77.「イースとデート【前編】」
【辰守晴人】
──昨日は酷い目にあった。
ドMのライラックがドSのラミー様に変貌してから、俺はなんとか彼女を元に戻そうと奮励したが、全て骨折り損に終わった。
ちなみに骨折り損とは比喩ではない。まじで折られたのだ。
そして日付も変わり、今日は我が師匠にして暴虐酒呑み魔神のイースとデートしなければならないわけだが、大きな問題があった。
イースとデートするハメになった事自体も充分大問題だが、それよりもさらに大きな問題が、今まさに俺の背中の上で脚を組んで座っている。
「さて、そろそろデート開始の時間だな。駄犬、余計なマネはするなよ?」
「……わん」
ラミー様である。
俺の仮住まいである地下牢に、昨日のデート相手のラミー様がおられるのだ。
彼女は昨日、デート終了時刻になっても俺を解放しなかった。それどころか、一緒に地下牢で夜を明かしたのだ。
途中スカーレットが夕飯を持ってきてくれたが、殆どラミー様に食べられてしまった。
都合朝から何も食べていない俺の腹は、夜中にギュルギュル泣き出した。すると、ラミー様は食いかけのガムを俺の口に吐き捨てた。
「駄犬には過ぎた飯だ」
とのことだった。
ラミー様が眠っている隙に前髪を下ろせないものかと考えたのだが、俺の方が先に眠っていた。魔法で眠らされたのだ。
わかっている限りでは、ラミー様の魔法は二種類──風を操る魔法と、香りを操る魔法。
風を操る魔法は隠す気も無いらしく、すぐに本やら物を飛ばしてきた。
香りを操る魔法は彼女の体臭、フェロモンを嗅いだものに様々な効果を与えるとか、多分そういうものだと思う。
彼女の部屋に充満していた甘ったるい香りや、昨日眠らされる直前に嗅いだ香りがおそらくそうだろう。
俺がライラックを嬉々として凌辱していた時も、おそらく何かしらの興奮作用がある香りを出していたのだろう。
でなきゃ俺がただSだったかだ。
──とにかく、ラミー様からの拘束は未だ解けず、しかも今から大変なことが起ころうとしている。
どうやらラミー様はイースと一戦交えようというのだ。理由なんて知らない、もちろん聞く権利もない。完全に犬扱いされているからな。
「……なんだ駄犬、もしかして何故私があのアル中女を狙っているのか気になるのか?」
「わ、わん」
しかし流石はご主人様、ペットの感情を読み取るのが上手い。
「ぷぷぷ、まあ犬には言っても分からん話だ。くだらん事を考えるな愚図が」
そして躾に厳しい。
──ガンガン!
その時、鉄扉をノックする音が部屋に響いた。
嫌な汗が額に滲む。四つん這いで椅子になっている俺の上で、ラミー様が脚を組み直した。
「駄犬、人間の言葉を話す事を許可する。中へ入るように言え」
「……ど、どうぞ入って来てください」
拒否権など存在しなかった。言う通りにしなければどうなるかは、昨日散々身体に刻み込まれていた。
「……我が手に来れ、イグラー」
俺がイースを部屋へ招いたのを確認すると、ラミー様は囁くように呟いて魔剣を構えた。奇襲するつもりなのだ。
──ガチャリ、と鍵が開く音がして、牢の扉がゆっくりと開いた。
「死ねアル中ッ!!」
扉が開ききる前に、ラミー様は俺の背中から飛び出して、魔剣を振り抜いた。
「……な、んだとッ!?」
──しかし、ラミー様の魔剣は空を切った。
分厚い鉄扉はバターのように両断されて崩れ落ちたが、その先には誰も居なかったのだ。
「──辰守君を気に入ったのは結構な事だけど、時間は守らないとね。ラミー」
聞き覚えのある声は、俺の真上から聞こえた。
「……貴様、バンブルビー」
俺の背中に、バンブルビーが腰掛けていた。さっきまでラミー様が座っていた所に……一体いつの間に?
