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86.「アラームと不良」


 【レイチェル・ポーカー】


──転移魔法というのは本当に便利だ。なにが便利だなんて言うまでもないが、あえて言わせてもらうと時間を掛けずに移動をできるというのが最高に素晴らしい。わたしも使えないものか。


「──思いのほか時間を掛けてしまいましたけど、まだコーヒーを飲むくらいの時間はありそうです……櫻子さんも飲んでいきますよね?」


 エミリアは言いながら、既に食器棚からカップを二つ取り出している。



──魔女協会セラフでローズから色々と話を聞いた後、わたしは転移魔法でエミリアの家まで送ってもらった。


 送ってもらったと言っても、マゼンタにではない。今日までてっきりマゼンタが転移魔法を使えるものだと勝手に思っていたが、前のアレ(・・)はただ魔法のトランプを使っただけだったようだ。


 実際に転移魔法を使える魔女は別にいたようで、姿は見せてくれなかったがちゃんとここまで転移させてくれた。


「……コーヒーね、凄く飲みたいんだけど……今日は遠慮しとくよ」


「え、なにか急用でもあるんですか?」


「昨日ヒカリの家に泊まったんだけどね、今朝急に魔女協会セラフに飛んじゃったから急いで戻らないと」


 てっきりレイヴンに転移すると思っていたわたしは、それなりに覚悟を決めてヒカリの家を後にしたわけなんだけど……帰ってこれた以上は急いで戻らないと余計な詮索をされかねない。


「……櫻子さん、あんな朝早くから制服を? 靴もしっかり履いていたようですけど……」


 エミリアがわたしに訝しむような目を向ける。カルタと仲がいい割には目聡めざとい子だ。


「ああ、それはあれだよ。ほら、ヒカリの家に学校の用意全部持って行ったつもりだったんだけどね……朝になって忘れ物した事に気がついたから、取りに帰ろうと思って」


「なんだ、そういう事ですか。ちなみにですけど……何故ヒカリさんの家に?」


 わたしの事を不審に思っているのか、それとも単なる興味なのかは分からないけど、エミリアが思った以上にぐいぐいくる。適当にはぐらかさないと……


「なんていうか、わたしも実は……女の子が、恋愛対象みたいで……ね?」


「……ッ!? そ、そうでしたか! 私としたことが、野暮な事を聞いてしまいました、すみません忘れてください!」


 しまった。適当が過ぎたかもしれない。エミリアの頭の中でわたしとヒカリの関係が勝手にアップデートされている気がする。


「いや、わたしこそごめんね、こっちの話も忘れてくれていいから……ていうかむしろ忘れて」


「了解です! 引き止めてすみません、早くヒカリさんの所へ行ってあげてください!」


 うん、全然忘れる気ないよね。もういいけど。


「……そっかぁ、だから急に呼び捨てになったのかぁ」


 本当に目聡い子だな──





* * *




 

「──もう、ヒカリちゃん起きて!」


 ヒカリの家に辿り着いたわたしは、廊下を抜けたところで固まっていた。


 わたしがさっきまで居なくなっていたことも知らずに、未だにソファで眠り続けるヒカリを、必死にわたしが起こそうとしていたからだ。


「もう、ヒカリちゃん起きて!」


「もう、ヒカリちゃん起きて!」


──正確には、わたしの声のアラームが、だけど。


「もう、ヒカリちゃん起……」


 ヒカリの傍らにあるスマートフォンを手に取って、気味の悪いアラームを停止させた。いやはや戦慄が走るとはこのことか……普通に怖いんですけどこの子。


 というかいつの間に録音したんだ。


「……もう、可愛い顔で寝ちゃって……でも起きないと遅刻だよー」


 ソファで縮こまる少女のほっぺを、指でツンツンついてみる。非常に柔らかい。星五つといったところだ。


「……んん、櫻子……ダメ」


 なんの夢を見とるんじゃ。


「もう、ヒカリ起きて!」


 咄嗟に口に出てしまったけど、さっきのアラームみたいで気味が悪い。後で録音データを消すように言っておかなきゃ。



「……櫻子、もうやめて……死んじゃ、やだよ」


「……ほんとに、なんの夢見てるのよ」


 もう今日は遅刻してもいいや。なんだか朝からどっと疲れてしまったし、ゆっくりコーヒーでも飲んでヒカリが起きるのを待とう。


 アラーム勝手に止めちゃったけど、さすがに午前中には起きるだろう。


……起きるよね?


