67.「ミネラルウォータとセクシー剣士」
【辰守晴人】
──風呂から上がり、自室から持ってきていた服に着替えて浴室から出ると、イースがテーブルで酒を飲んでいた。
「……イース、あの、お風呂ありがとうございます」
「おう、これからは遠慮なく使っていいぜ。なんなら一緒に入るか?」
イースはいつもの黒いシャツを着ていてくれたが、よく見ると下は下着のままだった。
なんで上だけしか着ないんだよ、視線のやり場に困るんですけど。
「ば、バカ言わないで下さい、それよりもちゃんと服着て下さいよ」
「なんだ晴人、顔赤くして照れてやがんのか?」
「お湯に浸かってのぼせただけですよ。いいから服を……」
できるだけイースの方を見ないようにしていたが、イースが椅子から立ち上がるのが視界の端を掠めた。
立ち上がったイースは冷蔵庫を開けると、ミネラルウォータを取り出した。
「のぼせたんなら水飲んだほうがいいぜ。ぶっ倒れたら大変だしな」
言いながらイースは取り出したミネラルウォータを自分の口に含んだ。
俺にくれるんじゃないんかい。名前で呼んでくれるようにはなったが、結局イースはイースだな。
もし本当にイースと付き合ったりする奴がこの先現れるのだとしたら、恋人らしいやり取りは期待しない方がいいだろう。
「……イース? どうしたんです……うわ!?」
水を飲んでいたイースが無言で俺の方に近づいてきて、やおら俺を突き飛ばした。
背後がベッドだったために、俺はちょうど仰向けに寝転がるような体勢になった。
イースはそのままベットに上がってきて、俺に馬乗りになる。
「い、イース、急に何を……」
抗議しようとした俺の口は、イースの唇で塞がれた。艶かしい感触が俺の口をこじ開けて、冷たいものが流れ込んでくる。
俺はパニックのあまり、それを飲み込んでしまった。飲み込んだ後も、イースはしばらく唇を離さなかった。
「──なあ晴人、ほんとにのぼせたせいで顔が赤かったのかぁ?」
上気した顔のイースが、青く妖艶な瞳を細めて笑った。
恋人らしいやり取りどころの騒ぎじゃない。エロい、エロすぎるだろイースさん。今までの魔神キャラは何処に行ったんだ。
「イース……お、落ち着いてください」
「んー、まだ顔が赤ぇなぁ」
イースが再びミネラルウォータを口に含んで俺に覆い被さってきた。
「ちょ、ま、ん……んんんッ!?」
再び強引に重ねられる唇。必死の抵抗も虚しく、呆気なくイースの舌が俺の口に侵入してくる。
しかし、俺もやられっぱなしではいられない。とっさに魔力始動して馬乗りになったイースを転がすように押しのけて、逆に俺が馬乗りになった。
「はぁ、はぁ……い、イース──」
しかし、いざ押し倒してみたものの何も言葉が出てこない。一刻も早く誤解を解かないといけないのは分かっているが、目の前の妖艶な美女のせいで、頭も舌も回らない。
「なあ晴人、俺様初めてだからよ、その、優しくしろよな」
「──ッ!?」
イースがしおらしい。普段とのギャップに、正直かなりドキドキしている自分がいる。何よりエロい。処女なのに。
「イース、その……俺は」
ダメだ。もうハッキリ誤解だと言ってしまおう。半殺しでは済まないかもしれないけど、これ以上時間を掛けると俺の理性が持たない。
「──そこで、何してるの?」
しかし、悪い出来事というのは重なるもので、タイミング良くというか、タイミング悪くというか、何故かスカーレットが現れた。
いや、何故かもクソもない。風呂の事で動揺してすっかり忘れていたが、今はスカーレットが昼飯を持ってくる時間だったのだ。
「……す、スカーレット、落ち着いて下さい。話せば分かりま……うべぇ!?」
「……テメェ、勝手に部屋に入ってきてんじゃねぇよ燃やすぞクソがぁ!!」
弁明する間もなく、俺はイースに蹴りとばされた。好きなのかどうなのかはっきりして欲しい。
「た、辰守君!? ちょっとイース、アンタなんて事すんのよ!!」
「まだ何もしてねぇよテメェのせいでなぁ!!」
「まだって事はやっぱり何かする気だったんじゃない! 辰守君は私が連れて行くからアンタはここで大人しく謹慎してなさい!!」
イースの牢屋にずかずかと押し入ってきたスカーレットが、床で悶絶する俺を抱き抱えて外へ出た。
スカーレット、行動自体は正しいし見習うべき高潔さだが、お姫さま抱っこは勘弁してほしい。
「──何勝手に話終わらせてんだぁ!!」
「ッ!!」
イースの怒号と共に、牢屋の扉から青い炎が噴射した。
スカーレットは俺を抱き抱えて完全に背中を向けていたし、俺はただのお姫さまと化している。
万事休すかと思われたが──炎が俺達を焼く事はなかった。血のような赤い結晶の壁が、炎を遮ったからだ。
おそらくはスカーレットの魔法。壁からは物凄い冷気が漂っているから、おそらくただの結晶ではないのだろう。
