81.「スノウとデート【中編】」
【辰守晴人】
「──こんな寒いのに、なにが悲しくて泉の前でご飯なんて食べなきゃならないのよ。人間ってほんと不思議な生き物だわ」
「初デートは泉の前で弁当を食べるってのが、最近の若者の間では常識なんだよ」
「悪かったわね、若者じゃなくて」
鴉城の側には馬鹿でかい泉がある。
ローマ辺りに行けば観られそうな、凝った彫刻が施された造りで、コインを投げ込みたくなる系のやつだ。
俺とマリアは現在、その泉の縁石に腰掛けて、先程拵えた弁当を広げている。
「ちなみに弁当を食べた後は、後ろ向きにコインを泉に投げ込んで、ニ礼二拍手一礼した後最後に三回回ってニャーと鳴いてからお願い事をするってのも常識だ」
「そんなことまでするの? 人間ってほんと……」
そんなわけないだろう、真っ赤な嘘だ。
「詳しいやり方は後で教えるから、取り敢えず先に弁当を食っちまおうぜ」
「はいはい、もう好きにすればいいわよ」
何故俺がこいつと仲良く弁当をつつこうとしているのかというと、理由は好感度上げと嫌がらせだ。
他人の心を掴むにはまず胃袋からという言葉がある。俺が本気で作った弁当を振る舞っているのはそういう理由だ。
そしてこんなクソ寒いなか、泉の前を選んで嘘っぱちの謎儀式を教え込んでいるのは単なる嫌がらせだ。
この女は未だに俺のことを殺そうとしているからな。ささやかな反抗というやつである。
好感度を上げれば俺を殺す考えを改めるかもしれない──が、多分そうならないし、普通に抗議すればボコボコにされるだろう。
この二つの要因を考慮した結果、もてなしつつ嫌がらせするというなんとも破綻したデートを繰り広げている訳だ。
「……まあまあ、美味しいじゃない」
唐揚げを一口食べたマリアが、泉を眺めながらボソッと呟いた。
「そりゃどうも、ちなみに一番の自信作はだし巻きだ」
マリアは弁当箱のだし巻きをジロリと一瞥したが、箸が掴んだのは再び唐揚げだった。
まあまあとか言って実は唐揚げ気に入っただろ、コイツ。
「ふぅん、タツモリのくせに料理とか出来たのね」
「……人間のくせに、みたいな言い方やめろや」
俺はおにぎりを片手に、泉の中を悠々と泳ぐ魚を眺める。見たことない魚だけど、なんていう種類なんだろうか。
「……最近、スカーレットがまともな料理作るようになったみたいだけど、タツモリが一枚噛んでたりするわけ?」
驚いたことに、マリアの方から話を振ってきた。弁当を食って多少機嫌が良くなったのだろうか、依然として仏頂面だが。
「スカーレットは元々料理が下手ってわけじない。料理の最後に呪いをかける癖があっただけだ」
あの、んじゃひぬぬぺっぺとかいう全然隠れていない隠し味、あれはもう封印だ。
「……呪いね、昔あの子が作ったカレー食べたんだけど、一週間は地獄を見たわ」
「え、もしかして全部食ったのか?」
「出されたものを残すわけにはいかないでしょ」
驚愕だ。まさかあのクトゥルフ飯を完食した猛者がいるとは。作った本人ですら一口で卒倒する代物だぞ。
「マリアって、実はいい奴だったりして?」
「私、あの日からスカーレットには優しく出来ないの。それと、心の底からタツモリは死ねばいいと思ってるわ」
なるほど、確かに自分に毒を食わせた相手を嫌いにならない方がおかしいか。いつかの二人のやりとりも、そういう因縁があったんだな。
まあ、それを踏まえた上でもやはり嫌な奴だが。
「……俺が死んだらその唐揚げ食べれなくなるけどいいのかよ」
「……レシピだけ遺しときなさい」
弁当箱の唐揚げは、あっという間に無くなった。
* * *
「──そうそう、もうちょっと右、あー行き過ぎだ……ちょっと戻して、よしそこだ」
「……っとに、めんどくさいわね」
ぶつくさ言いながらも、弁当を完食したマリアは大人しく儀式に取り組んでいた。
マリアが後ろ向きに投げた硬貨が、ポチャンと泉に落ちる。ナイスコントロールである。
