83.「ぬいぐるみとトマトパスタ」
【安藤テン】
──魔獣災害の爪痕が残っているのは、なにも旧都に限った話ではない。
新都の南区にある工業団地の、そのさらに奥……工業汚水がどす黒く染め上げた海に、溶け込むような小汚い埋立地。
俺達の故郷は、魔獣災害の負の遺産を詰め込んで蓋をしたような、まさしくゴミダメみたいな場所だった。
──通称、『ミナト』
災害時に溢れた犯罪者、魔女の台頭により政府と縁の切れたヤクザ、海外ギャングに不法移民──災害収束直後、魔獣の事後処理に躍起になっていたお偉い連中は、あらゆる面倒事をひとまとめにしておく場所が欲しかったんだろう。
この場所では法律なんて便所の紙にもならない。弱いものを強いものが支配し、さらに強いものがそれを支配する。
暴力と血の世界。
妹はそんな場所で産まれた──
* * *
「──お兄、私もうダメかも」
ボロボロのベッドに横たわったオルカが、ぽつりと呟いた。
「ダメって何がだ?」
俺はナイフでリンゴの皮を剥きながら、妹の様子を確認する。顔色は悪くないが、表情は暗い。
「……もう一週間ベッドの上なんだよ? 暇すぎて死んじゃうよぉ」
十一番実験体捕獲作戦から今日で一週間、オルカが目覚めてからは四日目となる。
もう歩き回ってもいいのだろうが、念のためまだ安静にしおいてほしいところだ。
「よし、じゃあしりとりでもするか?」
「わぁ、それ最高。お兄は一生彼女出来ないね」
「な、なんでだよ!」
しりとりなら寝転んだままでも出来るし、二人でも出来る。いい案だと思ったんだが……。
「しりとりって、子供じゃないんだから」
「でもお前好きだろ?」
昔、叔父御がよく俺やオルカを集めてしりとりをやらせたもんだ。
フカとかギラは嫌がっていたけど、オルカはしりとりが大好きだった。
今になって思うと、叔父御は俺たちにいろんな言葉を教えようとして、しりとりばっかりさせていたのかもしれない。
「私がしりとり好きとか、いつの話してんのよ、もう卒業したもーん」
「……じゃあオルカは何がしたいんだ?」
「この前行ったゲーセン行こうよ! あのシャチのぬいぐるみもうちょっとで取れそうだったじゃん!」
水を得た魚のようになったオルカが、布団をバンバン叩いた。きっと言い出すタイミングを窺っていたんだろう。
「あー、ゲーセンはダメだ。まだ身体が本調子じゃないんだし、ここで出来る事にしよう」
「身体なんてもう大丈夫だよぅ! 早くゲーセン行かないと商品入れ替わっちゃうじゃん!」
「ダメだ! 外装骨格展開したうえ、紫雷の魔女からも一発もらってるんだぞ!? あともう一週間は安静だ!」
「……もう、過保護過ぎー。じゃあお兄が代わりに取ってきてよ、ぬいぐるみ」
よほどあのぬいぐるみが欲しいのか、いつになく食い下がる。
「それもダメだ、お前を一人に出来るわけないだろ」
「はぁ、そんことばっか言って、お兄が行ってくれなきゃこっそり一人で行っちゃうからね」
オルカが舌をべぇっと出してそっぽを向いた。ここまで聞き分けのないことも珍しい、本当に一人でここを抜け出されても困るしな──
「……むう、分かった。俺が代わりに行ってくる」
「マジ!? やった!」
あと一週間は缶詰めになるし、ぬいぐるみで大人しくなるのなら、後顧の憂を断つつもりで従うか。
「その代わり、俺がいない間もしっかり安静にしてろよ? 電話もすぐに出れる状態にしておくこと」
「分かってる分かってる! お兄大好き! きっとすぐ彼女できるよ!」
我が妹ながら手のひら返しが凄まじい。
「……別に彼女とか欲しかねえよ」
* * *
【平田正樹】
「──はぁ、久々の外は気持ちがいいですね! 気分はジューンブライドです!」
「半年気が早ぇよ」
クズハラマイを名乗る女をバーンズに引き渡してから三日──こころは既にいつもの調子を取り戻している。
「もう、ダーリンちょっと暗いですよ? せっかくの快気祝いなんですから、パーっとマイホームでも買いましょうよ!」
「規模がでけぇわバカ、普通に外食とかでいいだろ」
「ちなみにわたくしは平家がいいです。マンションはどうも好きませんので」
「聞けよ」
ちなみに俺は二階建てでもいい、庭が広かったらそこで柿を育てたい。
「それにしても、他の方はまだ安静ですか。回復魔法使えないって損ですよね」
