91.「ウイルスとナリキング」
【熱川カノン】
『恋はウイルスのようなもの』
そう言っていたのはどこの国の詩人でしたかしら──
魔女は基本的に病気にはかからないので、ウイルスなんて聞いてもピンとこなかったのですけれど、今ようやく彼の詩人が言わんとしていた事が理解できましたの。
恋はウイルスのようなもので、誰でも、いつでも、恋の病にかかることがある。
まさに、一目惚れ……でしたの。
雪のような真っ白な髪に、中性的な顔立ち、宝石のような深いブルーの瞳……もうどストライクですわ。
初めに話しかけられた時は、ナンパかと思って顔も見ずにあしらってしまいました。
けれどその後、あまりにもぬいぐるみが取れないものだから、断腸の思いで助力を乞おうと振り返るととんでもないイケメンがいるじゃありませんの!
こんな素敵な殿方に声を掛けられていたのに、さっきの私ときたら……思い出すだけでも顔から火が出そうでしたの。
……まあ、『育ちが知れますの!』なんて罵声を浴びせなかっただけマシかも知れませんけど。
とにかく、色々と悩んだ末に恥を忍んで声を掛けると、彼は快く私を助けてくれると言ってくれましたの。それどころか、私の頭に手を──
──名前は安藤テンというらしく名前と見た目から察するに、日本人と外国人のハーフといったところでしょうか。
……彼女とか、いるのかしら。
「──カノン、聞いてるか?」
「……え、はいっ……なんですの?」
彼のことをぐるぐる考えるあまり、つい自分がゲームセンターにいることを忘れていましたの。
「クレーンで大切なのは『見極める』ってことだ。アームの力は狙った物を取れるだけ備わっているのか、景品が取りやすい位置にあるか、景品の重心はどこか、アームを引っ掛けられるようなポイントはないか……とかな」
「……ええ、そうですわよね」
彼が何やら手振りしながら必死に説明してくれていますけど、そんな真剣な目でこちらを見られると頭がぼうっとして、話が入ってきませんの。
「よし、じゃあそれを踏まえた上で聞くが、カノンはどのぬいぐるみが取りたいんだ?」
「え、わ、私は……その、あちらのワニが……」
つい正直に答えてしまったけれど、よく考えたら猫とか可愛らしいものの方がよかったかもしれませんの……私のバカ!
「ワニか、いいよなワニ! でっかくて!」
なんということでしょう、意外と好感触ですの……。
「……ワニ……お好きですの?」
「まあ、好きだな」
好きですって! いや、私のことじゃありませんけどね。分かってますわ。
「……わ、私も、好き……ですの」
「そうか、じゃあ早速ワニを捕まえてみよう。さっき言ったことを思い出してやってみて」
「はい、分かりましたわ!」
……ところで、さっき言ったことってなんでしたっけ?
* * *
【安藤テン】
カノンの上達速度には正直驚かされた。俺が横についてから一時間ほど経ったが、なんと一時間前と何も変わっていなかった。
「あー、おしいですわ……今のはけっこういい線でしたわよね?」
「……カノン、正直に言うとだな……全然おしくない」
「……ですわよね」
一応本人も自覚はしてくれているようで、その点は救いだ。というか、その点しか救いがないけどな。
「狙った所にアームを下ろせてないんじゃないか?」
「……確かに、アクリル板越しのせいかどうも距離感が掴めませんのよね」
「距離感か……カノンは片目だから余計にそうなのかもな……あ、悪い、失言だったな……」
ミナトにいた時の悪い癖が出た。普通はこういう事には触れちゃあダメなんだよな。
「……? 私もテンのおっしゃる通りだと思いますの。外しましょうか、この眼帯」
ん? と思った時には、すでにカノンが眼帯を外していた。普通に目がある。
「……聞いていいのか分からないけど、なぜ眼帯を?」
「おしゃれですわ?」
マジかよ……。最近の子の間で流行ってんのか? 革の眼帯つけてる女の子とか、初めて見たんですけど。
「……ああ、確かにこの方が格段によく見えますわ。これならいけそうな気がしますの」
「よ、よし、景品が取れるならこの際なんでもいい。もう一回チャレンジだ」
気がつけば俺たちの周りには結構な人だかりが出来ている。何時間も女の子がクレーンゲームに五百円を投入し続けているのだから、無理もないかもしれないが。
「……お、おお?」
「やった、持ち上がりましたの!……あ、ああっ!?」
本日初、ワニがほんの一瞬宙に浮いた。すぐにアームから外れてしまったが、今までに比べればとんでもない成果だ。
俺は思わず声を上げて驚いてしまったが、ギャラリーからも似たようなどよめきが起こっていた。きっとこの場の全員、心は一つだ。
「大丈夫、途中で落ちちまったけど、おかげでいい角度になった。うまくすれば次で取れるはずだ」
「分かりました、きっとやり遂げてみせますの!」
カノンは真剣な面持ちでレバーを握った。周囲の空気がピリピリと張り詰める。まるでカノンの緊張や不安が伝わってくるかのようだ。
「……あ、あの」
「どうした?」
「その……手が、震えて……」
見ると本当にレバーに乗せた手が震えていた。無理もない、もう何時間もやってきて、ようやく巡ってきたチャンスなのだ。
「大丈夫だ、俺が震えないように押さえとくから」
俺はカノンの小さな手をそっと包み込んだ。一瞬びくんと震えたが、徐々に震えが収まっていく。
「あ、ありがとうございます……ですの。では、推して参りますわ!」
──ウィーン、ウィ……ウィ、ウィーン……
俺と、周りのギャラリーも、固唾を飲んでカノンの勇姿をその目に焼き付けている。心なしか店のBGMの音量が、この瞬間だけ下がったように感じる。
──ウィーン……ヴヴヴヴ……
いけ、いってくれ! 額に汗が滲み、空いている方の握りこぶしに力が入る。
──ガコンッ!