「……辰守君、悪いけど下ろすわね。自力で牢屋に戻ってくれる?」
俺はスカーレットに丁寧に床に降ろされた。もしかしなくてもイースと一戦やる気なのだ。
「スカーレット、テメェ部屋で大人しくしてりゃあいいものを──叩っ斬られてぇのか!?」
「こっちのセリフよこのアル中! 私が酔いを覚まさせてやるわ!!」
イースはかなりご立腹の様子で、服も着ずにさっきのエッチな格好のまま、腰に剣帯だけ巻いて出てきた。ミスセクシー剣士コンテストという大会があったらぶっちぎりで優勝だろう。
イースの手には大太刀の魔剣、夢花火が握られている。小太刀の魔剣、縦鯨は腰の剣帯に収まったままだ。
対するスカーレットは丸腰だが、魔剣は出さないのだろうか。
「一分で消し炭にしてやるぜぇ!」
先に動いたのはイースだ。地面を蹴り、一足飛びにスカーレットに詰め寄り大太刀を振るった。
スカーレットは猛烈な勢いで迫る大太刀を躱しながら、広間を飛び回っている。
避け続けるスカーレットも凄いのだが、イースもあの馬鹿みたいに重たい大太刀を軽々と扱い、時には片手で斬りつけたりもしている。とんでもない膂力だ。
「ちょろちょろすんじゃねぇ!!」
防戦一方のスカーレットだが、イースがかなりキレた動きで懐に潜り込んだ。あんな長ものを使っているなら詰め寄り過ぎとも思える間合いだ。
実際、イースはスカーレットに大太刀ではなく蹴りを放った。しかし、スカーレットはそれを読んでいたのか、地面を舐めるほど姿勢を下げて、イースの股下に潜り込むようにしてそれを躱すと、蹴り上げた太腿を担ぎ上げるように投げ飛ばした。
だがイースも粘った。投げ飛ばされながらも空中でスカーレットに大太刀を振るったのだ。
躱せないと悟ったスカーレットは赤い結晶で壁を作ってそれを防いだ。
ほんの一瞬の間に、とんでもない攻防が繰り広げられる。瞬きする余裕もない程だ。
「……ちぃ、辰守君! 部屋に戻ってなさい!!」
スカーレットが叫ぶと同時に、俺の目の前にまたもや赤い壁が現れた。
その直後──物凄い轟音と共に、何かが爆発した。
「……っうわ!?」
思わず身を屈めたが、スカーレットが出した壁のおかげで俺の方には衝撃も伝わらなかった。
「……相変わらず厄介な魔剣ね、辰守君まで巻き込まれたらどうすんのよ!」
どうやら爆発したのはイースがさっき斬りつけた赤い結晶らしい。結晶が粉々になって、辺りに青い火の粉が四散している。
「俺様の晴人を見くびってんじゃねぇよ! これくらいでどうこうなるタマだと思ってんのか!?」
イースよ、まだアンタのものになった覚えはないし、こんな戦いに巻き込まれたらどうこうなる自信が俺にはあるぞ。
「な、何でアンタが辰守君のこと名前で呼んでんのよ!? それに俺のってどういうこと!?」
「なんだぁ、さっきの見て分かんねぇのか!? 晴人は俺様の嫁になったんだよ!!」
「は、はあ!? アンタ一週間も牢屋に居たのにまだ酒が抜けてないの!? そんなめちゃくちゃな話があるわけないでしょ!」
さすが常識人のスカーレット。全く同じ意見である。ちなみに酒が抜けていないのは俺が運んでいるからなんだけどな。
「おい晴人このタコに言ってやれ! 俺様達は相思相愛だから邪魔すんなってなぁ!!」
「い、イース! この際だから言いますけどこれは何かの間違いです!」
既に最悪の事態は来るところまできている。今はっきり言わないと完全にタイミングを失うだろう。俺は腹を決めた。
「ほら見なさい! 辰守君もああ言ってるじゃない!!」
「馬鹿が、アレは照れてんだよ!! そんな事も分かんねぇからテメェはいつまでも処女なんだこのタコ!!」
どんだけプラス思考なんだ。これさっき白状してたとしても無理矢理襲われてたんじゃないのか?
だとしたらスカーレットが来てくれたのは暁光だったといえる。これはもうスカーレットを応援するしかない。
「わ、私が処女とか憶測でもの言ってんじゃないわよ!! 辰守君、違うからね? いや、違くはないけど……きゃあ!?」
「よそ見してんじゃねぇよバーカ!!」
スカーレットさんにイースの飛び蹴りが炸裂した。不意打ちとはとことんイースだ。
「イース、もうやめて下さい! 落ち着いて話し合いましょう!!」
「こいつと話し合う事なんてねぇよ!」
スカーレットじゃなくて俺と話し合うんだよ!
「晴人君、コイツに何言っても無駄よ。力ずくじゃなきゃ分からないのよ、馬鹿だから──」
イースに蹴り飛ばされたスカーレットが、両手を天に掲げると一本の槍が手元に現れた。スカーレットの魔剣だ。
「逃げ回んのはやめにしたみてぇだなぁ」
「は? 最初から別に逃げてないわよ」
魔剣を持った魔女が向かい合い、地下を剣呑な空気が支配した。
イース曰く、魔女界きっての武闘派組織──鴉。その鴉の魔女同士が、今まさに俺の目の前でぶつかろうとしていた──




