68.「お姉さまと妹分」
【辰守晴人】
──薄暗い地下牢が、青白い炎とそれを反射する赤い結晶に照らされて、いつもとは違う幻想的な雰囲気を醸している。
俺の視線の先には、一触即発の剣呑な空気を纏う魔女が二人。
一人は食糧庫荒らしの常習犯で大酒飲み。地下牢で優雅に暮らすろくでなし魔女、イース・バカラ。
相対するは、暗黒物質を操る地獄の料理当番。料理と汚部屋の二点さえ除けば、何の欠点もない高潔魔女、スカーレット・ホイストだ。
先程スカーレットが魔剣を抜いた事で、いよいよ本格的な戦いが始まろうとしている。
魔剣と言っても、スカーレットの武器はどこからどう見ても槍だから、魔槍と言っても差し支えないだろうが。
「くたばれこのゲロ飯女がぁぁッ!!」
「うるさいこのアル中野郎ーッ!!」
睨み合っていた二人が、示し合わせたかのようなタイミングで魔剣を振り上げた。
イースとスカーレット、両者がとうとう激突した──
「──はい、そこまで」
広間にその声が響き渡った直後、金属同士が激しくぶつかり合う音で、俺の耳が一瞬麻痺した。
広場の中央では、魔剣を握りしめたイースとスカーレットが目を丸くしている。
というのも、重なり合う二つの魔剣を脚で踏みつけて地面にめり込ませている女がいるからだ。
二人の争いを脚一本で止めたのは、隻腕の魔女──確か名前は、バンブルビー・セブンブリッジ。
「さてさて、イースにスカーレット。元気なのは結構な事だけど、喧嘩は感心しない。どっちでもいいけど、この状況をお姉様に説明してくれるかな?」
「バンブルビーこれには訳があって、辰守君が牢から出てるのは……」
「……だからよそ見してんじゃねぇ!!」
バンブルビーに事情を説明しようとしたスカーレットに、イースが殴りかかった。
もはや、さすがイースとさえ言いたくなる暴君っぷりだ。しかし──
「こらこら、だから喧嘩しないの。スカーレット続きを──」
バンブルビーはイースの拳をろくに見もしないで掴み止めた。いつもボコボコにされているから分かるが、イースの拳をあんなに軽々と止めるなんて尋常な事ではない。
バンブルビーが化け物じみた怪力の持ち主だということがそれだけで理解できた。
「ッ離せよ、ババァ!!」
しかし、そこはさすがイース。一切臆する事なく、腕を掴まれたまま尻尾でバンブルビーの頬を張り飛ばした。
いつもボコボコにされているから分かるが、アレはかなり痛い筈だ。
「い、イース、アンタなんて事を……」
「俺様は喧嘩の邪魔されんのが一番ムカつくんだよ!」
イースは地面にめり込んだ魔剣を引き抜いて、バンブルビーの方に向き直った。
鞭打ちのような尻尾攻撃によろめいたバンブルビーが顔を上げると、口元から血が滴っていた。頬も真っ赤に染まっていてかなり痛々しい。
「……イース、可愛い俺の妹分よ。ちょっとおいたが過ぎるんじゃないか?」
「……も、文句でもあんのかよ」
バンブルビーは笑っていた。口元から血を垂らしながらニコニコ笑っているのだ。ただ目が氷のように冷たくてめちゃくちゃ怖い。
「イース、歯を食いしばりなさい」
「……あぐぁッ!?」
一瞬の出来事だった。イースの身体が消えたかと思ったら、物凄い音と共に広間の壁に叩きつけられていた。吹っ飛んだイースの魔剣が遅れて広場の床に突き刺さる。
「さて、スカーレット。続きを説明して?」
「そ、その、私が昼ご飯を持ってきたら、イースが辰守君を襲ってて、止めようとしたらあんな事に……」
スカーレットも吹っ飛んだイースを見て完全に萎縮している。もちろん俺もだ。
「ふーん、しかしどうしてイースは牢屋から出れたんだろう。新しい牢屋だから、合鍵を隠し持っている筈はないんだけどね」
バンブルビーは笑顔で俺の方を見ている。無論、目は笑っていない。
「俺が合鍵を使って自分の牢から出て、イースの牢を開けました」
バンブルビーの目には、真実以外語らせない威圧感があった。まあ、つまりビビって白状しました。
「素直でよろしい。おおかたイースにいいように言いくるめられたんだろうね。イースは自分の言いなりになる子が好きだから、それなりに可愛がってもらえたんじゃない?」
「……辰守君、今の話本当なの?」
このバンブルビーという女、強さもさる事ながら驚くべき慧眼の持ち主だ。だいたい合ってるからな。
「すみませんスカーレット。どうしてもここで死ぬわけにはいかなくて、脱出するためにイースと取引きを」
「まあ妹分の不始末は俺の責任でもある。そんなに怖がらなくても殺しはしないよ」
「……バンブルビーさん、貴女はどうしてここにきたんですか?」
バンブルビーの目的が今ひとつ分からない。地下深いこの場所での騒ぎは、地上までは届かない。彼女は騒ぎを聞きつけてやって来たというわけではない筈なのだ。
何か目的があって地下牢にやってきたところで、イースとスカーレットの戦闘に遭遇したというのがおそらく正しい。
「俺は君に会いに来たんだよ」
「俺に会いに、ですか?」
「実は君をここに閉じ込めておくのに反対してる奴がいてね、あんまりしつこいから一度君を交えて話し合いをしようという事になったんだ」
なんとも、予期せぬ吉報だった。つまり、処刑か脱走の二択しか無かった俺の未来に、新たな可能性が生まれるかもしれないという事だ。それもわりと前向きな方の。
「私そんな事初めて聞いたけど、誰が反対してるの?」
「行けば分かるよスカーレット。皆もうエントランスに集まっているからね、早く行かないとスノウがカンカンだ」
「あ、あの、バンブルビーさん。イースはその……色々誤解がありましたけど、俺は別に襲われていた訳じゃなくて……」
「君、良い子だね。心配しなくてもイースは既に謹慎中だからね。君とスカーレットが黙ってればこれ以上罰は受けないとも」
あんなのでも一応、毎日修行をつけてくれた師匠だ。それにどんな形であれ好意を抱いてくれている相手が酷い目に合うのは嫌だった。
ただ、バンブルビーはかなりの人格者のようで、俺の心配は杞憂に終わりそうだ。
「……ありがとうございます」
「礼なんてよしてくれ。この後やっぱり君を殺す事になったら後味悪くなるからね」
「……」
「さて、じゃあ行こうか。辰守君、イースを連れてついて来て」
スカーレットじゃなくて俺に頼む意味は理解しかねるが、わざわざ理由を訊ねるのも憚られる。おとなしく従う事にするか。
「イース、大丈夫ですか?」
「……たりめぇだ」
激突した壁が崩れる程の勢いでぶっ飛ばされたイースだが、意識はしっかりあった。ただ、左頬が赤黒く変色しており、かなり凄惨なお顔になってしまっている。
引っ張り起こす前に回復魔法をかけた方が良さそうだ。あと服もな──




