魔女は真実の愛をお求め
教会から消えたデネブと、それを追いかけていったルーカスの話です。
よろしくお願いします。
「・・・・何をやっているんだ、僕は・・・」
ぐらっと傾いた体が、木の幹にあたって止まる。けれど体を侵しつづける痛みに到底堪え切れなくて、そのままズルズルと座り込んだ。
自分がはく荒い息が耳にうるさい。
額から流れ落ちた汗が目に入って視界を遮る。
強烈な寒さでブルブルと指先が震えた。
「・・・・契約違反もいいところだ」
魔女は対価を糧にして魔法を発動させ、その願いを叶える。
その法則を無視すれば、全ての負担は魔女本人に何倍にもなってふりかかってくる。
そんなこと、見習い魔女でも知っていることなのに。
この世界のどこを探したって、こんな愚かな過ちを侵す魔女などいない。
けれど・・・・・。
カラーンカラーンと、軽快な鐘の音が聞こえてくる。
わぁっと沸き上がる歓声も。
けれどしょうがないではないか。
人の常識に疎い僕が何かを間違える度に『何が悪かったのか』『ではどうしたらいいのか』を、辛抱強く丁寧に教えてくれるあのお人よしを。
お菓子ばかり食べる僕にもっと野菜も食べた方がいいと、世話ばかり焼くあのうるさい女を。
結婚式の話題が出る度に、わずかだけど表情を曇らせるくせに。
気丈に笑って、僕にぜひ結婚式にでてほしい、と。
友人として出席してほしい、と。
そういってくれたラナベルを。
僕も友人として助けてやりたいと、そう思ってしまったんだから。
最初はなんでもそつなくこなしてしまう、嫌みな女だと思った。
いつ見ても綺麗な笑みを浮かべていて、何を考えているのかまるでわからない、僕には理解不能な女。
アイシャも『ウィルフレイの婚約者は性格最悪だから遠慮せずやっちゃっていい』と、そう言っていたから。
だからその言葉通り遠慮なく悪者役を押し付けた。
そうすればシロ兄から愛されるとアイシャが言ったから。
兄上に愛される女性は幸せものだとシロが言っていたから。
だから邪魔なシロ兄の婚約者を攻撃した。
だっていらないだろう?
シロ兄の本当の気持ちにも気付かないでのほほんと生きている、性格の悪い婚約者なんて。
いなくなってしまえばいいと本気で思った。
でも僕は間違っていた。
アイシャがそう言ったから。
シロがそう言ったから。
だから行動をするんじゃない。
僕は僕の心で感じて、頭で考えて、そしてちゃんとした理性のもと行動しなければいけなかった。
何度も何度も、癇癪を起こして僕が荒れ狂う度に、ラナベルがそう教えてくれた。
『大丈夫ですよ』
『デネブさまならきっと感情をコントロールできますから』
『慌てなくてもいい。少しずつでもいいから前に進んで行きましょう』と。
そういって、途中で見捨てたりせず本当に辛抱強く付き合ってくれた。
僕に人としての生き方を教えてくれた、初めて出来た大事な友人。
長い時間をずっと一人で生きてきた。
自分の体の時間を止めて、興味があることはとことん研究した。
それで満足いく答えが見つけられればそれでよかった。
何の不満もなかったし、一人でだって毎日十分楽しかった。
でも。
この二年間はそれとは比べものにならないほど楽しかった。
今まで自分の好きなことだけをして生きてきた長い時間よりも。
シロとシロ兄と、そしてラナベルと過ごしたこのたった二年の方が、僕には何倍も楽しくて、何倍も価値があった。
多分僕は、自分で気づいていなかっただけで、本当はずっとずっと寂しかったんだ。
わぁっと聞こえてくる歓声が一段と大きくなった。
式が無事に終わったんだろうか・・・?
まさかあのお人よし、式を放り出して僕を探しに来たりなんかしないだろうな?
・・・しないか・・・。
大好きな人とやっと結ばれるんだもんな。
「なあ、ラナベル。この前一緒に行った『けーきや』なかなかよかったぞ」
来月新作が出るからまた行きましょう、とお前は笑っていたが。
僕はもう一緒にはいけないから・・・今度はシロ兄と行ってくれ。
それから、その前に行った『ざっかや』というところも興味深かった。
なぜ髪を止める紐如きにあんなに真剣に悩み、こだわるのか、いまだに僕には理解できないが・・・。
それでもお前が「お揃いで買ってしまいました」といって手渡してきた髪留めは、今も僕の真っ黒な髪を飾ってくれている。
・・・・うん、確かにつけてみるとなかなかいい。
先月やった『ぱじゃまぱーてぃー』という珍妙な行事も悪くなかった。
だけどお前の父と母は、少しお前を甘やかし過ぎではないのか?
