66.「シャンプーと嫁」
【辰守晴人】
地下牢に入れらてから今日で七日目。驚くべき事が起こった。
「おい新入りぃ、お前風呂くらい入ったらどうなんだ!?」
「入れるもんなら入りたいですよ……イースだってお風呂無いの知ってるでしょ」
「何言ってんだ!? 俺様はさっき入ったばっかだぞ!!」
「……は?」
地下牢での生活は日に日に良くはなっている。スカーレットの飯は美味くなったし、イースとの修行で確実に強くなっている実感もあった。
ただ、風呂が無いのがネックだった。イースにボコボコにされて血と汗と埃まみれになっても、せいぜい濡らしたタオルで身体を拭く程度の事しか出来ない。
最後に入った風呂が温泉だっただけに、熱いお湯がひどく恋しくなるのだ。
──だというのに、今イースがとんでもない事を口走った。
「俺様の牢には風呂が付いてるからなぁ、別に使いたかったら使っても良かったんだぞ?」
「そんなの初耳なんですけど!?」
つまりなにか、イースは俺が毎日冷たい水で身体を拭いている間、暖かいシャワー浴びていたという事か。
「おい新入りぃ、そんな顔しても別に怖かねぇぞ! それに今教えてやったんだから怒る事ねぇだろ!?」
「……イース」
「な、なんだよ!?」
「お風呂、借りますね」
いいんだ。イースがこういう奴なのはこの一週間でよく分かっていた筈だ。
スカーレットが優しすぎる反面、イースの酷さが際立っているというのもあるだろう。
とにかく今は風呂、風呂に入りたい。熱いシャワーで身体を流してスッキリしたいのだ。
──イースの牢屋に入るのは初めてだったが、頭がおかしくなりそうだった。
完全に普通の部屋だったのだ。俺の部屋だって牢屋にしては行き届いている筈だが、こっちは比肩にならない。
ベッドは謎に天蓋付き、冷蔵庫は俺の家にあるやつよりデカいし、壁の本棚にはびっしりと本が詰め込まれている。
そして、部屋に入って右手にある扉の奥に、浴槽付きの立派な浴室があった。
そばにはドラム式の洗濯機まである。ワンタッチで乾燥までお任せあれの最新式のやつだ。ふざけやがって。俺はスカーレットに貰った服を手洗いで部屋干ししているというのに。
* * *
久しぶりのシャワーは最高だった。汗と一緒に疲れまで洗い流されていくような気がする。浴槽にお湯も張ったし、午後の修行には身が入りそうだ。
魔力の結晶化は一昨日クリアして、今は形状操作の段階に入っている。なんとか棒状の物を作るところまでは漕ぎ着けたが、まだまだ剣には程遠い。
「……えっと、シャンプーってどれだ?」
「右端の白いヤツだ、黒いのはトリートメントだから間違えんじゃねぇぞ!」
「ああ、どうもありがとうございます」
見たことないパッケージだけど、妙に高そうな雰囲気が漂うシャンプーだ。イースのやつこんないいヤツ使ってるのか、髪もサラサラなわけだよ。ん?