 



* * *





「──ふぁああ、よく……寝たぁ」


 もう何杯目になるか分からないコーヒーを飲みながら、今朝の話をノートにまとめていると、ソファで寝坊助が目覚める気配がした。


「……ッ櫻子!?」 


「こっちにいますよー」


 寝ぼけ頭で昨日わたしが泊まりにきた事を思い出したのか、急に名前を叫んだのでテーブルから返事をした。


「……悪い、寝過ぎた、よな? 今何時だ?」


 わたしの方に振り返ったヒカリちゃんは、一瞬ホッとしたような顔をした後に頭をガシガシかいて、バツが悪そうに視線を逸らした。


「全然寝過ぎてないよ、まだ昼の一時だし」


「あぁクソ、やっちまった……つーか起こしてくれたらよかったのに」


「だってヒカリがあんまり熟睡してるんだもん、それにわたしがベッド取っちゃったから夜寝れなかったんでしょ?」


 ソファ自体も大きくはないし、きっと寝苦しかったに違いない。


「……」    


「……ヒカリ? どうしたの、起きてる?」


 一瞬、何故かヒカリがお化けを見たような顔をして、そのまま黙りこくってしまった。


「……アタシのこと、ヒカリって……」


「え……ああ、これから一つ屋根の下で暮らす仲なんだし、いつまでもちゃん付けってちょっと他人行儀かな、なんて……」


「そ、そうか、まだ夢見てんのかと思ったぜ」


 エミリアにも言われたけど、わたしが呼び捨てにするのがそんなに不自然なのだろうか……まあ、これくらいでわたしがレイチェルだってバレることはまず無いし、特に直すつもりもないけど。だってちゃん付けって煩わしいじゃない。


「あ、コーヒー勝手にもらってるよ。ヒカリのも淹れてあげようか?」


「……アタシはいいや、ちょっと顔洗ってくる」


 ヒカリはそのまま廊下の奥へ消えて行った。


 昨夜もそうだけど、どうしてわたしが急に泊まりにきたのかとか、これからもここに居座るつもりなのかとか、ヒカリは聞いてこない。


「……お人好しな子だなぁ」


 コーヒを一口飲んで、小さく呟いた。


「ん、なんか言ったか?」


「きゃあっ!? か、顔洗いにいったんじゃなかったの!?」


 急に独り言に返事が返ってくるもんだから、本気でびっくりした。


「もう洗ってきたよ、歯もピッカピカだ」


「早すぎじゃない?」


「アタシは朝の支度の速さだけは誰にも負けない自信がある」


 そういえばたしかに覚えがあるな。メールの返信も爆速だった筈だ。


「凄いね、それで朝早く起きれたら完璧なのにねー」


「うわ、そんな事言っていいのかぁ? もう泊めてやんねぇぞ?」


「別にいいよ? ヒカリがダメならエミリアの家に泊めてもらうし」


「な!? 待て待て、何泊でもしていっていいから! ていうかもう住所ここに移そうぜ!?」


 ヒカリが面白いくらい狼狽えて寄りすがってきた。どさくさに紛れて腰に抱きついてきたけど、可愛らしいから勘弁してあげよう。


「よしよし、じゃあ仕方ないからヒカリの家に泊まってあげるよ」


 わたしは金色の髪を撫でながらにこやかに微笑んでみせた。


「……なんか、今日の櫻子意地悪だな」


 ヒカリがジトっとした目でわたしを見上げる。今日のわたしというか、今日からのわたしはずっとこの調子なんだけどね。


「……これが素なんですー」


「なるほど、アタシにだけはありのままの自分をさらけ出せるってことか……結婚する?」


「しません」

 

 ヒカリの了承も得た事だし、当面はここに住む事にしよう。あんな得体の知れない家に住み続けるなんてゴメンだし……。


「……てか櫻子、朝からなに書いてんだ?」


 腰に抱きついたヒカリがぐいぐい身体を押し付けながら起き上がって、テーブルのノートをアゴで指した。


「もう昼なんだけど……まあ、勉強のまとめをね。今日はもう学校休んじゃうから取り敢えずヴィヴィアンのとこにでも行こうかな。ヒカリもくる?」


 ノートには魔女協会セラフで聞いた話を大まかに書き出している。よく分からない単語とか組織も出てきたけど、忙しいローズに全部聞くわけにもいかない。


 それに比べてヴィヴィアンはどうせ暇してるだろうから、そっちに聞きに行こうというわけだ。わたしに関係なさそうな事でも、何がきっかけで記憶が戻るかわからないしね。


「櫻子が行くならアタシも行くけどさ、いつの間に学校サボるような不良になったんだよ」


「言っとくけど、ヒカリがちゃんと起きてくれたらサボったりしなかったんだからね」


「悪かったって、てかアラーム勝手に止まってたんだけど……」


 ヒカリが不思議そうな顔でスマートフォンを覗き込んでいる。


「あ、そうだ。あの気持ち悪いアラーム消しといてね」


「え、やだよ。アタシのスマホはアラームもメールと電話の着信音も、全部櫻子仕様なんだぞ!?」


「全部消しといてね!!」


 

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