88.「七罪原と高嶺の花」
【レイチェル・ポーカー】
「──『自在卿』……四大魔女と呼ばれるようになる頃には、アイビスはそう呼ばれておった」
ヴィヴィアンはバーガーのトマトを全て完食し、ようやくまともに食べ始めた。
「自在卿……ですか」
「うむ、アイビスは五つもの魔法を扱う事が出来た怪物のような魔女での、その力を以ってどんな苦難も退け、思うがままに生きた……そんなあ奴を、周囲の者は畏敬の念を込めて、自在卿と呼んだのじゃ」
ヴィヴィアンは確か誰にも殺す事が出来ないから『不殺卿』……だったか。当たり前だが通り名にもそれなりに理由があるんだ。
「五つって凄いですよね、いったいどんな魔法を使えたんですか?」
「うむ、個人的な事じゃし詳しいことまでは言えんが……赤魔法が三つに、青魔法が一つ、白魔法が一つ使えたとだけ言うておこう」
「……んだよ、一つくらい教えてくれてもいいだろ?」
ずっと大人しく話を聞いていたヒカリがそう言った。いいぞ、もっと言ってやれ。
「……ふむ、もう使う事もないものなら教えても問題なかろう……一つは変身魔法じゃ。自身の肉体を操作し、性別すらも変えることの出来る魔法じゃ」
「変身魔法、凄い……魔法っぽい」
「であろう? アイビスはよく男の姿に変身しておってのう、これがまたイケメンに化けるもんじゃからそれなりにモテておったわ」
変身魔法、使い方によってはかなり凶悪な魔法だ。しかし──
「そんな便利な魔法、どうしてもう使わないんですか?」
さっき確かにヴィヴィアンは、もう使う事がない魔法だと言っていた。
「……熾天卿のレイチェルが死んだ時にの、アイビスは大怪我をしたのじゃ。特に顔の怪我は酷くてのう……何故か変身してもその傷だけは浮き出てくるのじゃ」
大怪我……ローズも言っていたやつだ。しかし、よりにもよって顔に消えない傷が出来たのか。
なんだか……胸の奥が痛い話だな。
「ま、確かに変身してもそんな目立つ傷があるんじゃあろくな使い道はねぇな」
「……ちなみに、大怪我の原因はなんだったんですか?」
「ジューダス・メモリーじゃ。裂断卿と呼ばれたロードでの……同じロードの熾天卿と十一人の同胞を惨殺した、稀代の裏切り者じゃ」
ここまでローズから聞いた話と食い違いはない。やはりわたしはジューダスに殺された事になっているようだ。
「その時の事、詳しく聞いてもいいですか?」
「構わん、あれは今から四百年程前か……あの日、アイビスと熾天卿……レイチェルの間にいざこざがあっての、レイチェルが鴉を抜けると言うて城を飛び出したのが始まりじゃった」
わたしが鴉を抜ける……というのは初耳だ。ローズは詳しい原因までは知らなかったみたいだし。
「レイチェルが出て行った原因はアイビスにあったようでな、追うに追えんアイビスに代わってジューダスがレイチェルを捜索に出たのじゃ」
「連れ戻そうとしたって事は、やっぱりレイチェルは特別な魔女だったんですか?」
これはアイビスとわたしが本当に恋仲なのかという質問と、ロードのヴィヴィアンだからこそ知っている特別な情報がないか、という二つの意味を込めた質問だ。
「レイチェルはアイビスと婚姻の契りを交わした仲じゃったからな。それに理由はそれだけではない……」
「といいますと?」
またもや新情報、恋仲どころか結婚の約束までしていたのかわたし。
「当時フランス支配を目論む『七罪原』という魔女組織があったのじゃが、レイチェルは以前そこの魔女を監獄送りにしておってのう……たしか『傲慢の魔女ライラック・ジンラミー』と、あと一人誰じゃったっけ……」
ライラック……ライラック・ジンラミーといえば、温泉街の外れで喫茶店の従業員やってた鴉の魔女では?