僕にも同じように接してくるの、本当に対応に困るから次はやめさせてくれ・・・。
そこまで思って。
・・・・いや、もう次はないのか・・・。
僕にはもうその『次』が来ることがないことを思い知る。
はあと吐き出した息が途中で震えた。
右手を翳してみれば、輪郭がぼやけた指の先からキラキラと光の粒が立ち上っている。
・・・もう時間がない。
契約違反を侵した魔女は、光の粒になって消えてなくなる。
見習い魔女でも知っていることだ。
そんな馬鹿なことをする魔女がいるとは到底思えなかったが。
まさか自分がそうなってしまうなんて思いもしなかった。
後一日待てば、こんなことをしなくてもおそらく制約は自然と解けた。
だけど・・・。
「一生に一度しかない結婚式で愛を誓ってもらえないなんて、そんなの可哀相だものな」
ラナベルが可哀相だから。
そう思って、いや、そうじゃないと自分の言葉を否定する。
可哀相だから制約を解いたんじゃない。
ラナベルに幸せになってほしかったから。
僕に出来ることがあって、それをすることでラナベルを幸せに出来るとそう思えたから。
だから僕は契約違反を犯した。
その結果どうなるかちゃんと理解していて、それでもそうした。
この決断に、今も後悔なんて一つもしていない。
「もう僕は普通の人間の何倍も生きた・・・」
このまま生き続けて、周りに誰もいなくなって。
そうしてまた一人に戻ってしまうよりも、ここで消えてしまった方がいい。
木の幹に体を預け、ゆっくりと目を閉じる。
あれほど感じていた痛みはもうない。
強烈な寒さももう感じない。
後はこうやってゆっくりと消えていくだけだ。
そう思ったとき。
ジャリッと石がこすれる音がすぐ側で聞こえた。
「・・・お前それ・・・どうなっている・・・」
重い瞼を必死で開ければ、そこには肩で息をしたシロがいて、真っ青な顔をして僕の事を見下ろしていた。
・・・ああ、シロ、来てくれたのか。
バカだな、僕のことなんか放っておけばよかったのに。
大好きなシロ兄の式を放り出してきてよかったのか?
それにお前結構偉い人間なんだろう?
後で、怒られたりするんじゃないのか?
でも・・・・。
来てくれて嬉しいぞ、ありがとうな。本当は一人で消えるのがちょっとだけ怖かったんだ。
伝えたい言葉は沢山あるのに、口からはヒューッと空気が漏れ出るだけで何一つとして意味のある言葉が出てこない。
「魔女の契約違反・・・? その代償なのか・・・?」
さすがシロは頭がいいな。
僕とは違う。
正解だと伝えるために、一生懸命口角をあげた。
「このバカ! お前は何をやっているんだ!」
察しのいいシロは、僕のその反応だけで正しく状況を理解してくれたらしく。
またいつものようにきりりと目元を吊り上げた。
・・・シロが僕に向ける表情はいつもこれだ。
不機嫌そうな仏頂面。
最後の最後くらい、もう少し愛想よくしてくれてもいいと思うんだ。
だって僕とお前は・・・・。
・・・そうか、僕とお前はまだただの『知り合い』だったな。
知り合いってそんな親しい間柄じゃないって、ラナベルに聞いてちゃんと知ってるんだからな。
・・・・でもシロ・・・それでも僕は・・・。
お前の中ではただの知り合い程度だったとしても、僕にとってはお前は誰よりも『特別』だった。
なあ、シロ?
僕のところには今まで何人もの人間が願いを叶えにやってきたけど。
その中で唯一お前だけだった。
最初に、僕の名前を尋ねてきたのは。
魔女さまではなく『デネブ』、と僕の名を呼んでくれたのは。
願いを叶える魔女、ではなく僕個人を見てくれたのは。
お前だけだったんだ。
あの時から多分、僕の中でお前は『特別』になった。
長年住み着いた森を出て来たのは、アイシャの頼みがあったからじゃない。
きっと僕はお前にただ会いたかったんだ。
パタリと森に来てくれなくなったお前に、ただ会いたくてここにきた。
アイシャの姿でお前に話しかけなかったのは、デネブとしてお前に接したかったからだ。
・・・なあ、シロ。
僕に初めて出来た友人はラナベルだったけど。
僕が初めて恋をした相手はお前だった。
「おい、どうすればいい。どうすれば助かるんだ?」
シロが、この日のために用意された特別な上着をわざわざ脱いで、消えかけている僕の体を包み込んでくれる。
そうして両腕で自分の胸にぎゅっと抱き寄せてくれた。
ああ、あったかいな。
人の体温ってこんなにも心地いいんだな。
僕は何百年も生きてきたのに、そんな事も知らなかった。
「くそ、なんでこんなに体が冷たいんだ。おい、デネブ!」
「式、は・・・? ・・シロ兄、は・・誓いの・・言葉、を・・・ちゃんと・・・」
言えたか?