「ってイース!? こんなとこで何してるんですか!? 酔ってるんですか!?」
「素面だよボケ! それにここは俺様の風呂場だぞ!!」
「だからって何で一緒に入ってくるんですか!?」
「チュンチュン鳴いてんじゃねぇよ、ちょっと弟子の背中でも流してやろうと思っただけだろうが!!」
「お心遣い痛み入りますけど、それにしてもなんて格好してるんですか、服着て下さいよ!!」
突如風呂場に現れたイースは下着姿だった。いつも黒いシャツとパンツにロングブーツという、全く露出の無い格好をしているせいか、こんなにも肌色が多いイースは見ていられない。胸なんて下着から零れ落ちそうだ。
「何言ってんだ、服着たまま風呂なんて入ったら服が濡れちまうだろうが!!」
「イースの方こそ何言ってんですか、背中なんて流さなくてもいいですから出て行って下さい!」
「……テメェこれ以上俺様に逆らうってんなら消し炭にすんぞ?」
「は、はい」
背後から物凄い殺気を感じて、これ以上の抵抗は危険だと悟った。今は大人しく背中を流されるしかない。
「──新入りぃ、お前惚れた相手はいんのか?」
「や、藪から棒に何ですか」
俺の背中を泡で丁寧に洗いながら、イースにしては珍しい話題を投げかけてきた。
「いいから答えろよ、燃やすぞ」
「……いますけど」
結局俺はまだフーが好きだった。今イースに尋ねられて真っ先に頭に浮かんだのが、フーの顔だったのだ。
あんな事があったけど、やっぱり俺はまだフーを信じたい。人を好きになるっていうのは、相手を無条件に信じられることだと思うから。
「そうか。まあ、だいたい察しは付いてたけどな」
「え、そうなんですか?」
意外だ。まさかイースに愛だの恋だのが理解出来るとは。酒と暴力の化身みたいな奴でも人並みの感性は持ち合わせていたという事か。
「まあな。で、もしそいつもテメェの事を悪くねぇと思ってたらどうすんだ?」
「え、そりゃあ嬉しいし、付き合いたいと思いますけど……何の質問なんですかこれ」
「質問してんのは俺様なんだよ、黙って答えてろ。新入りはその相手が処女かどうか気になるか?」
「……な、ほんと急に何を言い出すんですか!?」
「燃やすぞ?」
背後でメラメラと燃え盛る炎の熱気を感じた。ヤバい、とんだセクハラとパワハラだ。
しかし、フーが処女かどうかなんて考えた事もない。そりゃあもちろん初めての相手が俺であったなら嬉しいし、光栄だけれども。
かといって、よしんば処女じゃなかったとしても、俺はフーを嫌いになったりはしないだろう。
よく男は初めての相手になりたがり、女は最後の相手になりたがるという。
しかし、俺は男だけどフーの最後の相手になれるならそれでいいと思う。
「相手がその、経験があるかどうかは気にしませんよ。大切なのは思い合う気持ちですから」
自分で言ってて歯が浮くようなセリフだと思う。ただ変にはぐらかすのも、フーへの気持ちを誤魔化すみたいで嫌だったのだ。
「ほう、言うじゃねぇか。面も悪くねぇし、テメェがそこまで言うなら仕方ねぇな──俺様の嫁にしてやるよ」
「……はい?」
おかしい、何か変だ。会話の脈絡がちぐはぐだ。嫁ってなんだ? どういう事? 背中を流されてる状況も含めてもう全部意味が分からないんだが。
「そうなると、流石のアビスも俺様の嫁を処刑する訳にはいかなくなるし、取り敢えずぶっ殺される心配はねぇな!」
「……えっと、イース?」
「ああ言わなくていいぜ、テメェと俺様じゃあ色々と障害があるって言いてぇんだろ? 心配すんな、文句のある奴は俺様が可燃ゴミにしてやるからよ!」
どうやら嫁というのは恐ろしい事に俺の事らしい。しかも何の行き違いがあったのか、俺がイースに惚れている事になっている。
「待って下さい、ちょっと、急な事で頭が回らなくて……」
どうやってこの誤解を解けばいい。
『イースの事なんて眼中に無いですけど、何勘違いしてるんですか?』
なんて言った日には俺が可燃ゴミにされかねないだろう。かといって遠回しに気づかせようにも、イース相手に回りくどい言い方で伝わるとは思えない。
「仕方ねぇな、背中も流し終わったしもう出るぜ。きっちり頭の整理してから出て来いよな、晴人」
初めて名前で呼ばれたけど、全然素直に喜べない。もう既に俺と付き合っているつもりになってんじゃねえか。
もう何がなにやら訳がかわらん。シャンプーって白い方だっけ黒い方だっけ!?