「お、ちゃんと入ったぞ」
「こんな馬鹿でかい泉、外せって方が難しいわよ。で、もういい?」
「まだまだ、次は泉に向かって二礼二拍手一礼だ」
初詣かよ、と心の中でセルフツッコミを入れる。
「……はぁ、初詣じゃないんだから」
偶然にもツッコミがシンクロしたマリアは、言いながらきっちり泉の神様に頭を下げて手を合わせている。
この泉に神様がいるとか知らんけど。
「ナイスフォーム! じゃあ最後は三回回ってニャーだ!」
「……それ、ほんとにアンタら皆んなやってるの?」
「最近の若者は皆んな心を病んでるんだよ! あんまり触れてくれるな!」
我ながら全国の若者を敵にまわしそうな嘘だな。
「言っとくけど、これやったらもう帰るからね」
「おう、恥ずかしがらずに全力でやれよ!」
「この私が何に恥ずかしがるってのよ」
マリアは呆れたようにそう言って、頼んでもいないのに泉を囲む縁石の上に飛び乗った。
そんな目立つところで面白いことしてくれるのか、笑いを堪えられないかもしれないぞ。
「……三回回って……ッえ、ちょ!?」
「……あ、落ちた」
マリアが落ちた。
縁石の上でクルクル回ったマリアが、急にバランスを崩して泉に頭から落ちていった。
落ちた拍子に脱げたローファーが、俺の前に転がっている。
よく見るとこのローファー、かなりヒールが高いうえに、根本からボッキリ折れている。
なるほど、これでバランスを崩したわけか。体の張り方が芸人みたいだな。
「マリア、大丈夫か?」
「……ッぶ、うぶ……あ、たす、けッ」
縁石に乗って泉に落ちたマリアに声を掛けるが、何やら一人で忙しそうだ。
「……お前なにしてんだ? 溺れたフリなんかしても絶対助けないぞ。どうせ俺を引っ張り込むつもりだろ」
正確な深さは分からないがこの泉は一メートルもないだろう、溺れるわけがない。
「……ん、んぶ……あ、」
──しかし、マリアは溺れたフリを止めようとしない。それどころか段々と沈み始めた。
「……え、マジで溺れてんのか?」
「……」
とうとうマリアは泉に沈んで動かなくなった。
マジで溺れてるんかい!!
「……ッ!」
俺は持っていたローファーを放り捨てて泉に飛び込んだ。
泉は入ってみると案外深く、俺の胸の辺りまでは水嵩があった。急いでマリアを引き上げ、陸に上げる。
「マリア、大丈夫か!? おい!」
意識の無いマリアを仰向けに寝かせて頬をぺしぺし叩くが、全く反応が無い。それどころか──
「……息、してない」
口元に手を当てると、息をしていなかった。
──やばい、どうする!? 救急車……スマホ無ぇよ! てかここがどこかもわかんねぇし!
「……人工呼吸か!!」
テンパリにテンパった挙句、小学生でも分かりそうな対処法にようやく思い至った。
俺は無我夢中でマリアの口に息を吹き込んだ。
片手で鼻をつまんで、片手で顎を上げる。そして口から息を吹き込む。人工呼吸ってこれで合ってるっけ!?
「……ッごほ、ぇほ、こほ、こほ」
「……マリア!」
マリアが口から水を吐き出した。意識も戻ったらしく、胸を押さえながら何とか起き上がろうとしている。
「……はぁ、はぁ、タツモリ、アンタ、早く、助けなさいよぉ」
「いや、まさか本気で溺れてると思わなくて」
本当に無事でよかった、こっちの心臓が止まるかと思った。
「……悪かったわね、魔女のくせに、泳げなくて」
「いや、そういう意味で言ったんじゃ……とにかく無事でよかったよ」
しかし、泳げないにしても足がつくところで溺れるのか。泳げない人ってそんなもんなのか?
「……タツモリ」
「なんだよ、まだなんか文句があんのか?」
ずぶ濡れのマリアがジロリと俺を睨んだ。さすがにこんなナリじゃ覇気が無いな。
「ちがうわよ、その……助かったわ」
「……それは、お礼を言ってると解釈していいのか?」
「……勝手にすれば」
素直じゃ無いが、こいつにも礼を重んじる心があったとは──しかし、何故睨みながら言うんだ。




