89.「ブロッコリーとカリフラワー」
【レイチェル・ポーカー】
一日目に、故郷と両親の事を思い出した。
二日目に、故郷が滅び、両親が殺された事を思い出した。
三日目に、復讐に身を焦がした事を──
四日目に、己の無力に嘆いた事を──
五日目に、出会いと祝福を──
六日目に、別れと呪いを──
そして七日目に──
* * *
「──ようこそ鴉へ。改めて君の名前を教えてくれるかな?」
「……レイチェル。レイチェル・ポーカー……です」
わたしは玉座に腰掛けた彼女に、おずおずと頭を下げた。
ただの農夫の娘だったわたしには、格式高い世界とは無縁で、当然こんな豪華な城に入る機会も今まで一度も無かった。きちんとした挨拶って、どうやるんだろうか。
「レイチェル、いい名前だね……少し、外で話そうか」
「……は、はい」
ヨーロッパ中にその名を轟かせている彼女は、思っていたよりも随分と穏やかな態度でそう言った。
「──レイチェル、君歳はいくつかな?」
中庭に着くと、彼女が地面に腰を下ろしてそう言った。
さっきまで玉座に腰掛けていた人が、急に地べたにお尻をつけたりするもんだから、かなり驚いた。しかも、左手で地面をぽんぽんと叩いて隣に座るように促してきたもんだから、さらに動揺した。
「わ、わたしは二十二……ですけど……」
逡巡……少し距離を空けて、彼女の隣に腰を下ろした。
「へえ、若いね」
せっかく距離を空けて座ったのに、彼女はお尻をズリズリ地面に擦りながら、わたしのすぐ隣まで寄ってきた。逃げるわけにもいかないのでじっとしていると、ついに肩と肩がくっついた。
近い。自分の心臓の音が、隣の彼女に聞こえてしまうじゃないかと思うほどに。
「……あ、あの、確かに若いかもしれないですけど……魔法だってちゃんと使えますから……」
「……ごめんごめん、そういう意味で言ったんじゃなくてね、純粋に若いなぁと思っただけだよ。私は今年で二百歳を越えたから」
魔女は歳を取らない。知ってはいるけど、いざそれを目の当たりにすると不思議な気持ちになる。
彼女は一見、わたしと同じ歳の頃にしか見えないのに、死んだわたしの両親よりもずっとずっと歳上なのだ。
「じゃあ、わたしのこと……鴉に入れてくれますか?」
「もちろん、ただし鴉に入るならそれなりの覚悟はしておいてね?」
彼女が顔をわたしの方へ向けて、柔らかく微笑んだ。
「はい、死ぬ覚悟なら出来てます。今更命なんて惜しくありませんから」
わたしも彼女の目を真っ直ぐ見てそう言った。けど──
「……やだなぁ、違うよ。そういうことじゃなくて……鴉にはほら、個性的な魔女が多いから」
「……?」
わたしがどういう事か聞き返そうと思った、その刹那……
「──死ねぇ、このクソ牛女ぁッ!!」
「ぎゃー!? 目はよさんか! 目はダメじゃろッ!?」
物凄い轟音と共に、中庭に魔女が二人転がり込んできた。
思わず立ち上がって身構えると、鎖にぐるぐる巻きにされた魔女を、もう一人が馬乗りになって滅多刺しにし始めた。
「……え、ななな、なに!?」
「はいはい、二人ともー喧嘩はその辺でやめようね。レイチェルがびっくりしちゃうでしょ?」
彼女は隣に腰掛けたまま、顔だけを突如現れた魔女達の方に向けてそう言った。全く驚いている様子はない。
「……はあ? アンタこんなとこで何してんのよ! てかそれ誰!」
馬乗りになっていた紫色の髪の魔女が怒鳴った。相当機嫌が悪いらしい。
「レイチェルだよ。今日から末の妹になる」
「……なに、レイチェルじゃと!?……あれ、誰じゃっけそれ!!」
鎖にぐるぐる巻きになった魔女は、もしかしなくてヴィヴィアンだった。久しぶりの再会だというのに、感動もへったくれもないところが逆にヴィヴィアンらしい……というか、わたしのこと忘れてない?
