79.「イースとデート【後編】」
【スカーレット・ホイスト】
「……今朝は冷えるわね」
ぽつりと独り言が溢れた。
今日の朝餉は焼き魚とだし巻き卵、シラスの大根おろし和えに、冷奴。隠し味は……切らしているので入れていない。
冷え切った外の外気で料理が冷めてしまわないように、私は足早に地下牢へ向かった。
私の魔法もイースみたいに炎を操れたなら何かと便利だっただろうに、残念ながら真反対の氷魔法──
料理を冷ますことは出来ても温めることはできないのだ。
──地下牢への長い階段を、魔法を使って落下するように降りていく。重力を操れる魔法だけは、唯一私の自慢だ。
早く会いたい──
気づけば一日中彼のことを考えている。
誰かをこんなにも好きになるなんて、いったい何百年ぶりのことだろうか。
私の初恋の相手は、私に愛を与えてはくれずに、心に傷だけを遺していった。
けれど、今私が焦がれている彼は、その傷を癒してくれたのだ。
先日勢いでキスしてしまったけど、晴人君は私と普通に接してくれている。
嫌われてないってことは、つまり期待しちゃってもいいってこと……なのかな。
広間に着いて、真っ先に晴人君の牢屋を見る。
ライラックとのデートの日に、何かトラブルがあって壊れたらしい扉は、修理されることもなくそのままだ。
この時間、いつもなら晴人君は既に起きている筈だけど、どうやら部屋に灯りはついていない。扉が無いからここからでも部屋の中が暗いことはよく分かるのだ。
きっと昨日はイースの相手をしたから疲れたのね。イース、晴人君に酷いこととかしてなきゃいいけど──
晴人君をこのまま寝かせておいてあげたい気持ちもあったけど、今日のデート相手はスノウ……寝坊なんてしたら晴人君がスノウに何をされるか分かったもんじゃないし、可哀想だけど起こそう。
べ、別にどうしても晴人君の顔が見たいとか、そういう気持ちはこれっぽっちも無いけどね?
「──晴人君、朝ご飯持ってきたよ。灯りつけるね?」
私は両手に料理を乗せたお盆を持ったまま、尻尾を使って照明のスイッチを押した──
* * *
【辰守晴人】
「──イース、本当にこんな事して大丈夫なんですか? バンブルビーに見つかったから怒られるんじゃ……」
「ビビってんじゃねぇぞ晴人、 バンブルビーが怖くて盗みができるかよ」
時刻は深夜零時をまわった頃。
俺とイースは二人で地下牢を抜け出し、バンブルビーが倉庫にしていると言う部屋に酒を盗みに入ろうとしていた。
「そもそも、何でイースはあっちこっちの部屋の合鍵なんて持ってるんですか?」
倉庫というだけあるのだから、勿論部屋には鍵が掛かっている。だが、何故かイースはその部屋の合鍵を持っているらしいのだ。
「あぁ? こいつぁ俺様が作ったんだよ。本物の鍵の形をきっちり覚えてな、寸分違わず精製した贋物だ。まあ、魔剣ならぬ魔鍵ってやつだな」
なるほど、確かに魔剣を作る要領で鍵を作れても不思議ではない。しかし、あんな小さな物を精巧に作るなんて卓越した技術だ。
素直に尊敬に値する──使い道は最低だけど。
「力って、使う人によって善にも悪にもなるものなんですね」
「よせよ、照れるだろ」
さすがイース、この思想だから何度も牢屋にぶち込まれてきたのだろう。
「……よし、ここだ。待ってろよ俺様のお酒ちゃん達ぃ」
バンブルビーが倉庫代わりにしているという部屋の前につくと、イースはそれはそれは悪い顔をしながら鍵を開けた。
きっと世間の泥棒達もこんな顔するんだろうなぁ。
「……うわ、中結構ぎっちり詰まってますね」
「バンブルビーの奴、収集癖があるからなぁ。まぁスカーレットのバカと違って整理は出来てるから文句は無ぇが」
部屋に入ると、左右に天井まで届く四段ラックが設置されていた。ラックの隙間から、奥にも同じラックがあるのが見える。
どうやら本格的に倉庫代わりにしているらしい。
「スカーレットの部屋も今は綺麗なんですよ? 俺が掃除しましたからね」
「けっ、よくあんな汚ねぇ部屋の掃除なんか出来たもんだぜ」
「……イース、あの部屋にお酒隠してましたよね」
部屋の壁に穴まで開けてたし。
「おう晴人、無駄口叩いてねぇでさっさと酒を探せ」
思いっきり話を逸らしたな。
「……それにしてもほんとに色々ありますね、これは制服? こっちは、本?……全然読めない」
