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80.「スノウとデート【前編】」


 【辰守晴人】


──暖かいような、くすぐったいような、痛いような、気持ちいいような、不思議な感覚を掌に覚えて、俺は目を覚ました。


 部屋は真っ暗、隣にはイース。


 そうだ……昨日、っていうか、さっき酔っ払ったイースを寝かしつけたんだった。


 目線を手にやると、イースが俺の手を握ったまま手をもぞもぞさせていた。


「……イース、起きてるんですか?」


「……んー、分かんなぃ」


 起きてるな。しかもまだ酔っ払っている。


 今は一体何時だろうか、少しは寝れた気がするけど。


「イース、動けそうですか? 起きてるんなら自分の牢屋に戻って欲しいんですけど」


「……やだ」


 駄々っ子か。


「もうすぐスカーレットが朝食を持ってくる時間ですから、わがまま言わないで下さい」

  

 実際には今が何時かは分からないから、スカーレットがすぐに来るかどうかは分からんが。


「……んん、じゃあ、いっこだけ、お願ぃ」


「なんですかー」


 また水か? いや、イースの事だからあるいは酒ということも……


「……えっちしよぉ」


「……はい?」


 なんて?


「……やったぁ、はつえっちだぁ」


「いやいや! そのはいじゃないですから!?」


 俺が意味を理解した時には既に、イースが馬乗りになってきていた。


「わらひのおっぱぃみたい?」


「……み、見たい……じゃなかった! 見たくないです! どいてください!」


「ふひひ、抱いて下さぃとか、可愛ぃかよぉ」


 言ってねぇ!! 服を脱ぐな! そしてズボンを脱がそうとするなぁ!!


「ストップ! ストップです!! 落ち着いて下さい! 深呼吸して!!」


 正直俺のが落ち着いていなかった。俺こそ深呼吸するべきだろう。でも初めてがこんなのはあんまりだ。もっとこう、ロマンチックなアレコレがあって然るべきだろうに。


「……あい、深呼吸」


 幸い酔っ払いはズボンから手を離して、大きく深呼吸を始めてくれた。


 危うく純潔を散らされる所だった。


「……イース、いい加減にしないと無理やり向こうに連れて行きますからね」


「……う」


「……う?」


 やばい、また泣き出すのか!? 泣くのは勘弁してくれ──


「……うぇぇええ」


「……ッぎゃあああああああ!?」


 イースが吐いた! イースが吐いた!


 俺に馬乗りになった状態で吐いた!


「……ぅっぷ、ぎぼぢわるぃ」


「ま、待ってください、これ以上は……」


「……おぼろろろろろ」


「……ジーザス!」


──数分ほど放心した。


 吐くだけ吐いたイースは、俺の身体にもたれかかって意識を失っている。


 つまり最悪なことに、今イースと俺の間でゲロがサンドイッチされているのだ。


 そういえばフーと初めて会った日も、お腹にお漏らしされたっけ。


 ゲロも最悪だけど、あの時に比べればまだマシかもな。なにせあの時はタイミング悪く龍奈がやって来て──



「──晴人君、朝ご飯持ってきたよ。灯りつけるね?」


 そう、タイミング悪く、正にこんな感じで……


「……す、スカーレット? 落ち着いて下さい、話せば分かりますから」


 部屋の灯りに照らされて、俺とイースの悲惨で凄惨な姿があらわになる。


 いや、はたから見れば俺とイースがただ抱き合って眠っているように映るかもしれない。実際はとんでもないものを身体と身体の間に挟んで封印しているのだが……


 スカーレットは余りにも驚いたのか、持っていた料理を地面に落とした。

 

