2、新たな婚約者はグランヴァルト帝国のセルジュ皇太子
王太子に婚約破棄された私を妻にと所望したのは、グランヴァルト帝国の皇太子セルジュ殿下だった。断ったことを口実に攻められたら大変だから、辞退という選択肢はない。
「一人娘を敵国に差し出すことになるとは――」
父は握りしめたこぶしを震わせていた。
「すまない、レティシア」
「謝らないで下さいませ、お父様」
兄たちは悔しさに唇をかみ、母は涙を流していた。
「ねえさま、行かないでぇ……ぐすん」
小さなサンドロまで泣き出す始末。
「私は小さいころからタルタニア王国民のために生きることを決めていました。今の私が王国のためにできることは、グランヴァルト帝国に嫁ぐこと。喜んで行ってまいります!」
家族の雰囲気を少しでも明るくしようと、私は胸を張って出発した。
馬車はガタコトと山道を走り続ける。
「いつも下から見上げているばかりだったけれど、この山脈、越えるとなると本当に大変ね。この自然の要塞のおかげで、タルタニアは帝国から攻められずに済んでいるんだけど」
「はい、レティシア様……」
侍女までが暗い顔でうつむいている。人質になりに行くようなものだから無理もない。皇太子妃とは名ばかりで、塔に幽閉される生活が待っているかもしれない。
それでも私は、馬車の中の暗い空気を払拭したくて軽い冗談を言った。
「肖像画に描かれたセルジュ皇太子殿下は美男子だったじゃない? あれがどこまで美化されているのか、本物に会うのが楽しみだわ!」
「ええ、プラチナブロンドに翡翠の瞳を持つ貴公子でしたね。あのままでしたらレティシア様にお似合いです」
「あら、こっちがかすんじゃうわ」
私の軽口に、侍女はくすっと笑ってくれた。
長旅を経てようやく到着したグランヴァルト帝国は、話に聞いていたよりずっと栄えていた。大河には石造りの大きな橋がかかり、大通りの両側には五階建ての建物が並ぶ。一般の商人ですら、タルタニアとは比べ物にならない良い服を着ているのが見て分かる。行き交う荷馬車に詰まれた大量の木箱を見るに、経済もうまく回っている様子。
――これはむしろ帝国の経済圏に組み込まれた方が、タルタニア王国が豊かになるかもしれないわ……
タルタニア宮殿の三倍はあろうかという巨大な皇宮に案内され、謁見の間に通された。天井画ならタルタニア宮殿にも描かれていたが、こちらは絵と絵の間が金細工で埋め尽くされている。
正面に座っているのは皇帝と皇太子。皇后はすでに亡くなっていると、周辺国の歴史で学んだ。
「レティシア嬢、遠路はるばるご苦労だった」
皇帝陛下は意外なほどあたたかくお声をかけて下さった。私は顔をあげ型通りの挨拶を交わし、礼を尽くしておく。そのとき皇太子が口を開いた。
「レティシア嬢―― なんとお綺麗な方だろう」
ええ……!? 私はミルクココアを思わせるブラウンの髪にオリーブ色の瞳で、決して目を引くような外見ではない。なぜお世辞など? と思って一瞬皇太子の顔に目をやると――
彼の翡翠の色をした瞳が、初めて海を見た少年みたいにきらきらと輝いている。嬉しそうにまばたきするたび、銀細工のようなまつ毛が揺れる。
――お世辞を言っている表情じゃない。
私は慌てて目を伏せた。皇太子は見とれるほど綺麗な顔立ちをしていた。世の令嬢なら心が華やぐだろうが、私はつい造形が素晴らしいなどと思ってしまうたちだった。
謁見が終わると部屋に案内されるのだが、なんとこの役目を担って下さるのが皇太子殿下ご自身。
「レティシア嬢の部屋はここだよ」
肖像画以上の美貌に、はにかむような微笑を浮かべて私に居室を見せて下さる。幽閉なんてとんでもない、タルタニアでは見たこともない贅沢な部屋だった。絨毯もカーテンも壁紙も全て落ち着いた深緑に統一されているが、繊細な金糸の刺繍がほどこされ、最高級品だと一目で分かった。
「それで、その、二人の寝室はこっちなんだ」
頬をわずかに染めて、セルジュ様は皇太子夫妻用にしつらえた無駄に広い寝室を見せて下さった。
「気が向いたら来てほしいな。あ、いや、変な意味ではなく!」
慌てる姿がむしろかわいいのだが、これはどういうことかしらね?
「俺たちは婚姻の儀もまだだしな!」
目をそらしていらっしゃるわ。こういうときどうやって殿方をフォローするかも学んで来なかったわ……
「すまないな。俺、皇帝になるための勉強ばかりで、スマートなことも言えなくて。あんたと婚約していた王太子っていうのは、こんなじゃなかったんだろ?」
不安そうなまなざしを、ちらっとこちらに向ける。
「クリストフォロ王太子殿下はよくお遊びになっていらっしゃいましたから、素敵な愛を見つけられて、わたくし婚約破棄されてしまったのですよ」
あっさりと事実を話す私。真面目に帝王学でも国の歴史でも学んでくれていたら、子爵令嬢と恋仲になる暇などなかったでしょうに。
「レティシア嬢みたいに魅力的な人との結婚をふいにするなんて、その王太子は馬鹿なのかな? あ、ごめん! ちょっと言い過ぎた」
他国の王太子をずけずけと馬鹿呼ばわりしたセルジュ様はとっさに口元を押さえた。
「ええ、馬鹿なのよ」
しれっと返して差し上げると、ほっとしたように頬をほころばせた。
「そうだよね!」
皇太子殿下はとにかくまっすぐな人柄だった。
その実直さは皇帝陛下も同じなのか、帝国の運営について私の意見をお尋ねになる。
「君は大変優秀だと聞いているからな」
褒めて下さるのはうれしいが、タルタニア王都にひそませた斥候から情報を得ているのは確実だ。
だが私は考えを改めつつあった。三十年前は大陸中にたくさん散らばっていた小国がグランヴァルト帝国に吸収されて行った理由――それは帝国の一部になった方が豊かになれるからではないか? 民の幸せを考えたら一番良い選択は何? もし十五年前、タルタニア半島がすでにグランヴァルト帝国の一部だったら、疫病で王国民の半数を失うこともなかったに違いない。
皇帝陛下は私が経済学や歴史書で学んだ知識を喜んで聞いて下さり、柔和な微笑でおっしゃった。
「我が帝国に君が来てくれたことを感謝する」
「レティシア嬢、俺を支えて下さい」
セルジュ様は私の両手を握って、真摯な瞳で見つめた。
「俺には君が必要なんだ。俺はたくさん勉強してきたけれど、こんな大きな帝国を背負う自信を持てずに生きてきた。でも君と一緒ならできるはずだ!」
大帝国の将来の皇帝という重荷を背負うセルジュ様の気持が分かるような気がして、私はこの青年を支えようと心に決めた。
「皇帝陛下、セルジュ殿下、わたくし帝国のためにしっかり働かせていただきます」
目を伏せ礼をしつつ、私は心の中でガッツポーズをしていた。
私、グランヴァルト帝国でめいっぱい輝かせていただきますわ!
次回は帝国の皇太子セルジュ視点です。レティシアさんにどんどん惹かれていきます。あまあまです。
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