85.「裏切りと横恋慕」
【レイチェル・ポーカー】
南京錠の付いた仰々しい箱から出てきた秘蔵の紅茶は、実際飲むとかなり美味しかった。
以前に飲んだ記憶はあっても、やはりわたしは今回初めて飲んだような気分になる。
「──もう四百年以上前になるわね、私が鴉に入ったのは」
椅子に腰掛け、紅茶を一口飲んだローズがゆっくりと語り出した。
「当時私はまだ二十代だったけれど、十歳には魔法を使う事ができていたから自分が魔女だという事は知っていたわ」
「あの頃になると魔女狩りの勢力も随分と衰えていてね、過激な事をする輩もそう多くはなかった」
「──けれど、私の住んでいた村が密告されて火が放たれたの。人間も魔女も関係無し、異端審問にかけることもなく……突然の事だったわ」
当時の記憶を無くした私にも、どれだけ凄惨な光景だったのか想像がつくほどに、ローズの眼は悲痛に満ちていた。
「村の人間の半分が焼け死んで、私も友人を亡くしたわ。そして村から追い出された……今まで私を魔女と知っても優しくしてくれた人達が、親の仇を見るような目で私に石を投げた」
「村を出た後、私の足は自然とこの地へ向かったわ。鴉が魔女を集めている話は噂で聞いていたし、何よりも魔女狩りに復讐したかったの」
「……この地、というのは?」
「元々ここは鴉の本拠地があった場所なのよ、組織が分裂した時に魔女協会がこの土地を譲り受けたの」
なるほど、合点がいった。つまりジョーカーのカードはきっちり仕事をこなしていたのだ。
ただ鴉の本拠地が、時代が流れて魔女協会の本拠地に変わっていただけのことだったわけだ。
「──話を戻すけど、鴉はあっさりと私を受け入れてくれたわ。ちなみにマゼンタが鴉に入ったのも、私とちょうど同じ日よ」
「懐かしいわね、あの時のローズときたら……ふふ」
「……お黙り」
壁にもたれ掛かるマゼンタが声を出さずに笑っている。ローズの黒歴史というやつだろうか。
「ほ、本題に戻りましょう。レイチェルについてだけど、本当に不思議な魔女だったわ」
「……と、いいますと?」
待ちかねたわたしの話に、つい前傾姿勢になる。
しかし、いきなり『不思議』ときたか……。
「なんていうか、一見すると凄く普通の女の子なんだけど、妙に人を惹きつけるものがあるっていうか──目立った活躍を聞かないわりには、怪物みたいな魔女達を差し置いてロードの座についていたし……でも誰も不満に思ったりはしてなかったり──」
「目立った活躍、してなかったんですか?」
せっかく自分のことを知れるチャンスだと思ったのに、なんだかろくな話が出てこない。妙に情けなくなってくるな。
「いや、もちろん他のロードに比べたらって意味よ? 私なんかがこんなこと言うのは恐れ多いけど、ちゃんとやる事はやってたわ」
「そうですか」
故人に対して些か失礼な紹介をしたとでも思ったのか、少し焦った様子でローズが弁明した。真面目だな。生きてるんだけどね、わたし。
「あとは……そうね、彼女の魔法についても謎が多かったわ。ヴィヴィアンと同じ魔法を使えた事もそもそも不思議な話なんだけど、他にはどんな魔法が使えるのかって、当時は色んな憶測が飛び交っていたものよ」
「──ああ、そういえばそんな事あったわね」
マゼンタが懐かしむ様にローズの方を見て微笑んだ。
「……憶測、ですか?」
「ええ、レイチェルはクロバネ以外に使える魔法を秘密にしていたのよ。メンバーは誰も彼女の魔法を把握していなかったわ」
なんと、じゃあ私がどんな魔法を使えたのかわからないじゃない……昔の私のバカめ。
「色々噂が立ってたわよね、やれ手から炎を出していただの、回復魔法を使っていただの……猫に変身したなんていうのもあったかしら」
残念ながらまたしてもアテにならない情報だ。魔女が使える魔法はせいぜい二種類。ロードの私が仮に三種類使えたとしても、今の話では計算が合わない。眉唾である。ていうか、噂だもんね。
「自分の魔法を隠すのって、珍しい事なんですか?」
いつの間にか真剣な顔で話を聞いていたエミリアが手を挙げてそう言った。
「そうね、確かに秘密にする魔女も少なからずはいたけど……レイチェルの場合は話が別よ。組織の魔女からの信頼が無いと普通はロードなんて務まらないもの」
「そういうものですか」
