96.「ブリリアントとファビュラス」
【レイチェル・ポーカー】
──見慣れた天井、見慣れた照明器具……そして隣に、見慣れた寝顔。
「……おはよう、ヒカリ」
窓から差し込む光からすると、今はもう七時前だろうか。いつもよりも寝過ぎたみたいだ。冷え切った部屋に、吐息が白く広がって溶けてゆく。
文字通り一晩掛けて冷えた頭で考えると、やはりどうしてもヒカリを疑うなんて出来なかった。この子は誰かを守るために血を流せる子で、誰かのために涙を流せる子だ。
わたしはヒカリを信じよう。これまでのヒカリを信じて、これからのヒカリも信じぬく。そう決めた。
『ヒカリちゃん、起きて! ヒカリちゃん、起きて!』
七時を知らせるアラーム音が部屋に鳴り響いた。
結局、どうしてわたしをそんなに好きなのかは、やっぱり分からないけど──
* * *
「今日は全員揃っているようで何よりです。やはりご飯はみんなで食べた方が美味しいですしね」
「私はエミち〜と二人きりでも充分美味しいご飯が食べれるけどね〜」
「けっ、食べさしてもらえるの間違いだろ。だいたい飯なんて食えりゃなんでもいいし」
「まったく、揃いも揃って育ちが知れますの。ご飯の美味しさは何と言っても食材の質とそれを調理するシェフに掛かっていますの。ちなみに私の……」
「聞いてねぇよ成金!」
「ふふ、今日も賑やかだね」
校舎の屋上。いつものランチタイム。こうしていると、鴉の頃と少し重なる。今朝思い出しただけでも、既にわたしは鴉に入ってから五年分の記憶を取り戻している。
鴉の皆んなと過ごした時間は、もうヒカリ達と過ごした時間をとっくに超えてしまった。たったの一晩で。すごく不思議な感覚だ。
改めて見ると、ウィスタリアとカノンは本当にそっくりだ。親子だからというのを差し引いても、クローンレベルで似ている。髪型と言葉遣いを同じにされたらきっと見分けがつかない。
それにしても、あのウィスタリアが結婚して子供まで産むなんて……旅館まで経営してるし、五百年あれば人って変わるんだな。
「つーかよ、成金てめぇ昨日はなにしてやがったんだよ!」
ヒカリがわたしと一緒に買った購買のパンを頬張りながら言った。行儀が悪い。
「ほんとですよカノンさん、メールしても謎のぬいぐるみの写真しか送ってきてくれませんし」
「けどさ〜あの写真のぬいぐるみどっかで見たことあるんだよね〜」
その写真ならヒカリにも送られてきていた。ヒカリが昨日カノンに安否確認のメールを送ったところ、夕方になってそれが返ってきたのだ。ワニのぬいぐるみが写った謎の写真が。
「ふふ、実は私昨日学校をサボタージュしましたの」
カノンは髪をかき上げながら自慢げにそう言った。
「え、サボりだったんですか? じゃああのぬいぐるみはいったい……」
「あの子はゲームセンターで私が直々に捕獲したワニですの。名前はワ四ですわ」
ワシ……確か温泉で飼ってるワニが『ワ一』『ワニ』『ワ三』だったか、このお嬢さまはまた御無体な名前をおつけになって。好きなのか嫌いなのかはっきりしろ。
「成金、お前学校サボってゲーセン行ってたのか? バカルタかよ」
「ちょっと〜私はゲームし過ぎた結果サボっただけだからね〜一緒にするなし〜」
一緒だよそれは!
「もう、一緒ですよそれは!」
ほれエミリアにも言われてるじゃん。
「けど凄いね、わたしの記憶ではカノンちゃんってほら……あんまりクレーンゲームに向いてないっていうか、ね」
わたしの記憶では確かそのはずだ。下手とかそういうレベルを逸していた気がする。そういえばゲームセンターも行ってみたいな……。
「まあ、確かに多少のハンデを背負っていたことは認めますわ。この眼帯のせいで距離感が掴みづらいですから」
あの眼帯、ウィスタリアは魔眼を隠すために付けていたけど、カノンも魔眼を持っているのだろうか。魔眼って遺伝とかするのかな?
