75.「ライラックとデート【前編】」
【辰守晴人】
「──バブルガム、えっちすぎだろぉ」
殺風景な石造りの天井を眺めながら、ぽつりと呟いた。
昨日のバブルガムとのデートは、予想だにしない出来事が多過ぎた。その中でも後半は、他人にはとても見せられるような内容ではなかった。
バブルガムに魔法を使ってあんな事やこんな事をされたり、させられたり……思い出すだけでも汗顔の至りだ。
「……はあ、俺の節操なしめ」
目を閉じると、フーとスカーレットさんの顔が浮かんでくる。
──追加でバブルガムガムの顔も。
* * *
「──あ、あ、あの、おはよう、なの」
雑念を振り払うべく、目が覚めてから魔力結晶の形状変化の特訓をしていたところに、慎ましいノックと辿々しい声が転がり込んできた。
「おはようございます。ライラックですよね? 今日はお手柔らかにお願いします」
さすがに三日目ともなると、こちらも慣れてくる。今日は相手のペースに呑まれないように気を張って向かう所存だ。
「こ、ここ、こちらこそ、なの……鍵、今から、開けるの」
ライラックとはフーと訪れた喫茶店で初めて会った。あがり症なのか、その時からずっと詰まるような喋り方だ。
「……制服、似合ってますね」
「……あ、ああ、ありがとう、なの」
ライラックの着ている制服は、スカーレットやバブルガムに比べると少し珍しいタイプだった。
セーラ服とワンピースが合体したような服で、可愛いけど清楚で大人しめな感じがよく合っている。
「一応聞きますけど……それ、前見えてるんですか?」
「……ば、ばっちり、なの」
ライラックの印象は色々とあるが、なんといっても一番はこの前髪だろう。
真っ白できめ細かい前髪は、長すぎて顔をすっぽりと隠してしまっている。
まるでホラー映画に出てくるお化けみたいだ。髪が黒くてボサボサなら完全にアウト。
ちなみに髪は、前髪以外も長いのだが、後頭部で丸くお団子状に結われているからスッキリしている。何故前髪だけ──
「ばっちりならいいんですけど、ちなみに今日のプランとかも聞いていいですか?」
「……きょ、今日は、私の部屋で、お、お話、したいの。い、いやじゃ、ない?」
「嫌だなんてとんでもない、そういう平和なのを期待してたんです」
実際カカシにさえされないならなんでもよかった。未だにあの言葉の真意は分からないが、分かりたくもない。カカシってなんだよ。
「……じゃ、じゃあ、今日は、よろしくなの、は、ハル」
そう言ってライラックは俺の服の袖をちょんと摘んで、地上への階段へ向かった。
ちなみに俺の名前はハルトではなくハレトだから、縮めて呼ぶにしてもハレが正解だろう。
まあ、別になんだっていいけど。
* * *
「──あ、あの、ハル?」
「……? どうかしましたか?」」
城へ続く林道を歩いていると、俺の服の袖を引っ張っていたライラックが急に何かを呟いた。
「そ、その、今朝は、な、何をしてたの?」
「今朝ですか? それなら、起きてからずっと魔剣を作る特訓をしてましたけど」
「そ、そうなんだ、と、扉を開けた、時に、ま、魔力を、感じたから」
「ああ、なるほど」
「け、眷属になった、ばっかりなのに、す、すごいね」
「いえ、全然ですよ。今魔力結晶の形状変化で詰まってて、どうしても剣の形に変形出来ないんですよね」
デート中にするような話でもないと思ったけど、ライラックは真剣な顔で聞いてくれている……気がする。顔は前髪で見えないからな。
「……み、見てて、なの──『イグラー』」
「……おお!?」
立ち止まり、ライラックが身体の前に手をかざすと、瞬く間に一振りの魔剣が現れた。
イースやスカーレットにしてもそうだったけど、こんなに易々と魔剣を出すなんて、いったいどうなっているのか。
「は、ハルも、や、やってみるの」
どうやらライラックは俺に魔剣の指南をしてくれるようだ。俺にはイースという師匠がいるが、別の視点から教えて貰うのも悪い事ではないだろう。
「分かりました、ふんッ!」
俺はライラックのように身体の前に手をかざして、魔力を集中した。
だんだんと魔力が凝縮して小さな結晶が発生、それがどんどん棒状に大きくなっていく──
「……す、ストップ、なの」
「……え?」
今まででもかなり速いスピードで形成出来ていたのだが、急に臨時師匠からストップがかかった。
「そ、それだと、いくらやっても、け、剣にはならないの」
「……と、いいますと?」
「……と、とりあえず、私の、部屋で説明、するの」
ライラックは逡巡したような表情の後、俺の袖を掴んで再び歩き始めた。この林道では何か都合が悪いのだろうか。
なんにせよ、教えてくれるというのだから大人しくついていく事にした。
* * *
ライラックの部屋は城の二階、位置的にはスカーレットの部屋の二つ真下だった。
部屋の壁一面が丸々本棚になっていて、一目でかなりの蔵書家だと見受けられた。
「……あ、あの、これ、使うの」
「これは、ペン……?」
引き出しをごそごそとやっていたライラックが、俺に一本のペンを手渡した。
魔剣の出し方を教えてくれる流れだったのに何故ペンを?
