3、俺の愛する婚約者【セルジュ視点】
グランヴァルト皇家に長男として生まれた俺は、幼いころから皇帝になる未来が決まっていた。俺が物心ついてからでさえ、どんどん拡大していく帝国を継ぐ人材にならなくてはいけない。自分が弟たちと比べて特別優れた人間でないことは分かっている。だから足りない分は、努力で補わなくちゃいけないんだ。
帝国の南にはタルタニア半島がある。ここを治めるタルタニア王国は、長きにわたって独立を保っている。大陸と半島を隔てる山脈と、半島の三方を囲う海が自然の要塞となっているからだ。
山脈を越えれば兵が疲弊するし、荒れた海を渡って攻めるのはリスクが大きい。小国だけど攻めにくい隣国をうまいこと外交戦略で帝国に組み込みたいと、歴代の皇帝は狙ってきたそうだ。
そこで父上が持ちだしたのが、俺とタルタニア王女エヴリーヌの政略結婚だ。エヴリーヌ王女はまだ七歳だが、皇太子として帝国の役に立つならば、十歳以上若い妃をめとることも受け入れねばならない。
しかし事態は急変した。
タルタニア王国にもぐりこませてある斥候から、愚かな王太子が婚約破棄したという情報が入ったのだ。
「婚約破棄されたのは、アルベリーニ侯爵家の令嬢か――」
父上の目がぎらぎらと光りだし、普段は鷹揚な笑みで包み隠している野望がのぞく。
「アルベリーニ侯爵家は代々宰相を輩出してきた家柄だぞ。今も侯爵が宰相、次男が騎士団長を務めている。公爵家と違って国王の親戚ではなく飽くまで家臣ではあるが、実質、政治と軍事を握っている家と言っていいだろう」
父の言葉を受けて、タルタニア王国から戻って来た斥候が、
「はい。さらにレティシア嬢は幼少の頃より聡明で、王妃教育にも積極的に取り組んできた責任感の強い淑女とのことです」
その場に居合わせた俺はちょっと首をかしげた。
「それを婚約破棄する王太子って馬鹿なのかな……?」
ぽつりとつぶやいた俺に、斥候は断言した。
「馬鹿なのです」
つまりタルタニア王国の王都でも、もっぱら噂になっているってことだろう。
タルタニア随一の有力貴族の令嬢がフリーになったのだ。王国を狙う父上がおとなしくしているはずはない。準備が整い次第アルベリーニ侯爵家に使者を送り、丁重に結婚を申し込んだ。
圧倒的な兵力を持つ帝国からの申し出を断れるはずはなく、予想通り婚約成立となった。
俺は会ったこともないレティシア嬢を気の毒に思った。聡明な彼女は自分の立場をよく分かっているだろう。
実際会うと彼女はやはり、その理知的なおもてに覚悟を決めた表情を浮かべていた。オリーブ色の瞳に確固たる意志が宿っている。挨拶の所作一つとっても洗練されており、斥候からの報告で聞いてはいたものの凛とした美しさに俺は思わずつぶやいた。
「レティシア嬢―― なんとお綺麗な方だろう」
となりで父上がせき払いし、俺をにらみつけた。すみません、つい口がすべりました。
父上はレティシア嬢を大切に扱うことを決めていた。この結婚は隣国から人質を取る目的ではなく、タルタニアの有力貴族と親戚になって王国の内側に入り込むためだそうだ。まあ、そんなことを言われなくても俺は間違いなくレティシア嬢を大切にしたけれどね。
しゃんと姿勢を正したレティシア嬢に、憐れな雰囲気など微塵も感じなかった。敵国に嫁いで来たにも関わらずすぐに切り替えられる意志力や、彼女の前向きさに惹かれてゆくのに時間はかからなかった。彼女は魅力的な女性だったのだ。
婚約破棄されて間もないというのに拗ねるような子供っぽさは一切なく、帝国の国家運営にさえ皇太子妃として役立とうとする真摯な姿勢には尊敬さえ感じた。
夜、俺は一人になると大きなベッドの上を転げまわった。
「なんて素敵な女性だろう。凛としてかっこいい! 彼女が俺の婚約者だなんて幸せすぎる!!」
婚姻の儀は数ヶ月待たねばならなかった。なんせ七歳のエヴリーヌ王女を迎えるつもりだったから、まだ先になるだろうと必要な衣装や道具の発注もしていなかった。帝国の威信を見せる盛大な儀式のために、準備に時間がかかるのだ。
その間にも少しずつ、レティシア嬢の緊張はほどけていった。帝国に着いた頃は重い覚悟に目を伏せていた彼女の頬に、最近は笑みが浮かぶことが多くなった。頭のいい女の子が心から笑ってるときって、ギャップがかわいい!
