偽物逃避行
私は偽物だ。
王太子の婚約者として偽物だ。彼には愛する平民の女の子がいる。
公爵家の令嬢として偽物だ。公爵である父には愛人がいて、その娘が誰より一番父に愛されている。
一人の人間として偽物だ。自分自身なんてとっくに無くしてしまった。
私は偽物だ。
誰もいない。何もない。私は偽物だ。
「レイチェル、なにやってんだ?」
「リチャード。別に何も」
彼はリチャード。私と同じ偽物。偽物の公爵令息。彼は、本当は平民だった。「リチャード」という公爵令息が亡くなった際、本来影武者として拾われた平民の彼がリチャードになった。これは彼と彼の両親、そして「リチャード」の幼馴染だった私しか知らない話。
「…また王太子殿下に虐められたのか?それともお前のところの腐れ親父?」
「両方よ。仕方ないわよ、私、偽物だもの」
「…。まあ、俺たち偽物同士なんだしさ、愚痴くらい聞くぜ」
「あらありがとう。…ねえ、私達、偽物同士じゃない?」
「おう」
「…私達が逃げても、誰も、困らないじゃない?」
「…いや、…うーん」
「…いえ、そうね、困る人はたくさんいるかもしれない。けれど、私達に関係ある?」
「…なにが言いたいんだ?」
「連れ去ってよ」
リチャードは大きな瞳を揺らして、今にも泣きそうな顔をした。私は見ないふりをした。
ー…
「なあ、知ってるか?王太子殿下の婚約者の公爵令嬢が、公爵令息と心中したってさ」
「あー…でも、死体は見つかってないんだろ?案外何処かに二人で身を隠してたりして」
「さすがに公爵家のお嬢様とお坊ちゃんが平民より酷い暮らしになんて耐えられるはずがないだろ」
「それもそうだ」
「…ですって、リカルド」
「…未だに本名で呼ばれるの慣れないんだが」
「仕方ないじゃない、バレたら大変だもの」
「レイ」
「ん?」
「これでお前は幸せか?」
「…そうね。少なくとも偽物レイチェルの人生は不幸だったわ。そして、レイの人生は始まったばかり。だから…リカルドが、幸せにしてよ」
「…おう」
私はレイ。誰でもない、ただのレイ。私は私として、本物だ。