5、馬鹿王子と馬鹿令嬢の残念な運命
タルタニア国王は頭を抱えていた。
政務に忙しく、長男の教育は宮廷学者に任せっぱなしだった。その息子が選んだ子爵令嬢――あれだけ身分が下の者を愚民呼ばわりしていた息子も、少しは心を入れ替えてくれたのかと思っていたのだが……
このピア嬢が驚くような浪費家だったのだ。実家の子爵家は貴族といっても商売をしている家柄で、むしろ血筋だけの公爵家などより羽振りが良かったようだ。彼女は実家よりさらに贅沢できると期待して王家に嫁いで来た。
大蔵卿から何度か嘆願されてはいた。優秀なアルベリーニ宰相からも苦言を呈された。
国王は忠臣に命じてこっそりヒ素を入手させ、ピア嬢暗殺計画を練った。それと同時にあの優秀なレティシア嬢に戻って来てもらえるよう手紙を書いたのだが、帝国め、レティシア嬢に読ませていないと見える。一切返事がないのだ。こちらが小国だからと馬鹿にして……
偏食が激しくてちっとも毒を入れた食事を食べないピア嬢にしびれを切らして、国王はついに息子を怒鳴りつけた。ピア嬢暗殺計画よりそっちが先だろうと執事は呆れて眺めていた。いやむしろ十年前にきちんと叱っていればこんなことには――
「浪費妻と離縁しない限り、お前を王位継承者から外す!」
と宣言すると、さすがのクリストフォロは泣きながらレティシア嬢宛てに手紙を書いた。しかし帝国から返事は返ってこなかった。
ある日宮殿に架かる橋の前で、宝石商が門番に押さえつけられていた。
「ツケを払って下さいよぉぉ!」
門番に蹴られてすごすごと下がって行ったが、あとで門番から話を聞いた使用人の報告に国王は仰天した。たまったツケはとても払える金額ではなかったのだ。
――仕方がない……!
国王は苦渋の決断を迫られた。全額踏み倒すことにしたのだ。
「だが不思議だ。いつの間にここまでの額にふくらんだのだ? 最近、大蔵卿が報告に来ないから全く気付かなかったぞ。アルベリーニ宰相も何も言ってこない。先月までは頻繁に渋い顔で報告に来ていたのに――」
全身にあざを作った宝石商は、酒場でやけ酒をあおっていた。
「もう二度と王家なんぞと取引はしない!」
そこに騎士団長が現れて、彼は青ざめた。
――なんでこんな場末の酒場にアルベリーニ侯爵家の坊ちゃんがやって来るんだよ!
「あんた、王宮出入りの宝石商だな?」
「ひっ、そうでございやすが――」
「このたびは災難だったな。王家がかなりの額を踏み倒したとか」
「は、はい……」
「恐れることはない。間違っているのは王家のほうだ。商人ギルドに訴えたまえ」
「は……?」
あまりの驚きに酔いが醒めてゆく。騎士団長はあっしの味方をしてくれんのか?
「取引書は残っているんだろう?」
「はい、もちろん。あっしは商人ですから」
「では王太子のサインも入っているな?」
騎士団長の問いに、宝石商は無言でうなずく。
「ならそれで王太子妃の浪費を証明できる」
確かにその通りだった。
翌朝、宝石商は商人ギルドに実態を訴えた。金額の大きさに驚いたギルド側は、ギルド内の有力商人たちに情報共有する。これを伝え聞いた豪商たちが、王家のみならず貴族との取引を慎重に行うべく店の者たちに注意を促す。
こうして新しい王太子妃が浪費家だという事実は瞬く間に王都中に広まり、王都民は暴動を起こすに至った。
「王太子妃と、王太子妃の浪費を許している王太子をひっ捕らえろ!」
ピア嬢とクリストフォロ王太子は、怒れる国民によって宮殿から引きずり出されたのだ。
「ぼ、僕は何もしていない!」
屈強な庶民に取り押さえられた王太子は震える声で弁明した。
「何もしてねぇのが問題なんだよ!」
王城前の広場に詰めかけた王都民が叫ぶ。
「妻を止めんのが夫の仕事じゃねぇのかよ!?」
「アタクシだって何もしてないわよー!」
明らかにやらかしまくってるピア嬢まで叫ぶ。これには王太子も怒った。
「何を言っているんだ、君が浪費したせいだろ!?」
「殿下が全部、愛するアタクシのために買ってくれたんじゃないですかぁ!」
「き、君が買わせたんだ!」
「買ってくれたのぉぉぉ!」
責任をなすりつけあう二人は王都民によって引き離された。
「元王子さんよ、このサイン覚えていらっしゃいますかい?」
綿紙の束を手にした宝石商のうしろから、
「こちらにもございますぜ」
仕立屋も現れた。
「ツケは働いて返していただきやしょう」
「僕に何をさせる気だ!」
答えたのは日に焼けた体の大きな船乗り。