「……は」


「は?」


──ってなんだ? 俯いたスカーレットはよく見ると小刻み身体が震えている。


「……晴人君のバカッ!!」


「ッあべし!?」


 スカーレットの尻尾ビンタが炸裂した──





* * *




──お怒りのスカーレットさんからビンタをもらった後、なんだかんだで誤解は解けたのだが、部屋の掃除やら服の洗濯やらで朝食を食べる時間なんてなかった。


 気がつけばもうスノウが牢屋に迎えにくる時間だ。


 あのスノウが本当に俺とデートする気があるのなら、だが。



「──おはよう、待った?」


「……え」


 デート開始の時間から十分後、本当にスノウがやって来た。


 てっきりもう来ないものだと安心していたので、返事もできなかった。


「……な、なによ、十分待たせたくらいで文句でもあるの?」


 それにスノウの態度もなにかおかしい。依然嫌な奴なのは否めないけど、妙に口調が柔らかくなった気がする。


「……べ、別に文句はないけど」


「貴様ッ、じゃなかった、アンタ……なんでタメ口なの!? 私の方が歳上なんだけど!?」


「悪いけど、お前に敬語使う気は無いんでね」


 今確かに貴様って言って、言い直したよな──だんだんとスノウの考えが読めてきたぞ。


「……ッく、百歩譲ってタメ口は許すけど、私のことはきちんと名前で呼んで!」


「そっちこそ、俺の名前知ってんのか? 名前で呼んで欲しいなら俺の事も名前で呼べよな」


 かなり強気に出たものの、実際のところスノウがキレたら俺なんて即殺されるだろう。


 だがこいつ相手に下手したてに出ればあっという間につけ上がるだろうし、それに俺の考えが正しければ多少生意気なことを言っても問題は無いはずだ。



「……スノウ・ブラックマリアよ」


「辰守晴人」


 俺は差し出された手を握り返した。   


 フルネームは初めて聞いたけど、お互い今からデートしようって相手の名前も知らないなんて、よく考えれば妙な話だったな。


「アンタのことタツモリって呼ぶから、私のことはブラックマリアでいいわ。間違ってもスノウって呼ばないでよね」


「……ブラックマリアね、長いからマリアじゃダメなのか?」


「……勝手にすれば」


 スノウ……もといマリアは、プイッと背中を向けて階段へと歩いて行った。


「マリア、どこ行くんだよ」


「デートなんだから外に決まってるでしょ、それにタツモリ、アンタの部屋なんか臭いのよ」


 失礼な、それはイースがゲロ吐いたからだよ!


──それにしても、ブラックマリアってどこかで聞いた気がするな。どこで聞いたんだったか……。





* * *



──城へと続く林道で、数メートル先を歩くマリアが急に振り返った。


「……ていうかタツモリ、何で普通に私服着てるのよ」


「なんでって、これしか持ってないからな」


「はあ? 私だけ制服とか着て馬鹿みたいじゃない」


「別に似合ってると思うけど?」


「こんな恥ずかしい思いして、その上似合ってなかったら最悪よ」


 マリアが着ている制服はスカーレットが着ていたのと同じブレザータイプだ。


 だが、中にパーカーを羽織っていたりチョーカーを着けていたりと、真面目なスカーレットとは真逆の印象だ。

 

「ちなみにまだ聞いてなかったけど、今日のデートプランは?」


「私の部屋で映画観る予定だけど」


 思いのほかまともな案である。ただバブルガムの時はこれに騙されたからな。


「映画かー、バブルガムとデートした時も観たんだよなー」


「え、そうなの? 案外まともなデートしてたのね」


「まともかどうかは別だけどな、スカーレットとは部屋の掃除をしたし、バブルガムは映画だろ、ライラックとは筆談とゲーム、イースは……まあ色々したかな」


 改めて振り返るとデートらしいデートなんてほんとにしてないな。フーと一緒に行った温泉が、一番デートらしかったのかもしれない。


「私、デートとかした事ないの。映画が嫌ならタツモリも一緒に考えてよね」


「デートした事無いって、マリアは好きな奴とかいないのか?」

 

「……それくらい、いるわよ。ていうか、仮にもデート中になんて事聞いてんのよ」


「それもそうだ、すまん」


 好きな相手はいるけどデートはした事が無いと、こりゃ片想いだな。


「……正直に言うと、アンタを私に惚れさせて結婚した後に、この手で処刑してやるつもりだったけど……ダメね、もうぐだぐだよ」


「正直に言い過ぎだろ……察しはついてたけどな」


 思った通り、マリアは俺を殺すためにデートに参加していたわけだ。


 おそらく本当はもっと猫を被ったり、媚を売ったりする予定だったのかもしれないが、いざ俺を目の前にするとそんな事出来なかったのだろう。


「で、どうする? まだこの茶番続けたい?」


 冷たい風に吹かれながら、マリアが自虐的な笑みを浮かべた。


 俺に質問しているが、これはもう本人がやめたいと言っているようなものだ。


「……そうだな、デートの日はスカーレットが昼飯持ってこないから、昼飯食うまでは続けようと思うけど」


 ライラックとのデートの日は大変ひもじい思いをしたからな。だがこれはまだ理由の半分だ。


 俺の返事が予想外だったのだろう、マリアは驚いたような呆れたような、複雑な表情になった。


「……これだから人間は」


「ちゃんと名前で呼べよな、マリア」



 まだデートは終わらせない。


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