そう続けるつもりの言葉が、激しい息切れで途絶える。
グシャリと僕を覗き込むシロの顔が崩れた。
「ああ。ちゃんと仰られていた。ラナベル嬢もとても嬉しそうにしていた」
・・・そうか。
ちゃんと言えたか。
ラナベルも喜んでいたか。
ならいい。
僕の役目はもう終わりだ。
「おい、こら、バカ、眼を開けろ!! そうだ、契約だ! 俺と契約をしろ!」
無理だよ、前にも言っただろ。
同じ人間と取引はしない・・というより出来ないんだよ。
言葉でそう伝えられないかわりに、首をわずかに横にふる。
「うるさい、つべこべ言わずにやれ! 『愛』はどんなものよりも大きな力になるんだろう!?」
・・・おいおい、なにとち狂ってるんだ、シロ。
ただの『知り合い』程度の関係でしかないお前と僕の、どこに愛があるっていうんだよ。
まあ、僕にはあるけど・・。
シロ、『真実の愛』は一方通行じゃダメなんだよ。
そう思って苦笑を浮かべた僕の口に、突然何かが押し当てられた。
ふにゃりとして柔らかい、何か。
とても暖かくて、甘いこれは・・・。
驚いて眼を開ける。
すると焦点が合わないほど近くにシロの美しい顔があって。
その少しかさついた唇が、僕の口をふさいでいる。
うえ・・・? ・・・これって恋愛小説の中にでてきた口づけってやつでは・・・?
シロがゆっくりと体を起こして、そして僕を見た。
今まで見てきた仏頂面じゃない。
必死で何かを手に入れようともがく、とても熱を持った眼だった。
「・・・・心の底から不本意だが、認めてやる」
・・・・? なにをだ?
「お前が好きだ。俺の一生をかけて幸せにしてやる。だから、消えるな」
「・・・・・・・は?」
「消えるな! 側にいろ! これは契約だ!!」
・・・・・・え?
僕は今、愛の告白なるものをされたのか?
あのシロから?
嘘だろ。
シロなんか僕の前ではいつも仏頂面で、バカバカっていっつも怒ってくるし。
冷たいし、優しくなんかちっともないし。
・・・・でも、いっつも僕の好きなスイーツを持ってきてくれるんだ。
『このバカ、もっとあったかい格好をしろ、風邪を引くだろ』
『もっとゆっくり食べろ、喉につまらかしたらどうする、バカが』
バカバカ。
そういっていつも僕の心配をしてくれた。
「シ・・・ロ・・・」
同じ人間と取り引きは出来ない。
それは『魔女』の掟。
契約違反を犯し消えるのも、『魔女』の定め。
けれど魔女でなくなったなら?
魔女たるもの全てを捨てれば、僕はあるいはまだ生きていられるのか?
魔力は僕の魂に深く結び付いてしまっている。
それを切り離すなんて、そんな途方もないこと出来るとは思えない。
前例もおそらくない。
けれど・・・。
───・・・僕はシロと一緒にまだ生きていたい。
愛が大きな力の源になるのなら、きっとできるはずだ。
いや、出来るに決まっている。
なにせ僕は、世界で一番優秀で偉大な魔女さまなのだから。
そうして僕は、大好きなシロの腕の中で最後の魔法を展開させた。
自分の魔力を捨てる、という前例のない大魔法を。
「・・・・い! ・・・・・・・・・せ・・・。・・・・お・・・目を・・・」
「デネブ!!」
名前を呼ばれてハッと眼を開ける。
ここは、どこだ・・・?
目を開けているはずなのに、回りがよく見えない。
僕は一体どうしたんだったか・・・。
思った瞬間、体をぎゅっと抱き込まれた。
頬に触れる柔らかい猫っ毛。
日の光を浴びてキラキラと輝く・・・。
「この白い髪は・・・・シロ・・・?」
「・・・・・俺の髪はシルバーだ・・・何度も言わせるな、このバカ」
「僕は、助かったのか・・・?」
「・・・助かってもらわないと俺が困る」
ぎゅっとまた力を入れて体を抱き込まれた。
あったかいな。
あったかいけど・・・・さすがに少し苦しいぞ?