「誰じゃっけもなにも、今日から鴉に入ったんだってば」
彼女は呆れたように笑ってゆっくりと立ち上がった。どうやらヴィヴィアンからわたしの話は聞いていないらしい。実は初対面ではないのだ。
「はじめまして、今日からお世話になります……レイチェル・ポーカーです」
依然ぐるぐる巻きと馬乗り状態の二人に、挨拶をして頭を下げた。
「ふん、随分と軟弱そうな奴が入ったもんね! 私はウィスタリアよ! ウィスタリア・クレイジーエイト! ほんと、今日も人生最悪の日だわ!」
ウィスタリアと名乗った魔女は、薄紫の髪に皮の眼帯をつけ、歯は狼みたいにギザギザ……見た目と喋り方だけで決めつけるのは良くないことだけど、かなり怖そうな人だ。
「そして此方はヴィヴィアン・ハーツじゃ! ときにレイチェルよ、もしよかったらじゃがこの上に乗っかっておる貧乳ギザギザ紫頭をぶっ飛ばしてくれんか……ぁ痛たたたッ!?」
ヴィヴィアンはどうやら完全にわたしのことを忘れているらしい……ウィスタリアさん、いいぞもっとやれ。
「──この通りいつも騒がしいんだ……あ、そういえば私もまだちゃんと挨拶してなかったよね」
揉み合う二人を微笑ましく見守っていた彼女が、私の方へ向き直った。
「私はアイビス。アイビス・オールドメイド。形式的にはこの組織のボスって事になるんだけど、一番上の姉くらいに思ってくれればいいかな。だから敬語もいらない、これからよろしくね、レイチェル」
彼女は……アイビスは、そう言ってわたしに手を差し出した──
* * *
「……目、覚めちゃった」
目を開けると、さすがに見慣れてきた照明器具と天井。そして横には──
「……んん、ちが……白いのは、ブロッコリー……むにゃ」
この家の家主、ヒカリが熟睡している。ちなみに白いのはカリフラワーだろう。ブロッコリーと逆に覚えてるのかな。
「……顔、思い出せないなぁ」
ヴィヴィアンにアイビスの話を聞いてから、今日で七日目。
昔の話を聞いたおかげなのか、それともわたしの人格が完全に固定されたからなのかは分からないけど、眠るたびに夢の中で記憶の追体験をするようになった。
既に多くの事を思い出し、今日は遂にわたしが鴉に入る日までの記憶を取り戻した。所々断片的ではあるものの、大まかな事は大体把握できているからさして問題は無いだろう。
ただ、アイビスの顔だけは思い出す事ができない。それ以外の記憶は、絵に書けそうなくらい鮮明に覚えているのに、アイビスだけモヤがかかったようだ。
なんにせよ、今のところ二十二年間の記憶を七日間で追えているわけだから、わたしが殺されたという約百年後の記憶を取り戻すまで、そう時間はかからないだろう。
「……だから、緑のが……カリ、フラワー……んんむ」
だから逆だってば。
わたしは隣でもぞもぞと動くヒカリの頬を撫でた。
──冷たい。
ヒカリはわたしが最初に泊まりにきた日以来、眠る時は暖房を落としている。そして朝起きたら、眠たそうな目を擦りながら熱々のコーヒーを用意する。なんというか、健気な子だ。冷え性のクセに。
わたしの戯言に付き合って風邪を引いたら可哀想だし、たまにはこういう日があっても悪くはないだろう。
「……んん」
わたしが冷え切った身体のヒカリを抱き寄せると、小さく鼻を鳴らして引っ付いてきた。温もりに飢えているらしい。
「……浮気じゃないからね」
なんとなくだけど、顔も、匂いも、馴れ初めも、喧嘩の原因も、ほとんど何も思い出せない恋人に向けて、そう、ぽつりと呟いた──