倉庫のラックには多種多様な物が陳列されていた。一目で何か分かるものもあれば、よく見ても何だか分からない物もある。
本棚のようになっていた箇所から無造作に抜き取った本は、字が手書きだったが英語で読めない。
「……おい、だから遊んでんじゃねぇよ」
とかなんとか言いつつ、イースは俺から本をひったくると、ページをパラパラめくって読み上げ始めた。
『やはりヴィヴィアンはアイビスと袂を分かつようだ。ウィスタリアやホアンを始め、古参のメンバーも多くヴィヴィアンに賛同している。若手のローズ達はどうするつもりだろうか……』
数ページめくるイース。
『──ヴィヴィアンが新しく創設する組織はセラフという名前になるらしい。レイチェルへの手向けのつもりなのか、魔女狩りにしてみればこれ以上の皮肉は無いネーミングだ』
さらに数ページめくるイース。
『──結局ほとんどの魔女がヴィヴィアンに賛同した。今のアイビスの状態を考えれば当然でもあるが……。それにしても、置き土産にブラックマリアを残していくなんて、最後までめちゃくちゃな女だ』
そこまで読んで、イースがパタンと本を閉じた。
「……日記、みたいですね」
「鴉分裂前ってこたぁ、ざっと四百年前ってとこだな……面白ぇからこれも持って帰るか」
四百年前の日記……色々と規模が大きすぎて頭が麻痺しそうなフレーズだ。普通、博物館とかにあるような物じゃ無いのか?
確かに大変興味をそそられる本ではあるが──
「さすがに人の日記をくすねるのはどうかと思いますよ」
博物館とかに置いてあるうん百年前の日記とは違うのだ。何が違うって、書いた本人がまだご存命なのだ。
盗み見したのがバレたら、とんでもない目に遭うこと請け合いだ。
「バァカ、バレるまではくすねた事にゃならねぇんだよ」
「一周回ってカッコいいですね」
しかしそこはさすがイース。後先なんて一切考えていない。正直バカはアンタだと言いたい。
「惚れ直しただろ?」
惚れ直すか!
──その後、バンブルビーに没収されていたという酒を無事に発見し、俺たちは地下牢へと戻った。
* * *
心地よい朝、地下牢へ差し込む光なんて勿論無いが、陽光を浴びて目覚めたような、妙に晴れ渡った気分だ。
時計を見るとまだ六時前だが、せっかく目が覚めたのだから魔剣の修行でもしようかと、ベッドから起き上がろうとした……その時。
「……ッな、身体が、」
身体がベッドから動かなかった。金縛りというやつだろうか、動かないばかりか段々と苦しくなってきた。
まるで身体を大蛇に締め付けられているかのような圧迫感に、呼吸が詰まって骨が軋む。
「〜〜ッ!?」
追い討ちをかけるように、俺の顔に何かが張り付いてきた。顔全体が謎の物体に覆われ、完全に息が出来ない。
苦しいのを通り越し、段々と謎の多幸感に身体が包まれ始めた時、ふと以前の記憶が脳裏を過った。
──この感触、この圧迫感……マシュマロだ。
「……ッぶはぁ!?」
目が覚めた──が、目よりも先に口が空いた。
酸素を求めて俺の口が勝手に、餌を求めるコイのようにパクパクと動いた。
何とか肺に空気を取り込み、視界の情報を整理する余裕が生まれてきた。
眼前には巨大なマシュマロ山脈──もとい、立派なお胸があった。
そして、山が有れば谷も有るわけで、どうやら俺は寝ている間に顔面を深い谷底に押し付けられていたようだ。
おまけに身体はガッチリと尻尾と太ももでホールドされている。
「……い、イース?」
「……うぅ、料理酒しかねぇだとぉ、むにゃ、じゃあそれでぇ」
完全にイースだ。何故かは分からないが、分かりたくもないが、俺はイースと同じベッドで寝ている。
いや、そんな仲睦まじい表現では語弊がある。
俺は何故かベッドに不法侵入してきたイースに絞め殺されそうになっている……が正しい。
「イース、起きてください、何で俺のベッドで……ていうか、酒臭」
「……むぅ、消毒用アルコールしかねぇのかぁ、むにゃむにゃ、じゃあそれで』
だめだ、全然起きる気配が無い。それに消毒用アルコールは飲んじゃだめだろ。
「い、痛たたッ、ほ、骨が折れる! イース、イース!」
体に巻き付いている尻尾が、万力のような力で締め付けてくる。寝相が悪いなんてレベルじゃない!