「久しぶりに顔を見れて嬉しいけど、やっぱりお前は隠れてるのがお似合いだよ……ラミー」
「ッきさ……」
バンブルビーに向かって何か言いかけたラミー様の前髪が、急に解けて顔を覆い隠した。
それと同時にラミー様は糸が切れたように地面にへたり込んだ。
「やあやあ辰守君、災難だったね」
俺の背中から降りたバンブルビーは、片手にペンを持っていた。ラミー様の前髪を留めていたものだ。まじでいつの間に……。
「……わん」
「ハッハッハ、犬にされてる」
「……今のは、言葉が出なかっただけです。というか、来るならもっと早く助けに来てくださいよ」
「ごめんごめん、ライラックが部屋に居ないのにさっき気づいてね。まさかと思って来てみたんだ。まさかラミーが出て来てるとは」
「……いったいどうなってるんですか、ライラックは」
地面にへたり込んだライラックは、気を失っているようでピクリとも動かない。
「話すと長いんだけどね、ライラックは元々さっきのが素なんだよ。色々あって人格が乖離してさ、おとなしい人格の方が都合がいいから前髪には触らないようにしてるんだ」
「前髪云々はこの際どうでもいいですけど、色々あっての部分が気になりますね」
「昔、ラミーはプライドが高くて負け知らずだったんだよ。けどとにかく素行が悪くてね。ある日、鴉からレイチェルが懲らしめに行ったんだ」
「結論から言ってラミーはレイチェルにコテンパンにやられたよ。そして、敗北した自分の姿に耐え切れなくなったラミーは、苦痛を押し付ける人格を生み出してしまったんだ──まあ一種の自己防衛だね」
「それがライラック、前髪が下りてる時の人格……ですか」
なるほど、大まかな事情は分かった。確かにあの性格では他人と仲良く暮らすなんて不可能だろう。
それにしてもラミー様の鼻っ柱を折ったレイチェルという魔女、既に故人とはいえ四大魔女の名は伊達では無かったということか。
「ちなみに大人しい方のライラックは、苦痛を受け止めるために生まれたせいか、若干Mっ気があるんだ」
「若干どころの騒ぎじゃありませんでしたけどね」
「へえ? まあいいや。とにかく俺はライラックを連れて帰るから、今日はイースと仲良くやりなよ。かなり拗ねてるみたいだから、覚悟しといた方がいいかもね」
「……わん」
バンブルビーはライラックを片手で担ぎ上げると、そのまま地下牢から去っていった。
──イース。デートが始まってからは一度も会っていないし、話すらしていないけど……。
* * *
──片手に鍵の束を握りしめて、俺は分厚い鉄扉の前に立っていた。イースの牢屋である。
俺の牢屋はラミー様が扉を斬り壊したせいで、もはや牢屋の役目を一切果たしていない状態だった。
デートの開始時間から三十分過ぎてもイースが音沙汰無いので、ルール違反にはなるが俺の方から迎えに行く事にしたのだ。
「……イース、おはようございます。起きてますか?」
「……寝てる」
起きてんじゃん。
てっきり寝坊かと思ったが、もしかしてバンブルビーの言った通り、本当に拗ねているのだろうか。
「イース、あの……」
「寝てるっつってんだろ、燃やすぞ」
間違いない。これは完全に拗ねている反応だ、もし怒っているとかなら鼓膜が痛くなるような怒鳴り声で返す筈なのだ。
「……そうですか、実は一本だけ隠してたお酒を渡そうと思って来たんですけど、持って帰りますね」
「……さっさと入れ、燃やすぞ」
さすがイース、ここまで分かりやすい奴もそういないだろう。
「じゃあお邪魔しますね」
俺は鍵を開けてイースの牢屋へ入った。本当にさっきまで寝ていたのか、部屋に灯りは灯っていなかった。
「イース、灯りつけますよ」
返事は無かったが、否定もしなかったので、灯りをつけても問題ないのだと解釈する。
灯りをつけると、ベッドにイースの姿が見えた。
「……な、なんて格好してるんですか」
「あぁ? 寝巻きだよ殺すぞ」
イースは下着姿でベッドにうつ伏せになっていた。暗闇からの唐突なセクシーに、思わず持っていた酒を落とすところだった。
それにしても上下白か……意外と悪くないな。
「お、お酒は持って来ましたけど早く服着ないと風邪ひきますよ。じゃあ、俺は自分の牢屋に戻りますから」
本当はこの酒をきっかけに、いつの間にか拗れたイースとの関係を修復する手筈だったのだが、純白の下着が眩しすぎる。
さすがに目のやり場がないしここは一時退却だ。後からまた出直せばいい。
イースはというと、俺の言葉には反応せずに、尻尾の先っちょだけが不規則に動いていて、なんだか機嫌が悪い時の猫を彷彿とさせた。
「……おい晴人」
俺がイースの牢屋を出ようとドアノブに手をかけたところで、背後のベッドから呼び止められた。
「どうかしましたか?」
「……着替えたら、テメェんとこ行くから……待ってろ」
「……りょ、了解です」
依然うつ伏せのままで、顔を枕に押し付けているから表情も読めないが、少しは機嫌が良くなった……のかもしれない。
そう思いたい──