まさかわたしと面識があったとは……実際に会って自己紹介もしたけど、全然記憶の琴線に触れなかったな。
「まあ、とにかくレイチェルにはその七罪原然り敵が多かったのじゃ。鴉を抜けた事が知れればあらゆる魔女から命を狙われる事になったじゃろう。それを懸念してジューダスも後を追った……筈だったんじゃがのう──」
「ジューダスが裏切った理由は、分からないんですか?」
「正直言ってさっぱりじゃ。余りにも理由が思い当たらんゆえ、痴情のもつれという事になったが……しかしジューダスが惚れた相手を殺すのはどうも納得がいかんしのう」
「……ジューダスは……レイチェルが好きだったんですか?」
なんかおかしくないか、ローズは確かジューダスはアイビスに片想いを寄せていたと言っていた筈だけど。
「そうじゃ、ジューダスの奴は下戸なんじゃが以前無理矢理酒を飲ました事があっての、その時に色々と吐きおったから間違いない」
「……まあ鴉の構成員を納得させるために、此方が勝手にアイビスに片想いをしておったと吹聴したゆえ、殆どの者はそう信じておると思うがのう」
なるほど、ややこしい事を。しかし、そうなってくると益々わたしがジューダスに殺される筋合いが無い気がしてくるのだが……
* * *
【熱川カノン】
太陽がよく出ているとはいえ、この季節の、それも遮蔽物の少ない屋上を吹き抜ける風は些か冷たすぎますの。
にも関わらず、私が昼休みのたびにこうして屋上へ足を運ぶのは、無論友人と一緒にランチをするため……だというのに──
「……今日は随分と寂しいランチになりましたわね」
「ええ、まさかカルタだけじゃなく、櫻子さんとヒカリさんまで休むなんて……」
普段は五人揃ってランチを始めるのに、今日はその内三人が休み。広い屋上に二人きりだと、なんだかいつも以上に風が冷たく感じられます。
というか、ズル休みするなら私も誘って欲しかったですの。
「ちなみにカルタはまだ連絡がつきませんの?」
「ええ、今朝方電話をかけた時は繋がったんですけど……その時まで夜通しゲームをしていたみたいで」
「なるほど、そのまま寝てしまったんですのね」
「……おそらく」
エミリアは大きくため息をついて、視線を傍の弁当箱に落とした。きっとカルタのために拵えたお弁当。まったく、可哀想な仕打ちを。
「それにしても、カルタはともかく櫻子とヒカリまで休むなんて変ですの。エミリアは何か知ってまして?」
見た目通り真面目な櫻子に、見た目に反して割と真面目なヒカリ。今まで遅刻はしても休んだりした事はなかった筈──
「……それが、ここだけの話なんですけど……どうやらあの二人、ついにくっついたみたいなんです」
「あら、本当ですの? それで二人揃って休みという事は……」
櫻子、あれだけヒカリとはそういう関係にはならないと豪語していたのに……どうやら学校をズル休みするほどラブラブですのね。
「私、明日からどんな顔してお二人を見ればいいんでしょうか……昨日、ヒカリさんの家に櫻子さん、泊まったらしいんですよね」
「……あら、それは……ヤッてますわね」
「きゃー、そんな生々しい言い方しないで下さい!」
エミリアは両手で顔を隠して脚をパタパタする。パンツ見えてますわよ。
「エミリア、意外と初心なんですのね。てっきりカルタとはもう済ませているものかと……」
「め、滅多な事を言わないで下さい! 私まだ十六ですよ!? というか、そもそもカルタとはそういうんじゃありませんから!!」
「櫻子も似たような事いってましたの。説得力ゼロですわ」
ついでにその慌てふためきようも説得力を大きく下げてますの。あえて口には出しませんけれども。
「か、カノンさんこそ、なんだかんだ言って凄い余裕じゃないですか……実は彼氏とかいるんじゃないですか!?」
「私の場合、縁が無さすぎて諦めモードに入っているだけですわ……美しすぎるというのも考えものですわよね、高嶺の花には誰も寄ってきませんもの」
「カノンさんは単に理想が高すぎるだけでは?」
「あら、理想もヒールも高いに越した事はないですわ。それが女を綺麗にするんですのよ?」
「……なんか、深いですね」
「ちなみに私、ハイヒールは歩きづらいので好きませんの」
「ええぇぇ……」
──エミリアにはああ言ったけれど、実のところ余裕があるのは諦めているからというだけでは無い。
なんというか、何の根拠もないのだけれど、運命の人がもうすぐ側まで近づいているような……そんな気がするんですの──




