93.「ショートケーキと梅昆布茶」
【レイチェル・ポーカー】
「──いやぁ、満腹満腹。凄くおいしかったよ、ご馳走様です」
昼にご馳走を用意して待っていると言ったエミリアは、実際豪勢な食事を振る舞ってくれた。ヒカリと一緒に早めの夕ご飯を済ませた後だから、さすがのわたしもお腹一杯だ。
「それはそれは、お粗末様でした。満腹なら、櫻子さんが持ってきてくれたデザートはすぐには食べれそうにありませんね」
「デザートは別腹」
「……持ってきます」
エミリアが呆れたような顔でキッチンへと向かった。ちなみにお土産に持ってきたのは駅前で買ったショートケーキだ。
エミリアの家に来てから今まで、他愛もない話をしながら普通にご飯を食べただけ。わたしを夕食に招いた真意はまだはっきりとはしていない。きっと昼間のことだろうけど。
「美味しそうなケーキですね、どこで買ったんですか?」
キッチンでケーキをお皿に移しているエミリアがそう言った。お湯を沸かしている音も聞こえるから、おそらく紅茶かコーヒーでも淹れてくれるのだろう。
「駅前のケーキ屋さん。お洒落なケーキがいっぱいでさ、宝石店みたいだったよ」
「ああ、あのお店ですか。私も前から気になってたんです。櫻子さん、紅茶とコーヒーどっちにしますか?」
ほんとに気がきく子だ。カルタには少々もったいないくらい。
「あえての梅昆布茶で」
「ありません」
あったらびっくりだよ。たぶん飲んだ事ないし。
「ウソウソ、紅茶でお願いします。砂糖無しのミルク多めで」
「かしこまりました」
喫茶店の店員みたく、かしこまった返事をしたエミリアは、くすくす笑いながら手際良く用意を進める。ティーセットの容器がカチャカチャと音を立てるのが、なんだか耳に心地いい。
「砂糖無しミルク多めです」
「どうも、至れり尽くせりだね」
エミリアがトレーからテーブルに、ケーキと紅茶を並べる。贅沢な時代になったと、常々思う。
「──私が櫻子さんやヒカリさんと同じように、先祖返りの魔女だということは言いましたよね」
優雅なデザートタイム、紅茶を一口飲んだエミリアがとうとう口火を切った。
「うん、聞いたね」
ちなみにわたしの本当の両親は魔女と人間だから、先祖返りではなく混血の魔女だけど。
「私が初めて魔法を使ったのは九歳の時でした」
エミリアは紅茶のカップを両手で包み込みながら、ゆっくりと話し始めた。
「私の父は日本人なんですが、仕事先がドイツだったんです。そして同じ職場で仲良くなったドイツ人の母と結婚しました」
「へえ、じゃあエミリアはハーフなんだね。それは初耳」
日本語が上手いわけだ。見た目からは日本人の血が入っているようには見えないけど、先祖返りだから何世代も前の血が濃く受け継がれているのかな?
「結婚して程なく私が産まれました。両親の曾祖母の代まで遡っても、赤い目に灰色の髪の人間はいなかったので大層驚いたそうです」
「まあ、中々いるもんでもないしね」
それでもわたしの知る限りでは、赤い瞳は魔女に多い気がする。ヴィヴィアン、バブルガム、ライラックもたしかそうだったっけ……。
「その後、わたしが二歳の時に母が事故で亡くなりました」
「……」
唐突な展開に、言葉が出なかった。いや、沈黙した方がいい場面もあるか。
「父は男手一つで私を育ててくれましたが、七年後に別の女性と再婚しました。そしてその人にも、父同様連れ子が一人いたんです」
その人……義理の母をそう呼んだことから、エミリアと継母の関係がなんとなく窺い知れた。
「正直、私は新しい家族を受け入れることが出来ませんでした。私だけに優しくしてくれていた父が、その優しさを義理の母や兄に向けているのが悔しかったのかもしれません」
「再婚して数ヶ月経った頃です……四つ上の義理の兄が、飼っていた犬を私にけしかけました。もちろん本気じゃ無かったんだと思います……けど、凄く大きな犬で……私、怖くて……」
ティーカップを包むエミリアの手が小刻みに震えて、カチャカチャと小さく音を立てた。
「……気がついたら犬が死んでいて、義理の兄も怪我をしていました」
「……エミリア」
わたしは椅子から立ち上がって、向かい合うエミリアの隣に移動した。背中に手を当てると、手だけじゃなくて全身が震えていたことに気がついた。
「私のせいで父は離婚……それどころか、多額の慰謝料を要求されて家も何もかも失いました。私は魔女協会に保護されて、七年間一度も外へは出れませんでした。保護と言っても、体のいい監禁ですから」
「だから、ようやく外へ出られると聞いた時は凄く嬉しくて、凄く不安でした。櫻子さん達との初対面は、ご存知の通りあんな事になってしまって……思い出すだけでもかなり恥ずかしいんですけど、それでも、やっぱり皆さんと出会えた事は私の救いです」
分かったつもりでいたけれど、実際に聞くとエミリアが抱えていた過去も、七年間という時間も、とてつもなく重く、長く、苦しいものだった。
「エミリア、私も……ううん、私達もエミリアと友達になれて本当によかったよ。特にカルタはもうエミリア無しじゃ生きていけない感じだしね」
「……ありがとうございます」
背中をぽんぽんさするわたしに、エミリアが微笑んだ。目に涙が浮かんでいるけれど、哀しい涙ではない。
「──だから」
エミリアが続けて口を開いて、空いていたわたしの手をぎゅっと握った。
「だから、私も櫻子さんやカルタ、カノンさんやヒカリさん、皆さんの力になりたいんです。何か悩みとか、問題があるなら……話してくれませんか?」
「……」
わたしの最近の様子がおかしい事に気づいたエミリアは、ずっとこんな事を考えていたのか。
わたしが話しやすいように、わざわざ二人きりになって、豪華な夕食まで用意して、そして……先に自分の心の傷まで晒してくれたのだ。
ここまでしてくれた彼女に、わたしはどう報いるべきだろうか……いや、答えはもう決まっている。
「──エミリア、実はね……わたし、櫻子じゃないの……」
「……え?」
言ってしまった。誰にも打ち明けていないことを、エミリアに言ってしまった。
けれど、いざ口にしてみると『言ってしまった』よりも『言えた』というふうに感じた。
わたしの事は、誰にも話してはいけないと思いつつ、本当は誰かに打ち明けたかったのかもしれない。胸の奥の不安を、誰かに知って欲しかったのかもしれない。だって、たったそれだけのことで、こんなにも心が軽くなっている。
「……急にこんなことを言われても信じられないかもしれないけどね、わたしの本当の名前はレイチェル。レイチェル・ポーカーなの」
「……レイチェルって、四大魔女の」
エミリアは目をまん丸に見開いてわたしの顔を見つめた。そりゃこんなことを急に言われて、驚くなという方が無茶だ。
けれど、ここまで言ってしまったからには最後まで聞いてもらう。
今度はわたしの話を──