「……や、やりましたの……ワニが取れましたのッ!!」
「……お、おおおぉぉ!? やった、取れたああああ!!」
取り出し口からワニのぬいぐるみを引っ張り出したカノンと、思いっきりハイタッチした。周りのギャラリーからも拍手喝采だ。よく見ると店員まで混じってやがる。
「本当に感謝しますわ、テンがいなかったらきっとこの子は取れませんでしたの」
「俺はアドバイスしただけだよ。そのワニはカノンが自分の力で取ったんだ。だろ?」
「……そうですわね。私、やれば出来る子ですもの!」
カノンが愛おしそうにワニを抱きしめて、くしゃっと笑った。それで初めて気が付いたが、よく見ると歯がギザギザだ……ワニみたいに。
というか、笑った顔……めちゃくちゃ可愛い。妹くらいの歳の子にドキッとするとか、ヤバくないか、俺。
「──なあ嬢ちゃん、そのワニ一体いくらで取ったんだい!?」
「最後まで諦めない姿勢、オッサンは感動しちまったよおお!」
拍手をしていたギャラリーが騒がしくなってきた。このオッサン達、平日の昼間にゲーセンで何してんのかとかは気にしない方がいいんだろうな。
「よく見るがいいですの! 二十万円のワニですわよ!!」
「……高いなオイ」
単純計算で二百回もプレイした事になるのか、色々と恐ろしい奴だ。
「うおおぉ!! 今日は新たなキングの誕生だぜぇ!!」
「そうだ! ナリキングだ!! ナリキング様の誕生だぁ!!」
「ナリキング!! ナリキング!! それナリキング!!」
ギャラリー達が口々にナリキングというあまり嬉しくない称号を連呼しながら小躍りし始めた。こんなヤバいゲーセンだったとは。
「ふふ、今度来た時にカルタが驚く顔が目に浮かびますの」
ちなみに当の本人はよく分からない称号をつけられたのに、満更でもなさそうだ。なんだかニヒルな笑みを浮かべている。
「……なんにしても、これでようやく俺の番だな」
「ふふ、おまたせしましたわね。ちなみにテンはどのぬいぐるみを狙ってますの?」
「シャチだよ、あそこのやつ」
俺が、というよりはオルカが、だけどな。アイツにはこまめに連絡を入れてはいるが、『暇すぎー』以外の返事が返ってこない。さっさとシャチを持って帰ってやろう。
「なるほど、アレですわね!」
「おお、そうだけどなんでカノンが息巻いてるんだ?」
「手伝っていただいてお礼も無しでは、熱川の名に傷がつきますの。このナリキングが取って差し上げますわ?」
カノンがそう言って俺にワニを押し付けた。
「……いや、お礼なんて気にすんなよ。自分で取れるから大丈夫だ」
「遠慮なさらず、コツならもう掴みましわ。ね?」
「……分かったよ。じゃあお願いします、ナリキング様」
カノンの屈託の無い笑顔に、つい押し負けてしまった。すまんオルカ、こんな兄を許してくれ。
「ふふ、一発で取って見せますわよ!!」
そう言ってカノンは五百円玉を挿入口に突っ込んだ。一発で取れるなら百円でいいじゃん、とは言わなかった──




