92.「女子トイレとディナー」
【レイチェル・ポーカー】
「──今日はカノンが休みなんだね、風邪……は引かないか。どうしたんだろ?」
「けっ、成金のこった……どうせ『急に温泉旅行に行きたくなりましたのー』とかなんとか言って、学校サボって旅行でもしてんだろ」
「いや、ヒカリさん。カノンさんのお家がそもそも温泉旅館ですから」
「ふふ、きっとあれだよ〜カノンもついにゲーセンの魅力に取り憑かれて……」
「カルタと一緒にしないで下さい!」
肌寒い校舎の屋上で、今日も今日とて魔女達がお弁当を広げている。ただ、今日に限っては一名の欠員が出ているけど。
「冗談は置いといてさ、誰かカノンに連絡した?」
「私はしていませんね、カノンさんが欠席している事自体、屋上に来て初めて知りましたから」
エミリアは、カルタが箸からこぼしたご飯粒を空中でキャッチしながらそう言った。最近介護に磨きがかかってきている。
「エミひーにおなゔふだほ〜」
「カルタ、食べながら喋ると行儀が悪いですよ! あ、ちなみに今のは『エミち〜に同じくだよ〜』って言ってました」
カルタ、もうエミリア無しじゃ生きていけないのでは……。
「ったく、じゃあ誰も成金に連絡してねぇのかよ。仕方ねぇなー」
ヒカリがスマホを取り出して、ものすごい速さで指を動かしはじめた。なんだかんだで友達想いな子なんだよね。
* * *
「ねね、馬場さーん」
昼食後にお手洗いに行くと、女子トイレで声を掛けられた。
「……ああ、高橋、さん?」
確かそんな名前だった筈だ。わたしのクラスメイトで、いつも騒がしいグループにいる女の子だ。
「ちょうどいいとこに居たわー、私今日この後リカコ達とカラオケ行く事になったのね? ということでお金貸してくんない?」
どういうことでだよ……というか、そういえばこの子、前にもわたしからお金借りてたよね。
「別に貸してもいいけど、まずは前に貸したお金返してもらわないとね」
「……は? ちょ、なにアンタ。調子乗ってんの?」
なんでやねん。最近の子ってこんなにも言葉が通じないの? 思わず関西弁になっちゃうよ。
「別に調子に乗ってはないけど。ていうか、高橋さん前に貸したお金バイト代入ったら返すって言ってたよね? もう一月経つし、バイト代入ったんじゃない?」
「ぐちぐち言ってんなよ地味子がッ!!」
「……ッ」
ぶたれた。平手で、顔面を。
「お前最近さぁ、夕張に取り入ったからって調子乗りすぎなんだよ!! 誰に向かって生意気垂れてんだ! ああ!? いいからさっさと金出せよ!!」
高橋さんは、平手打ちでは物足りなかったらしく、わたしの髪の毛を鷲掴んで壁に押し付けた。当たり前だけど、お金を返すつもりは無いらしい。
「……離してくれるかな?」
「は? 離してくださいだろうが! 殺すぞこの……あがぇッれ!?」
高橋さんの首に、黒い触手が巻き付いた。というか、わたしのクロバネだけど。
「高橋さん、借りたお金は返さないとダメだよ?」
「……あ、あぁ、っひ……」
高橋さんは目をぐるんぐるん動かしながら、なにやら必死に首に巻き付いた触腕を解こうと、両手でもがいている。話聞いてるのかコイツ。
「わたしの記憶では一回目と二回目合わせて、えーと、いくらだっけ?」
「……ッ!!……ひ……ひぅ……!!」
高橋さんは顔を青紫にして、目やら口やら鼻やら、顔の穴という穴から汁を垂らしてうめいている。
「二万四千……と、細かいのまで覚えてないや。まあ利子って事で二万五千円でいいか」
「……っごっほ!?……あえぇぁ、ごほっ、えっおぉ」
わたしがクロバネを解除して触腕を解くと、高橋さんはトイレの床に崩れ落ちて、ビクビク震えながら失禁した。
「……ねぇ、わたしの話ちゃんと聞いてる? 二万五千円だからね? 明日までに返してくれなきゃ、怒っちゃうんだからね?」
「……ひ、ご、ごべっなさい、ごべんなさぃ」
話が通じたのかどうかは分からないけど、謝ってたからよしとしておこう。
それにしても、本気でお金返してくれると思ってたんだよね……わたしは。とんでもないお人好しだよ。
「……あ、そうだ。そもそもトイレしにきたんだよわたし」
トイレの床でお漏らししてしまった高橋さんを跨いで、わたしは個室に入った。
きっと五百年前なら、高橋さんは魔女に石を投げた側の人間だったんだろう。彼女はこの時代に生まれて幸運だと思う……五百年前ならきっと殺してたから──
* * *
「……あれ、エミリアどうしたの?」
トイレから出ると、エミリアと鉢合わせになった。エミリアは学年が一つ下だから、校舎が違う筈だけど。
「……次、移動教室で……このトイレが一番近かったもので……」
エミリアは気まずそうにして、わたしの顔を見ようとしなかった。
「……見てた?」
「……さ、櫻子さん、魔女が人間に危害を加えるのはご法度です。ましてや、魔法を使うだなんて」
完全に見られていたらしい。いやはやお恥ずかしいところを見せてしまった。
「そうだよね、わたしがどうかしてたよ。この事は二人だけの秘密にしてくれないかな?」
「……分かりました」
エミリアは少し視線を泳がせて、こくんと頷いた。
「ありがとうエミリア……ああ、中の子は放っておいていいよ、あの子凄く嫌な子だから。じゃあね」
「待ってください!」
教室に戻ろうとしたら、エミリアに服の裾を掴まれた。
「ん、どうしたの?」
「櫻子さん、最近何か変ですよ。悩みとかあるなら……聞きますから」
エミリアは今度はしっかりとわたしの目を見てそう言った。赤い瞳が宝石みたいだ。
「ありがとうエミリア。心配かけてごめんね……ほんとはわたしが言ってあげなきゃいけない台詞なのに、ダメだね」
わたしはエミリアをそっと抱きしめて頭を撫でた。これで十六歳なんだから、世の中まだ捨てたものではない。どっかの高橋とはえらい違いだ。
「櫻子さん、今晩時間はありますか?」
「……あるよ?」
「一緒に夕食を食べましょう。なんなら家に泊まってもらっても構いませんから」
唐突なディナーのお誘い、よほどわたしのことが心配なんだろう。前々から片鱗はあったけど、エミリアはかなり目聡い子だ。
毎夜毎夜、数年間分の記憶を取り戻して目覚める。その度にわたしの人格が少しずつ本来のものに矯正されていく。エミリアはそれを敏感に感じ取っているのかもしれない。
ローズがこの子をVCUにスパイとして送り込んだのも、今なら納得できる。中々の慧眼だ。
「夕食のお誘いはありがたく受けるけど、お泊まりはヒカリが寂しがるから」
「分かりました。じゃあ八時に家に来て下さい。ご馳走作って待ってますから」
エミリアはそう言ってトイレに入っていった。きっと高橋さんの事放ってはおかないんだろうな。
「……まあ、ちょっと大人気なかったよね」
わたしはエミリアの後を追って、再び女子トイレに入った──




