけにも行かないから、誰かみつけないと。
もう殆どの学生が到着しているらしく、入口付近やそこへ続く長くて広い階段まで賑やかだ。
殿下の到着を告げる声に、ざわっと周りがざわめき、一瞬で人だかりは左右に割れた。
入口まで続く長い階段を、先導するように出来上がった人垣。
誰もが頭を下げるその真ん中を、ゆっくりと殿下に手を引かれて昇っていく。
そして。
階段を昇り終えたわたしたちが、会場に一歩足を踏み入れた途端。
「・・・ああ、これはダメだな・・・」
すぐ後ろからため息混じりの声が聞こえてきた。
とほぼ同時に、周りの空気が変わった。
今までの、好意的で、羨望まじりの視線じゃない。
突き刺すような冷たい視線。
扇で顔を隠した令嬢達のささやきあう声。
嫌なものを見るように顔を背ける令息達までいる。
・・・・え?
・・・なに?
ドクッと心臓が嫌な音を立てた。
その重い空気は、二年前たった一人で入場したあの日のことを思い起こさせて。
けれど、よくよく見てみれば違う。
彼らの視線の先にいるのはわたしじゃない。
周りの視線をたどって、嫌な予感を抑えつつ後ろを振り返って。
そうしてわたしは、すぐ後ろに立っていたデネブさまと目が合った。
「・・・・デネブさま?」
そういえば先ほど、「これはダメだな」っておっしゃってましたよね?
一体なにがだめなのですか?
声にも出せないわたしの疑問が聞こえたかのように。
デネブさまは困ったように眉尻を下げた。
「会場に『本物のアイシャ』がいる」
「・・・・え・・・?」
本物のアイシャ・・・?
今作のヒロインだった転生者のアイシャさまですか?
バハムに行かれたという?
・・・もしかして・・・。
彼女もわたしと同じ歳なら、向こうの学園を卒業して戻ってきている、とか?
「本物がいるのに擬態はできない」
でも、どうしてこの会場に?
彼女は学園には通ってなくて・・・。
「これが人の世でいう『因果応報』ってやつなんだろうな・・・」
デネブさまは魔法でアイシャ ベルンとして学園に通っていた。
その姿を維持できなくなったということは・・・。
この会場には厳しい入場制限がある。
アイシャ ベルンの姿を取れず、その存在を証明できないデネブさまは・・・。
───・・・パーティーどころか、会場にすら入れない。
導き出された答えに、血の気が引いていく。
「いえでも、魔法でなんとかすればよいのでは? 別の誰かの姿をとるとか?
少しだけ記憶を操作するとか?」
必死で言い募るわたしに、デネブさまはケラケラと喉を鳴らして笑う。
「アホだな、ラナベルは。そんなことをして何になる」
別人になってまで、出席したところで何になる?
言外に告げられた言葉に、胸がギュッと苦しくなる。
デネブさまは魔法を使うつもりがない。
つまりこのままパーティーに出席するつもりはなくて・・・。
「あの方はどなた?」
「まあ、ご覧になって、あの服」
「ドレスも持っていないのかしら?」
「随分みすぼらしい令嬢だな」
「平民か?」
「ばか、平民でももう少しマシな格好で来るだろうよ」
そんな言葉があちこちから聞こえて来る。
馬車の中で、あまりに心配するわたしにデネブさまは『魔法で適当な格好に見せるから大丈夫だ』と言ってくださったけれど。
多分その魔法さえ解けてしまってる。
囁きあっているのは、デネブさまといつも喧嘩をしていた令嬢達で。
でもまるで知らない人間かのように、冷たい目を向けて来る。
顔を背けている令息は、去年デネブさまのパートナーだった令息で。
なのに顔をしかめて、彼女を見ようともしない。
「っていうかまあ、もともと僕はアイシャの偽物だったんだけどな」
「そんなことは・・・・」
ありません、そう続くはずの言葉が止まる。
「なあ、ラナベル?」
「・・・なんでしょう?」
言いたいことは沢山ある。
でもまっすぐにわたしを見るデネブさまの、あまりに真剣なその目が、それを止める。
とにかく聞いてほしい、と訴えかけて来る。
「この二年間、なかなか楽しかったぞ」
「・・・なぜ今そんなことを・・・」
ここでいうのですか?
「僕に付き合ってくれて・・・嬉しかった」
本当に嬉しかったぞ、ラナベル、と。
噛み締めるようにデネブさまは同じことを呟いた。
それはまるで別れの挨拶のようで・・・。
静かにわたしを見つめるその赤い瞳に、焦燥感が増していく。
「待ってください、デネブさま。 ・・・・っそうです、ウィルフレイ殿下!
殿下と一緒に入場すれば・・・」
王族である殿下がエスコートするなら、誰に咎められることもない。
問答無用で入場できる。
その立場が揺るがされることも、あんな風に蔑みの目で見られることもない。
本当にわたしは馬鹿で。
その時はそれが最善の選択だと思ってしまった。
ウィルフレイ殿下がデネブさまと入場すれば、勿論わたしは一人での入場になるし、後々また大変な問題が起きてくる。
だけどそれでも、このまま彼女を見捨てては行けなかった。
本当に、出会ったばかりのデネブさまは沸点が驚くほど低くて。
少しのことで毎日癇癪を起こし、暴れ狂い、人としての常識がまるでなかった。
それは大きな子供のようで。
でも、変わった。
学園で共に学び、長い時間を一緒に過ごした。
奔放だけど、自分に正直で、純粋で、心根はとても優しい方だと知っている。
だから卒業できたことを一緒に祝いたい。
そしてそのためには・・・。
「冗談じゃないぞ、このアホ」
「戯言も休み休み言え」
わたしの言葉に、デネブさまとウィルフレイ殿下の声が重なる。
「二度とそんな馬鹿なことできるわけないだろ、本当にラナベルはアホだな」
ケラケラと楽しそうにデネブさまが笑う。
・・・どうしてそこで笑うのですか。
三ヶ月も前から毎日のように「パーティが楽しみだ」って、そう仰っていたじゃないですか。
出された料理を一つ残らず平らげてやるんだと、そうおっしゃられていたのに。
なのに・・・。
悔しくて、悲しくて。
思わず俯いてしまったわたしの耳に、ウィルフレイ殿下の落ち着いた低い声が響く。
「・・・・魔女どの、残念だがあなたのエスコートはできない」
「ああ、もちろんだ」
それはつまり、デネブさまはこの会場には入れないということを意味する言葉で。
ウィルフレイ殿下はなにも間違ってない。
むしろ浅はかな発言で困らせているのは、わたしの方。
ちゃんと頭では理解しているのに、どうしても心が納得しない。
やりきれなくて、ギュッと両手を握りしめた。
そのわたしの肩を、ウィルフレイ殿下がそっと引き寄せてくれる。
声なんてなにも聞こえなかったのに、『心配ない』そういわれた気がした。
「・・・そのかわり、適任者を呼んでおいた」
適任者・・・?
でも今この場面で、殿下よりも適した人間なんて・・・。
そう思ったとき。
ざわっと周りの様子がまた騒がしくなった。
ふわりと風が下から上へと動いて。
「このバカ! なんて格好をしてるんだ! 時と場所を考えろ!」
不機嫌そうな声が響いたと同時に、獅子の紋章が描かれた外套がひらりと揺れた。