タルタニア国王から意味不明な手紙が届いたのはそんな平和な日々のことだった。
俺とレティシア嬢は父上の執務室に呼び出された。父はタルタニア国王からの手紙を俺たちに読ませて、
「レティシア嬢を王国に返してほしいとのことだ。代わりにエヴリーヌ王女を皇太子妃として差し出すなどと申しておる。いまさらレティシア嬢の能力が惜しくなったと見えるな」
「そんなのだめだ!」
俺はレティシア嬢の肩をひしと抱き寄せた。
「俺はもう彼女を愛してしまったんだ! 大体タルタニア国王は自分の娘を差し出すなんて、何を考えているんだ!」
「国王とはそういうものだ。侯爵令嬢と王女の交換なら、わしらが応じると読んでいるんだろう」
「俺は――」
言いかけてハッとした。
「ごめん…… あんたは帰りたいよな、自分の国に――」
腕の中のレティシア嬢に謝った。彼女は二回まばたきしてから、
「いいえ」
とほほ笑んだ。
「今、間があった……」
俺、涙目。やっぱりまだ俺のこと愛してくれてないよな。政略結婚だし当然か……
「ごめんなさい、殿下」
彼女は細い指先で、そっと俺の頬に触れた。
「タルタニアに残してきた父母や兄の顔を思い浮かべたのです。でも王国に帰るつもりはございません」
やっぱり俺と夫婦になりたいから!? 期待をこめてレティシア嬢を見つめると、
「クリストフォロ様と一緒になるのはちょっと……」
そ、そうですよね…… 俺の方がまだマシってことですよね……
「ああ、セルジュ様、そんな悲しげなお顔をされないで! つまりわたくしは、あなたをお選びしたいと申し上げたのですよ!」
ちゃんと名前を呼んでもらえて、目を輝かす俺。
「ほんと?」
首を傾げると、レティシア嬢は俺の頬を両手ではさんで、オリーブ色の美しい瞳でじっと見つめた。
「本当ですとも!」
「ありがとう。うれしい――」
いとおしい彼女のこめかみに唇を押し付けた俺は、父上に思いっきりせき払いされた。
しかし今度は、レティシア嬢に婚約破棄を突きつけたクリストフォロ王太子自身から手紙が届いた。
「こんなこと書いてあるが、どう思うね。レティシア嬢」
父上がぺらっと見せた綿紙の便箋には――
<やっぱり僕には君が必要だった。やり直そう。君を本当に幸せに出来るのは僕しかいない!>
「今さら何を言っているんだ。寝言は寝てから言え」
俺は父上から手紙をひったくると、びりびりに破く寸前、なんとか深呼吸して怒りを抑えた。
「こんな手紙をよこすなんて。プライドの塊だったクリストフォロ様に何かあったのかしら?」
慣れているのか、優しい人柄ゆえか、レティシア嬢は怒った顔一つせず不思議そうにつぶやいた。
その理由は斥候からの報告ですぐに分かった。どうやら元子爵令嬢だったピア王太子妃の浪費により国家財政が傾いているそうだ。王家はこっそりピアを亡き者にして、レティシア嬢を呼び戻し、今さら王太子妃の座に据え直そうと画策しているらしい。
「国家財政が傾くってどれほどの浪費を??」
いくら贅沢したって令嬢一人で国家財政を逼迫させられるものだろうか。
「タルタニアは帝国のように豊かではありませんの」
落ち着いたレティシア嬢の声に、俺は頭を下げた。
「君の故国に対して失礼な発言だった。許してくれ」
「まあ、謝ることじゃないわよ!」
レティシア嬢はあたたかい手のひらで俺の髪をなでてくれた。そのおもてに浮かぶのはまるで聖女のほほ笑み。ああ、なんて優しい女性なんだ!
俺はたまらず、机に向かって手紙を書き始めたレティシア嬢をうしろから抱きしめた。
「誰に書いているの?」
「実家です。ちょっと計画があるのですわよ」
彼女は秘密めいた微笑を浮かべた。
俺たちは暖炉の灯りの中、身を寄せ合って彼女が書き上げた手紙を読んだ。それは聡い彼女の考えた帝国にとっては素晴らしい、タルタニア王家にとっては恐ろしい計画の始まりだった。
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