「で、店員にいくら握らせたんだよ」
「熱川カノンはそんな姑息な手は使いませんの! 発想が貧困、育ちが知れますわよヒカリ」
ヒカリは「貧困ですみませんねー」と舌をべぇっと出している。
「実は、素敵な殿方にお手伝いしてもらいましたの」
カノンが箸で持ち上げていた伊勢エビを重箱に戻して、ポッと頬を赤らめた。
「「それもっと詳しく!!」」
全員がシンクロした。
「昨日の昼頃、私がぬいぐるみを取るべく、苛烈な戦いを繰り広げている時に、不意に後ろから声を掛けられましたの」
「なに、ナンパか!?」
「な、なんて声を掛けられたんですか!?」
「そうですわね、たしかあの時……『そこのエレガントでブリリアントでファビュラスな姫君、もしお困りならこの私めにお手伝いさせてもらえませんか?』と言われましたわね」
「「嘘つけ!!」」
全員がシンクロした。
「……こほん、まあ多少の脚色はありますが概ね事実ですの。実際には『よう、よかったら手伝おうか』でしたかしら?」
「どこが多少なんだよ」
「私てっきりナンパの類いかと思いましたので、振り返りもせずつっぱねましたの」
ふむ、たしかにわたしもそのシチュエーションなら相手にはしないだろう。平日の昼間にゲームセンターにいるような奴ろくなものではない。
「けれど、しばらくした後再び彼が『ああ、姫君! これ以上苦しむ貴女の姿を私は見ていられません、どうか、どうかただの一度、チャンスをお与え下さい!』と申しますので……」
「はい、ストップです。カノンさん、脚色は無しでお願いします」
エミリアがじっとりとした目でカノンを見据えた。妙に迫力がある。
「こほん、まあ実際にはあまりにぬいぐるみが取れない私が業を煮やして、彼に助力を乞うたわけですわね」
「いや、脚色どころか改変してるじゃん」
しかもナンパ男に助けを求めるほどあのぬいぐるみが欲しかったのか、普通に買いなよ。
「快く私の願いを聞き入れてくださった彼に、それからつきっきりで指導していただきましたわ」
「はい先生〜それはエロい指導ですか〜」
「カルタは黙ってて下さい!」
カルタがエミリアのチョップで沈黙した。
「そして彼の協力もあり、ついにぬいぐるみを手に入れる事ができたのです! いつのまにか私を応援していた人だかりからは拍手が巻き起こり、ぬいぐるみを高らかに掲げると、私を称賛するナリキングコールが……」
「おいだから脚色はすんなって言ってんだろうが!」
「な、これは脚色じゃありませんの!!」
嘘にしろ真にしろ、ナリキングとはあまり嬉しくない称号だな。ムテキングならまだしも……いや、ムテキングもやだな。
「それで、その男性とはどうなったんですか!?」
「どうって、その後一緒にクレーンゲームをして解散しましたわ?」
「あれ、カノン連絡先とか聞かなかったの?」
てっきりそのナンパ男と付き合ったとかそういう話かと思った。なんか期待外れだ。
「連絡先は、教えていただけませんでしたわ。縁があればまた会えるはずだからと」
「きゃー! ロマンチックな人じゃないですか!」
「そうか? 何か適当言って避けられてんじゃねーの?」
どうだろう、ナンパされた事とか無いはずだからよく分からないけど、熱心にカノンちゃんを手伝った割にはあっさり引くなんて、実はナンパ野郎ではなくただのいい人だったのかもしれない。
うん、平日の昼間にゲームセンターに入り浸るいい人だ……そんなやついるか?
「何とでも言えばいいですわ、私は信じていますの。そうすればきっと運命が私達を引き合わせてくれますの」
カノンの目には迷いが無かった。本当にまた会えると信じているんだろう。
無条件に何かを信じるということは愚かな事かも知れない。けれど、それは時に愛と呼び変えることもできる尊いものでもあるだろう。
わたしが今朝、ヒカリを信じると決めたように──