「ガレー船の漕ぎ手ならいつでも不足してるんだ。一生こき使ってやる!」
「僕は選ばれし人間なのにぃぃ!」
一方のピア嬢も、働き先はすぐに見つかった。
「安心おし。元子爵令嬢の肩書がありゃぁ客には困らんよ」
娼館の遣手婆が手ぐすね引いてお待ちかね。
「若さっちゅう武器が使えるうちにたんまり稼いでおくれ。国家予算級のツケを返すんだろ?」
「アタクシはただ毎日を楽しんでいただけですのにぃぃ!」
暴徒と化した民衆を止めるはずの騎士団は、なぜか彼らの味方だった。わずかな近衛兵が守る国王夫妻の寝室に押しかけたのは武器を持った騎士団と、手に刃物やフライパンを持った王都民。
「わしらもこれで終わりか――」
国王が投獄を覚悟したとき、騒乱を鎮めるためにグランヴァルト帝国騎士団が到着した。
「アルベリーニ宰相の依頼により、我らグランヴァルト騎士団が助けに参りました」
――助かった。
安堵すると同時に、国王は国が乗っ取られることを悟った。頭の片隅にちらりと、いつの間にアルベリーニ宰相が、自分に断りもなく帝国に助けを求めたのか疑問が浮かんだ。暴動が起きてから早馬を走らせたなら、帝国騎士団の到着が早すぎるのではないか――
帝国騎士団が到着するや否や、タルタニア騎士団は潮が引くかのようにさぁぁぁっと散って行き、あとにはろくに武器も持たない民衆だけが残った。
タルタニア王都で起こったクーデターは、妙に都合よく鎮圧されたのだ。
◆
私はグランヴァルト帝国の宮殿でセルジュ皇太子と共に、斥候から報告を聞いていた。
「――そして国王夫妻は離宮に幽閉されました」
「タルタニア王国はタルタニア大公国に生まれ変わったのでしょう?」
「はい、先日四歳になられましたジャンカルロ様が大公の地位に就かれ、大公国宰相となられたアルベリーニ侯爵――レティシア様のお父上が同時に摂政も務められます」
私はその言葉に満足してうなずいた。父上がタルタニア大公国の実権を握ることになったのは私の計画通り。でも計算違いだったのは――
ため息をついた私に気付いて、セルジュ様がいたわるように私を抱き寄せた。ふかふかのソファに腰を沈め、ひざの上に私を座らせる。
ちょっと……恥ずかしいのですが!?
「君は、王太子夫妻も離宮に幽閉するつもりだったんだろう?」
私はうつむくようにうなずいた。
「彼らの身柄が王都民の手に渡ってしまうとは――」
帝国騎士団が到着したときにはすでに、二人は連れ去られた後だったそうだ。
「優しい君は同情しているけれど、離宮に幽閉された彼らが税金で生活していたら、王都民は余計に腹が立つんじゃないかな」
「そうね……。新生タルタニア大公国にもツケを支払う体力はないし、民の心情を考えたら、王太子夫妻に働いて返していただくしかないわね」
目を伏せた私の髪に、セルジュ様は優しく触れながら、
「君のおかげで帝国は、血を流さずタルタニアを手に入れたんだ。君は本当に聡明な人だよ」
私は彼のひざから下りて隣に座り直しながら、首を振った。
「帝国の斥候が優秀で逐一情報が入ってきた上、父や兄が協力してくれたからですわ」
宰相を務める父は大臣ら法衣貴族を取りまとめる地位にある。私の手紙を読んでタルタニアの大公国化に賛同し、彼らのコントロールを担って下さった。騎士団長を務めるニコラウス兄様も、宝石商を商人ギルドに訴え出させたり、王都民と共にクーデターを後押ししてくれたのだ。
「だとしても、君は皇太子妃としての務めを果たそうと帝国のために動いてくれた」
セルジュ様は私の手をふんわりと握ってから、ちょっと目をそらし、
「そういうきみの誠実なところ、好きっていうか――尊敬してる」
「私――」
ちょっと言葉を止めて、彼の美しい横顔を盗み見る。恥じらうように目を伏せる姿は絵画に描かれた天使のようだ。いつも素直に感情表現する彼に、私も影響されてみようかしらと口を開いた。
「セルジュ様には尊敬より愛していただきたいです」
「尊敬してるっていうのは、えっと、愛してるっていう意味だよ!」
あら焦っちゃって。いつも表情が分かりやすいのよね。
彼は私をぎゅーっと抱きしめた。
「君を手放したせいで馬鹿王子は国を滅ぼしたけど、そのおかげで今俺の腕の中に君がいるんだ」
私の額を彼の唇がそっとかすめた。
「レティシアは俺の自慢のお妃様だよ!」
そしてまたきらきらと無邪気な笑みを浮かべたのだった。
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