普通、外装骨格を展開したら副作用で一週間は動けない。
数ある魔法の中でも、珍しい回復魔法を使える俺達だから、三日そこらで歩き回ったりすることがで来ているのだ。
「安藤兄妹の魔法が回復魔法だったら確実に全滅してたぞ。バランスってもんがあるだろ」
「確かにあの魔法は強烈でしたね、かなり初見殺しの魔法ですし、あのまま戦えば案外紫雷の魔女も倒せたんじゃないですか?」
「バカ言うな、姉狐もお前も殆ど戦える状態じゃなかっただろ、それに鴉の奴らは基本的にツーマンセルだ。紫雷以外にも近くにいたかもしれん」
「なるほど、さすがダーリンです。そこまで考えていませんでした」
こころが言いながら俺の膝に腕を回してきた。
島を襲撃してきたXの時といい、今回の紫雷の魔女の件といい、本当に俺たちは悪運が強い。
「で、なんか食いたいもんあるか?」
「はい! わたくしダーリンが作ったパスタが食べたいです!」
「……トマトのやつ?」
さっきまで快気祝いで家を買おうとしていた奴にしては、随分と質素なご要望だ。
高級フレンチとか言い出すかと思っていたが──
「はい、あの酸っぱいのが美味しいんです!」
「じゃあ、買い物して帰るか」
そういえば、学生時代に初めて家で作ってやったのがトマトパスタだったか……あの時は酸っぱい酸っぱい言って文句垂れてたのにな。
「帰る家も新しく買いましょう! 平家で!」
「だから家は買わねぇよ!」
* * *
【エミリア・テア・フランチェスカ・ヘルメスベルガー】
──正直私は朝に弱い。低血圧とかそういうわけではないのだけれど、どうしても身体がベッドから離れない。
目覚まし時計を無意識に氷漬けにしていた時なんて、後から発見して戦慄したものだ。
七年間も隔離されたのにこのザマでは、また魔女協会に連れ戻されかねない。
だから今朝は、いつもよりも気合を入れてベッドとの決別に向き合った。
大奮闘の末、午前六時に起床するという快挙を成し遂げた私は、熱いシャワーで完全に覚醒した。
「……まだ時間あるし、たまにはカルタも早起きするべきよね」
現在六時四十分、どうせ学校があるわけだしモーニングコールをしてあげよう。
昨日夜中まで電話して夜更かししたのに、カルタだけたくさん寝れるなんて不公平だし。
──何回目かの呼び出し音の後に、電話が繋がった。
『……もしもし、エミリア?』
予想外にも、寝起きとは到底思えないハッキリとした声だった。
「おはようございますカルタ。エミリア・テア・フランチェスカ・ヘルメスベルガーが、午前六時四十分をお知らせします」
『ふふ、なに? 可愛いのと時間は分かったけど、こんな時間にどうしたの?』
寝起きじゃないにしても、このハキハキとした喋り方は間違いなくゲームモードのカルタだ。
もしかして徹夜でゲームしてたのだろうか。
「昨日言ったじゃないですか、今朝は魔女協会で定期報告があるんです。早起きしたついでにカルタにモーニングコールしてあげようと思ったんですけど……必要なかったみたいですね」
『そんな事ないよー、お姉さんエミちーからの電話ってだけでご褒美だよ? もうね、ご飯三杯は朝飯前って感じ」
「カルタ、朝ご飯の前にご飯三杯も食べるんですか?」
『おっと、天然? それは天然なのかいエミリアちゃん!?』
ゲームモードのカルタにしても、テンションがいつもよりも高い気がする。徹夜してハイになっているのか。
「もう、わけわからない事ばかり言っていないで、ちゃんと学校の支度もしないとダメですよ? ていうか、昨日ちゃんと寝たんですか?」
『実を言うと今までゲームしてました』
「知ってます」
案の定廃人じみた事をしていたカルタ。真剣に彼女の将来が心配だ。
『まあ、学校でしっかり睡眠とるからモーマンタイだし』
「問題有りまくりですよ、進級できなくても知りませんからね」
『二回留年したらエミちーと一緒の学年になれるじゃん』
「バカ」
──とは言ったものの、カルタと同じ学年になったのを想像すると、頬が緩むのを抑えきれなかった。
電話越しの会話でよかった。こんな顔カルタに見られたら恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだ。
『バカって言いつつ実はニヤけてたりして?』
「……ッ!?」
エスパーか!!