このままではイースの抱き枕にされて殺される──
「……むがあああぁッ!!」
俺は魔力始動して渾身の力で尻尾を振り解いた。すかさずベッドから転がり落ちるように逃げる。
「……はぁ、はぁ、し、死ぬかと思った」
「……うぅん、はれとぉ……みずぅ」
振り解いた衝撃で意識が覚醒したのか、イースがゾンビのように腕をぶらぶら動かしながらそう言った。
「イース、なんで俺のベッドで寝てるんですか!」
「……ッ、ぁ、あたまいたぃ、おぉきな声、出さないでぇ……みず、水ぅ…………」
どんだけ呑んだんだよ、よっぽど二日酔いが酷いのか、ガラにもなく弱々しい。口調もまるで女の子みたいだ。
「……水飲んだらちゃんと自分の牢屋に帰って下さいよ」
唸るばかりで返事をする気力もないイースを横目に、俺はコップに水を注いだ。
壁に掛かった時計を見ると、時刻は四時十分。迷惑の塊みたいな人だな。
「ほら、水ですよイース。まったく、昨日どんだけ呑んだんですか」
「……きろぅ? じぇんぶ、のんだよぉ?」
絶句。
昨晩イースと俺が倉庫から盗み出した酒は、ガラスで出来た巨大な瓢箪みたいな容器に入った物で、とても一晩で呑めるような量ではなかった。目算で30から40リットルはあったぞ……。
それに、酒のことはよく知らんが度数もかなりのものだと言っていた記憶がある。
「全部って、何考えてるんですか、こんなベロンベロンのとこ誰かに見られたら酒呑んだの即バレですよ」
「……んん、ごめんな、ちゃい」
イースはコップの水をちびちび飲んで、ぐらんぐらん頭を揺らしながら敬礼した。
この酔っ払いめ、普段の素行が絶望的なまでに荒っぽいせいで、こんな姿でも可愛く見えるじゃないか。なんだこれ。
「……どうですか? 落ち着きました?」
「……んん、ありがとぉ、いっしょ、寝よぉ?」
「いや帰って下さいってば」
魔力始動したせいでアドレナリン全開だったが、落ち着いたら俺も眠たくなってきた。まだ四時なんだから当たり前だ。
さっさとこの酔っ払いを自室に追い返さなければ、俺に平穏は訪れない。
「……ぐす、ぐすん、はるとわ、わらひのことぉ、きらぃなんだぁ」
「あんたって人は……」
泣き上戸なのかよ、まさかこんな状況で鬼の目にも涙を垣間見てしまうとは。ていうか一人称まで変わってるし……もうただの女の子じゃないか。あと俺の名前はれとです。
「……仕方ありませんね、一緒に寝ますけど、絶対に……絶、対、に、尻尾で絡み付いてこないで下さいね」
「……あい」
このままこの可愛い酔っ払いと不毛なやり取りを続けても俺の睡眠時間が減るだけだ。取り敢えずイースを先に寝かせてから、俺が牢屋まで運ぼう。それが一番早い気がする。
「じゃあ、おやすみなさい」
「……はるとぉ」
「はぁ、今度はなんですか?」
「……手、つなぃで、いい?」
「……どうぞ」
なんとも、普段もこれくらい可愛げがあればいいんだけどなぁ。ベッドに二人で横になると、ものの数分でイースは寝息を立て始めた。
「……むむぅ、燃料用、アルコールしか、ねぇだとぉ、じゃあ、それで」
それにしても寝言はしっかりいつもの口調なんだな。これはこれで可愛い気もしてきた。
イースも寝たことだし、さっさと部屋に運ぼうかと思ったが、ぎゅっと握られた手を見るともう今日はこのままでもいいかと思えてきた。
七時に起きて、スカーレットが朝食を持ってくる前にイースを牢屋に戻そう。
もう、それでいいだろう──