ポンポンと背中を叩いて、離せと合図を送る。
「くそ、もう少し堪能させろ」
そういいながら僕の体を離したシロの表情がさっと変わった。
心配そうに眉がより、アメシストの眼がゆらゆらと揺れる。
「お前その目・・・・」
目・・・?
ああ、赤い目は魔女の証だからな。
無事魔女の力を切り離せたなら目の色も変わってしまっているだろう。
心配いらないと、シロに簡単に説明する。
「何色だ?」
「・・・・は?」
「僕の目は何色に変わった?」
冷静に尋ねれば、察しのいいシロはそれだけで害があるものではないと判断したらしい。
すぐに僕の目を確認するように覗き込んで来る。
「・・・・黄色だ。イエロートパーズのように美しい黄色」
黄色、か。
会ったことはないが、もしかしたら僕の生物学的父か母がその色だったのかもしれないな。
「・・・この色ではおかしいか?」
「・・・・・・」
少し自信がなくなって聞いてみる。
シロはそんな僕の顔をしばらくじっくりと眺めていたれど。
やがてニヤリと口角をあげて、「知っているか?」と楽しそうに声を弾ませて聞いてきた。
「なにをだ。いくら察しのいい僕でもそれだけでわかるほど頭は良くないぞ」
「・・・お前の察しがよかったことなど今までほとんどなかったし、更にいえばお前の頭がいいと思ったことは今まで一度もない」
・・・・はいはい、そうですか。
「話しは戻るが、俺の一番好きな色を知ってるか?」
は?
お前まさか『それはお前の瞳の色だよ』とか、そういうあれなことを言うつもりか?
やめろ、さすがにそれは恥ずかし・・・。
「俺の一番好む色はバイオレットだ」
「・・・へぇ、そう」
だからなんだ? というかそれ、反対色じゃないか。
思わずこれでもかというほどしかまった僕の顔に、シロが右手を添える。
そして言う。
今まで見たこともないくらい優しい顔をして「だがまあ・・・」と。
「だがまあ、お前のその瞳の色も悪くない」
な!?
ば!?
おまえ!?
なんだこれ、いつものシロじゃない!
眼が優しいし。
声もなんか優しいし。
全体的に丸い感じ。
なんだこれ、こそばゆい。
虫にでも刺されたかな、と背中をかこうとした時。
教会の方から、わっと一段と大きな歓声が巻き上がった。
「どうやら式が無事に終わったようだな」
式が無事に終わった?
よかった。
じゃあラナベルはきっと、今一番綺麗な花嫁になっているな。
「教会に戻るか。お前歩けるのか?」
「もちろんだ」
「あっそ」
じゃあ自分で歩け、とシロはずいぶんと雑に僕をおろした。
そして僕を置いてけぼりにして、スタスタと一人で戻っていってしまう。
・・・やっぱりいつものシロだ。
普通こういう時は、女性を優しくエスコートするもんじゃないのか?
やっぱり僕のことが好きだなんて、あの場を凌ぐためだけの嘘で・・・・。
そこまで思って、気がついた。
シロにしては歩く速度がゆっくり過ぎる。
それに、その左手が不自然にヒラヒラと揺れている。
まるで誰かが手を握ってくるのを待ってるみたいな・・・。
「わかりにくいぞ、シロ」
急いで駆け寄って、空いていたその左手をぎゅうと握りしめると。
「・・・相変わらず察しが悪い」
ぎゅうっと同じ力で握り返してくれる。
「ふふふ、シロお前そういうの『つんでれ』っていうらしいぞ?」
「は?」
「ラナベルが言ってた。お前は『つんでれ』だって。何となく意味がわかった気がする」
「・・・・俺は一つもわからない」
「くふふ」
不機嫌そうに顔をしかめたシロを見て笑いながら。
もう会えないと思っていた大事な友人の事を思い出す。
なあ、ラナベル。
帰ったらお前に話したいことがいっぱいある。
今日のお前はすごい綺麗だった。
それから、お前の父は式が始まる前から泣きすぎだ。
あと、次『けーきや』にいく日を決めないとな。
今度『ざっかや』にいったらかみ留めは僕が買ってやろう。
色々話したいことが山積みだけど。
でも真っ先に伝えたいことは。
『なあ、ラナベル。
どうやら僕も真実の愛を手に入れたみたいだ』
最後に全部ルーカスが持っていったような気がしますが、きっと気のせいですね。
こんな拙い話を最後まで読んでくださりありがとうございました。
いいねをくださった方、ブクマしてくださった方、わざわざ感想を書いてくださった方、なにより、ここまで読んでくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。
皆様の健康を心からお祈りしております。
最後にもしよかったら評価を頂けると嬉しいです。
本当にありがとうございました。