確かにペンは剣よりも強しなんて言うが、俺には魔剣を作る才能がないから大人しく勉強でもしてろということなのだろうか。
「……はい、なの」
手渡されたペンを片手に、真剣に馬鹿な事を考えていたらライラックが一冊のノートを俺に見せてきた。
見ると、ノートには『今からこのノートを使って筆談しましょう』と、可愛い字で綴られている。
俺はそのノートを黙って受け取り、『急にどうして筆談を?』と返事を書いた。
ライラックが再びノートに書き込む。
『話すのが得意じゃないので、こっちの方が上手く教えられると思いました』
なるほど、確かに口で話すよりもはるかに流暢である。しかし、何故に敬語。
『お心遣い痛み入ります先生。それでは筆談にてご教授お願いします』
『承りました。不肖ながら、ライラック・ジンラミーが誠心誠意教えさせていただきます。あと、そんなにかしこまらなくていいですよ?』
それはこっちの台詞だよ。教えて貰う立場なのにそんなに遜られるとやりづらい。
『初めに誤解しているようなので説明すると、魔力結晶は操作は出来ますが変形は出来ません。初めに棒の形を象ってしまえば、そこから剣には変形できないのです』
「……え、そうなんですか!?」
驚愕の事実に、思わず筆談をすっ飛ばして声が漏れた。
『魔剣を創り出す時は、予め魔剣の形をイメージしてから結晶化すると上手くいきやすいです』
『めちゃ勉強になります。一度試してみてもいいですか?』
イースの説明不精め、そんな事一言も言ってなかったじゃないか。まずは簡単な棒から作ろうと思って練習していたが、どうやら前提から間違っていたらしい。
初めから剣を作るつもりで挑まないと、魔剣は作れないのだ。
『頑張ってください』
俺はライラックの激励を受け、身体の前に手をかざした。
剣、剣だ……目を閉じて、頭の中で何度も言葉を反芻し、剣の輪郭を思い浮かべる。
そして頭の中で作りあげた剣が、神経を通って手のひらへ、そして手のひらから現実世界へと投影されるイメージ。
「……はぁッ!」
──目を開けると、俺の手には剣が握られていた。シンプルな形状の両刃の剣、いや、実際は剣の形をした魔力結晶だが。
『大変良くできました。頑張りましたね』
嬉しさを堪えきれず、ニヤニヤしながらライラックの方を向くと、ノートにそんなことが書いてあった。
ライラックめちゃくちゃいい人じゃん。
俺は剣を傍の本棚に立て掛けて、ライラックからノートを受け取った。
『先生のおかけです。ありがとうございます!』
『こちらこそ、筆談に付き合ってくれてありがとうございます』
『いえいえ、思いのほか楽しめている自分がいます』
──そう、この筆談を楽しいと感じている自分がいた。
紙に伝えたい事を書いて相手に渡す。相手もそれを読んで返事を書く。単純な作業。
今のご時世メッセージアプリで当たり前みたいに行われているやり取りなのに、どうしてだろうか──それとは全く違った趣きがある。
『ハルも同じ気持ちで嬉しいです』
ライラックは少し恥ずかしそうにノートを手渡してきた。思わず胸の奥にグッときた。
これ、もしかして今までで一番デートらしいデートになっているんじゃないだろうか。
ライラック・ジンラミー……とんだダークホースである。
『ライラックは何かしたい事とかありますか?』
正直、今日のデートは消化試合のつもりだった。
しかし蓋を開けてみればこの通り、実に和やかなデートだ。もはやライラックに申し訳ない感情すら抱き始めた俺は、少しでも出来ることがないのかと思ったのだ。
ライラックはノートを手に取ると、少し躊躇ってからペンを走らせた。
『実はお願いしたい事があるんですけど……』
──お願いしたい事ときたか。
イースといいバブルガムといい、基本的にやりたい事があればこっちの意見は全無視で強行してくるというのに、実に理性的である。爪の垢を直接食わせたいレベルだ。
『俺にできる事ならなんなりと』
俺がノートを渡すと、前髪の隙間から覗く赤い目が細くなった。表情はあまり読めないが、笑っていたのか……?
──返事を書き終わったライラックから、ノート受け取る。
ノートには可愛らしい文字でこう綴られていた。
『ハルを私のカカシにしたいです』