「当時の鴉にはバブルガムみたいなメチャクチャな魔女がわんさか居たのよ? そんな組織を統率しようとしたら、結局は圧倒的な強さがものを言うのよ。個人個人が卓越しているだけに、自分より弱い者には誰も従わないわ」
「なるほど……分かりやすい説明です」
確かにあのバブルガムを従わせるのは生半可な事では無理だろう。それ程までに四大魔女は強力なのだ……実際、ヴィヴィアンもバブルガムのことは子供扱いだったし。
「レイチェルとアイビスの関係については、前にも説明したわよね?」
「ええ、確か……ジューダスっていう人と三角関係だったとか」
ジューダス……顔も覚えていないけど、何故だか胸の奥が少しざわついた。
私を殺した事になっているようだし、彼女についてもよく聞いておかなければなるまい。
「そうね……公言はしていなかったけど、アイビスとレイチェルは恋仲だったの。それ自体は咎められるような事ではなかったんだけど、問題はジューダスもアイビスに恋をしていたということ……決して叶わない横恋慕が、あの悲劇を生んだの──」
わたしとアイビスが恋仲……それを聞いてなんとなくだけど、夢にたびたび出てきた少女はアイビスなんじゃないかと思った。
ジューダス同様やはり顔は思い出せないけど。
それにしても、以前ここに訪れた時は魔女同士の恋愛に衝撃を覚えた記憶があるが、全然他人事ではなかったわけだ……うん、なんとも不思議な感覚である。
「……悲劇というと、ジューダスが同じロードのレイチェルを殺したというやつですか」
「レイチェルだけじゃないわ。ジューダスは他にも十一人の同胞を殺してるのよ」
ローズさんの声が少し震えている気がした。けどそれは、怒りというよりは深い悲しみによるものだと、何故だかそう感じられた。
「……どうして、レイチェル以外の魔女は三角関係には関係ないんじゃないですか?」
「詳しくは私にも分からないわ、ただ殺された魔女達は、皆んなレイチェルを慕っていたから……もしかしたらそのせいで──」
ジューダスがいったいどんな人格の持ち主だったのかはもう覚えていないけど、もし本当にそんな理由だけでそこまでの凶行に走ったのだとすれば、心底わたしのことを憎んでいたに違いない。
「……そうですか、レイチェルが亡くなった時の事は覚えていますか?」
「……ええ、よく覚えているわ」
わたしの質問に、肩をピクリと奮わせたローズは、飲みかけていた紅茶を飲まずにテーブルに戻した。
「──あの日、理由は分からないけれど、レイチェルが急に城を飛び出して……それをジューダスが連れ戻しに行ったの。けれど、ジューダスはレイチェルを連れて帰ってこなかったわ。代わりに酷い傷を負って帰ってきたの……その次に城を飛び出したのは事情を聞いたアイビスだった」
ローズは手元の紅茶に目を落としながら、淡々と続けた。
「そして、アイビスも帰ってこなかった……怪我が治ったジューダスは、アイビスを探すからと、ヴィヴィアンに城を任せて再び姿を消したわ……それが彼女を見た最後になったわ」
「……」
頭の中で状況を整理しながら、当時の事を思い出そうとする。
他人事みたいに聞いているけど、わたしはまさにその時の当事者なのだ。
どうしてわたしは城を飛び出したのか、そして何故わたしの後を追ったのがアイビスではなくジューダスなのか、知っている筈なのに──
「──アイビスが大怪我をして帰ってきたのは、一月も経ってからだったわ……ボロボロになった彼女は魂の抜けた様な様子で、ただ一言『ジューダスが裏切った』と。ヴィヴィアンが問い詰めてようやく、レイチェルとその捜索に加わっていた魔女が死んだ事が分かったわ」
「その後、ヴィヴィアンが遺体を回収しに行ったらしいけど、とてもどれが誰の遺体か判別できる様な状態ではなかったそうよ」
……ということは、その辺りの詳しい話はヴィヴィアンに聞けば分かるということか。
「……あの、遺体が判別できないんだったら、もしかしてレイチェルがまだ死んでない可能性もあるんじゃないですか?」
根拠はわたしだ。なにせ実際に死んでないわけだからね。
「いいえ、アイビスはハッキリ見たそうよ。目の前でレイチェルのクビが飛ばされるのを……」
「……そ、そう、ですか」
いくらなんでもそれは信じられない。きっと何か誤解があったとか……見間違えたのかもしれないし……
思わず自分の首筋を触った。まさか、本当に切れてないよね?




