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90.「リベンジとセクハラ」


 【熱川カノン】


──やってしまった。遂に……遂にやってしまいましたの。


 新都の南区……錆びれた工業団地から漂うすす臭い風に吹かれながら、わたくしは眼前の建物を見据えた。


 壁の塗装は雨風で剥がれ、壁は所々にヒビが入っている。看板のネオンもあちこち色が飛んでいて、絵に描いたようなボロ屋といった感じ。正直、自分でも何故ここに来たのか不思議ですの。


「……人生初、学校をサボってゲームセンターですの」


 自身を鼓舞するようにそう呟いて、自動ドアへ向かった。


……この自動ドア、中々開かないと思ったら壊れてますの。これじゃ手動ドアですわ。


 気を取り直して店内に入ると、まるで別の世界に迷い込んだかのような気持ちになる。様々なゲームから流れる音、光、色……非日常が目まぐるしく渦を巻いて、この場にいるだけで心が浮き足立ってくるよう──


 カルタがあそこまで入れ込む気持ちも、分からなくは無い……ですわね。


 ちなみに何故、わたくしがこんな庶民の盛り場に、学校をサボって一人遊びに来ているかというと、『今日がその日だったから』としか言いようがない。


 実は、いけない事とは思いつつ、かねてより『サボる』ということを体験してみたかったのだ。


 先週、ヒカリと櫻子、カルタの三人が学校をサボったのを目の当たりにして、その欲求は益々大きく膨らんだ。


 そして今日、朝起きた瞬間から、『サボろう』と、何故か決心が付いていたのだ。そう、だから偶々(たまたま)今日だっただけ、それだけですの。


 サボると決めてからは行動が早く、さっさと私服に着替えて家を出た。それからただなんとなく足が向いたのが、以前皆で訪れたこのゲームセンターだった。


「……今日はリベンジですの!」


 前回櫻子と一緒に挑んだクレーンゲーム。櫻子が狙っていた猫のぬいぐるみは、なんとか手に入れるに至ったのだけれど、わたくしが欲しかったワニのぬいぐるみは時間と待ち合わせの都合で断念した。


 だいたい、どうしてゲームセンターってクレジットカードが使えませんの?


 幸い今日は現金に不足は無いし、時間の制限も特には無い。思う存分ワニを乱獲出来る筈ですの──





* * *





 【安藤テン】


──オルカご所望のぬいぐるみを入手するべく、俺は新都の南区を訪れていた。先週あんな事があったばかりだし、正直この街はあまりうろつきたくはないのだが、可愛い妹の頼みとなれば兄として人肌脱がねばなるまい。


 錆びれたゲームセンター、外観とは打って変わって、店内はかなり綺麗に整備されている。


 両替機で札を崩し、目当てのクレーンゲームコーナーへ。無駄な動きは一切しない。オルカを一人にしておくのは色んな意味で不安だし、さっさとぬいぐるみを取って帰らなければ。


──と、息巻いていたのだが……先客がいた。目当てのぬいぐるみがあるクレーンゲームはこの一台だけ。仕方ないからしばらく待つ事にする。あの薄紫の髪の子がぬいぐるみを取れるにしろ取れないにしろ、大した時間はかからないだろうしな。



〜三十分後〜


──長い……長すぎる。少し離れたところからクレーンゲームが開くのを待っていたのだが、あの紫頭の子が既に三十分は独占している。しかも、言っちゃあなんだがド下手クソだ。


「……もう、あとちょっとで取れましたのに!」


 ただ、本人はいたって真面目にやっているようで、さっきから失敗する度に拳を握りしめたり、ぴょんぴょん跳ねたりして悔しがっている。さっきのセリフももう何十回かは聞いた気がするし。


 おまけに軍資金だけはあるようで、ゲーム機のコイン挿入口の隣に、五百円玉の山が大量に並んでいる。あれを全部使い切るのを待っていたら日が暮れそうだ。


「……おしいですわ、あとちょっとで取れましたのに!」


 また言ってる。それに全然あとちょっとじゃない。アームが景品にかすりもしていないからな。


 仕方がない……本当はこんな事はしたくないのだが、助け舟を出してやろう。こういうゲームは自分で取るからこそ価値があるのは重々承知だが、俺にも事情がある。これ以上オルカを待たせるわけにはいかないのだ。


「……よう、よかったら手伝おうか?」


「必要ありませんの、お気遣いどうも」


 けんもほろろとはこの事か。一蹴された。後ろから声をかけたのに振り返りもしない。


「……実は俺もこの中に入ってるぬいぐるみが欲しいんだけどさ、ちょっとだけ代わってくれたりしないか?」


 だが、そうやすやすと退く訳にはいかん。このままこの子に占領させていては店が閉店するまで不毛なゲームを続けるだろう。


「あらそうですの、随分と可愛い趣味ですのね……けれど順番は守ってほしいですわ。わたくしが景品を取るまでは大人しく待っていて下さる?」


「な、俺が欲しいんじゃなくて妹にやるんだよ!」


「……はぁ、妹だか弟だか知りませんけど、順番は順番! 何度も言わせないでほしいですの」


「……わかったよ」


 負けました。おそらく歳下の女の子に、振り返る事もなく言い負かされた。すまんオルカ、こんな兄を許してくれ。



〜一時間後〜


 店内に流れる中毒性のあるBGM。ゲームに興じている時はこのアップテンポな曲が耳に心地いいんだろうが、ただ柱にもたれ掛かりながら何十回も、あるいは何百回も同じ光景を眺めているだけだと、段々と頭が痛くなってくる。


「……あ、あの」


「……へ?」


 急に話しかけられて視線を落とすと、紫頭ちゃんが目の前に立っていた。余りにも長い間ぼーっとしていたせいで、近づいてきていた事に全く気が付かなかった。


 ようやく顔を拝めたが、かなりの美人だ。右眼に眼帯が付いているのが気になるけど……怪我でもしているのだろうか。


「さっきの、クレーンゲーム……ですけど」


「ああ、もしかして終わったのか?」


 時計を見るといつの間にか一時間が経過していた。俺がずっと待っていたのにぼーっとしているから、わざわざ教えにきてくれたのか?


「あ、いや、まだ……取れませんの」


「……そう、じゃあ……ごゆっくり」


 取れてなかった。かれこれ一時間半、俺が来る前からやっていたならもっとかもしれない。いったいいくら金を使ったんだか……。


「いや、ですから……その……」


「ん? なんだ?」

 

「て、手伝って欲しいんですの! お願いしますわ!」


 紫頭ちゃんが勢いよく頭を下げた。なるほど、余りにも上手くいかないもんだから一度は突っぱねた俺に助力を乞いにきたわけか。


「……か、勝手な事を言っているのは承知の上ですわ、けど……どうしても、取れなくて……」


「よし、じゃあ一緒にやるか」


 泣き出しそうな声で頼まれたら断る訳にもいくまい。俺に頼むのだって勇気がいった筈だし、俺もその方が早く帰れるしな。


「……感謝しますの。わたくし、熱川カノンですわ、貴方のお名前は?」


「俺は安藤、安藤テンだ。よろしくなカノン」

 

 ついオルカと一緒にいる時のノリで、カノンの頭をポンと撫でてしまった。セクハラとか言われないだろうか。


「……は、はい、ですの」


 カノンは少し俯いて返事をすると、俺の手を引いてゲーム機の方へ歩き出した。どうやら俺の気にしすぎなようだ。


 魔女狩りがセクハラで警察に捕まるとか、全然笑えないしな──


 






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