殿下との思い出
カルシオン王国で、三つしか存在しない公爵家。
そのうちの一つであるコナー家の長女として生まれたわたし、ラナベル コナーと、カルシオン国待望の第一王子として生まれたウィルフレイ殿下が出会ったのは、殿下が十歳。わたしが八歳の時。
同じ年頃の子供が大勢招かれた、王家主催のお茶会。
三人の殿下、それぞれの婚約者候補と、側近候補を決めるための場だった。
そこでわたしは、この頃から既に見目麗しかったウィルフレイ殿下にあっさりと一目惚れした。
どうしてもウィルフレイ殿下と結婚したかったわたしは、娘に激甘の父に頼み込み、数いるライバル達を家の力で蹴り落とした。
まあ、家の力を使い婚約者の座を奪い取る、悪役令嬢にお決まりのパターンだ。
ウィルフレイ殿下が拒まなかったのは、殿下にとってもわたしとの婚約はうま味のある話しだったからだろう。
我が公爵家を味方につければ、王太子の座は盤石になる。きっとそこに殿下本人の感情なんて入ってない。
家の力を使って、殿下の婚約者の座を手に入れたわたし。
わたしの家の力が必要だから、婚約を了承したウィルフレイ殿下。
これ以上ないほど綺麗な政略結婚だ。
それでも殿下は優しかった。
政略結婚の相手、都合のいい相手でしかないわたしにも、いつも敬意を払ってくれて。
親切で、優しくて、勉強なんかも教えてくれたし、わたしの拙い話しをいつもニコニコと笑って聞いてくれた。
何かにつけてよく「かわいい」と褒めてくれし、忙しいはずなのに公爵家まで頻繁に会いにも来てくれた。
長く会えないときは、手紙と贈り物が届いた。
殿下の異母弟、第三王子のアラン殿下と仲良くさせてもらった時などは「僕以外の男と仲良くしないで欲しい」と、熱を宿した瞳で見つめられもした。
「みっともない嫉妬をしてごめん」としょんぼりと肩を落とす殿下は、信じられないほどかわいかった。
最初こそ殿下の美しい外見に惹かれ、恋に落ちたわたしだけれど。
数ヶ月もしないうちに、殿下の内面を知りまた恋に落ちた。
わたしは二度同じ人に恋に落ち、そして彼の全てを好きになった。
大好きだった。
それはもう、盲目的に。
そんなわたしに、ウィルフレイ殿下はいつも優しい笑みを向けてくれた。
どんな時もわたしを優先してくれたし、大切に扱ってくれた。
───・・・だからわたしは勘違いしていたのだ。
政略結婚とはいえ、殿下もそれなりにわたしに好意を抱いてくれている、と。
殿下の唯一は今までも、そしてこれからも、ずっとわたし一人なんだ、と。
そんな幸せな未来を信じて疑わなかった。
殿下がなにを思って我が儘なわたしの側にいて、おもしろくもないわたしの話しを聞いてくれていたか、なんて馬鹿なわたしは考えもしなかった。
殿下の婚約者となって三度目の夏。
わたしは治療方法が確立されていない、とても珍しい病にかかり、一ヶ月もの間生死の境をさ迷った。
体に不気味な赤い斑点が浮き上がり、高熱が何日も続いた。
意識も朦朧とし、パンパンに腫れ上がった喉に呼吸も満足にできない。
当然食事も、水分さえ十分に取れず、体力はじりじりと削られていった。
有効な治療方法もなく、もうこれ以上手の施しようがない。
急激にやせ細ったわたしを前に「もってあと数日でしょう。気をしっかり持って、お覚悟を」と。
公爵家の主治医は苦しそうな表情で、両親に余命宣告をしたらしい。
その時の両親の取り乱しようは大変なものだったと後から聞いた。
確かな技術と豊富な経験を持った医師。
その医師を持ってすら、もう助からないと見放されたわたしの命。
けれどその二日後、わたしはなぜだか意識を取り戻した。
熱はすっかりと下がり、気味の悪い斑点は綺麗に消えて。
わたしは嘘のように健康な体を取り戻していた。
奇跡だと言われた。
あそこまで病状が進んだ状態から回復できた症例は、今まで一度も報告されていない、と。
ラナベルさまはよほど神様に愛されているのですね、と。
誰もがわたしの回復を涙を流して喜んでくれた。
ただ一人を除いては・・・・。
「なんだ、死ななかったのか」
わたしが目覚めて三日後。
お見舞いに来てくれたウィルフレイ殿下がわたしを見てつまらなそうに呟いた言葉がそれだった。
「些事で、これ以上僕を煩わすのはやめてくれないか」
侮蔑を含んだ刃物のような鋭い目、氷のように冷たい声でさらに続いた言葉。
殿下はそれ以上一言も喋らず、わたしの顔も見ることもなく。
不機嫌そうな顔で、物の数分で公爵邸から帰ってしまった。
・・・・いつもわたしに優しかった殿下。
病に倒れたわたしのもとに、毎日のようにお見舞いに来てくれた殿下。
香りが控えめな花束と、口当たりがいい食べ物をたくさん持って来てくれた殿下。
けれど二週間がたった頃から、彼が訪ねてきてくれることはなくなった。
醜い赤い斑点が体中を覆い、髪もとかせずボサボサで。
お風呂にも入れなかったからきっと汚らしかった。
そんなわたしの姿を見て、きっとウィルフレイ殿下は嫌になったのだ。
・・・・ううん、もしかしたら・・・。
わたしはウィルフレイ殿下に愛されている。
その思いを一度だって疑うことをしなかった。
───・・・けれどもしかしたら、そうではなかったのかもしれない。
よくよく思い出してみれば、わたしは殿下から一度だって「好き」といってもらったことがない。
かわいいね、綺麗だよ、よく似合っているよ。
婚約者への、そんな当たり前のリップサービスを真に受けていただけ。
しかもこの頃のわたしは、一般的な淑やかで慎ましい令嬢の姿とは掛け離れていて。
お転婆で、裸足で野原を駆け回るような野生児だった。
ウィルフレイ殿下はいつも『元気でいいね』と笑ってくれていたけど。
あれだってどう考えても王子妃としてはアウトだろう。
まだ起き上がる力もなく、ベットでみっともなく横たわるわたし。
そんなわたしを見下ろす殿下の目は冷たく、明らかに蔑んでいた。
死んでほしかったのに、なぜまだ生きているのか、と。
声にはでずとも、その態度が、そして視線が雄弁に語っていた。
・・・・わたしは間違っていたのだ。
ウィルフレイ殿下とわたし。
後ろ盾が欲しい第一王子と、絶大な影響力を持つ公爵令嬢のわたし。
この婚約は正しく政略結婚だった。
そこにわたしが思っていたような愛なんてなかった。
少なくともウィルフレイ殿下には。
殿下は正しい『婚約者』という役を演じていただけ。
そうしてその殿下はわたしが死にかけたことによって、わたしに見切りを付けた。
こんな品位のない女では今後使い物にならない、と。
そしてこんなに簡単に死にかけるような女は足手まといにしかならない、と。
わたしはあの時恐らく、ウィルフレイ殿下に見限られたのだ。
長い闘病生活で心身ともにぎりぎりの状態だったわたしに放たれた、たった二つの言葉は。
わたしの恋心をいとも簡単にズタズタに引き裂いた。
わたしはウィルフレイ殿下に愛されてなんかいなかった。
受け止めきれないその事実に、わたしはショックのあまり気を失い・・・・。
そして、目が覚めたときにはこことは違う世界に生きた記憶。
前の生での記憶を思い出していた。