62.「ネズミとバンザイ」
【辰守晴人】
「──おい、新入りぃ! 酒が一本しかねぇとはどういうことだぁ!!」
地下牢に怒声が響き渡り、天井からパラパラと埃が落ちてきた。
ついさっきまでご機嫌だったイースがこんなにも怒っているのは、俺が酒を一本しか持ち帰らなかったせいだ。まあ、わざとなんだが。
「見たまんまですね、今日は一本で我慢してください」
「テメェ、俺様を舐めてんのか!? 何でこれっぽっちしか取ってこなかったのかを聞いてんだよ!!」
イースが尻尾を地面に叩き付けた。石畳みにヒビが入り、天井から埃だけでなく砂粒まで落ちてきた。めちゃくちゃ怖い。
「これは俺の保険です。お酒を取ってきた後もイースが俺に協力的な姿勢を保つ保証はありませんからね」
「テメェ俺様の言葉を忘れたのか? 舐めたマネしやがったら身の安全は保証しねぇと言ったよなぁ!?」
イースの口元から、煙のように青白い炎が漏れ出ている。この人、実は魔女じゃなくて人の形をした怪獣とかなんじゃないのか。
「落ち着いてください、俺がイースを舐めてるなんて滅相もないですよ。ただ一つ、どうしても聞いてほしいお願いがあるんです。それを聞いてくれるなら、残りの酒を持ってくると約束します」
「俺様にお願いとは大きく出たなぁ、聞くだけ聞いてやる」
イースが怒鳴るのをやめて目を細めた。静かになると逆に怖い。もしかすると、内容しだいでは殺してやる、なんて考えているのかもしれない。
「アビスが帰ってくるまでの期間、俺の師匠になって欲しいんです!」
「……は?」
数秒間、イースが故障したのかと思うほど固まって動かなくなった。
「……あの、イース?」
「俺様が、テメェの師匠だと?」
「え、ちょ、イース!?」
やっと動き出したイースは、目をひん剥いて俺に詰め寄って来た。ヤバい、選択肢ミスったかもしれない。死ぬ。
「……悪くねぇ響きだぜ!! やってやろうじゃねぇか!!」
「ええぇ、何その紛らわしい反応……」
一瞬死を覚悟した俺だったが、イースは手の平を返したようにご機嫌になった。尻尾が俺の腰に絡みつき、引き寄せられる。
「よし、今日から俺様のことは師匠と呼べ新入りぃ!!」
「いいですけど、俺のこともいい加減名前で呼んでくれるとありがたいです。師匠」
「……なんか、いざ呼ばれると小っ恥ずかしいな、やっぱイースでいいぞ新入り」
「……」
俺がイースに弟子入りを頼んだのは、別にやぶれかぶれではない。色々考えた末に出した、苦渋の決断だ。
本当は出来るだけ早くここから出たいが、しかし、出れたとしてどうだろう。
フーや龍奈の居場所が俺に分かるのか? 分かったとして、またあの魔女狩りの連中と戦って俺は勝てるのか?
──俺にはまだ力が足りない。フーから齎されたこの力を使いこなすには、魔女の協力が必要だ。
しかも、おあつらえ向きにイースは魔女の中でも指折りの実力者らしいし、これを活用しない手はない。
アビスが帰ってきて、俺の処刑宣告が下されるまでの一ヶ月。その期間で何としても眷属としての力をものにしてみせる!
* * *
「──た、辰守君、思ってたよりもその、ボロボロね」
「ええ、なにせ着替えも何も無いもんですから」
朝飯という名のクトゥルフ神話を持ってきてくれたスカーレットが、今俺の目の前にいる。
本当に目の前だ。牢屋の扉越しではなく、目の前。
「これ、サイズが合うかわからないんだけど、一応新品買ってきたから着てみてくれない?」
今までの流れだと、料理の受け渡し口のやり取りしかなかったのだが、今日は扉の鍵を開けて部屋に入ってきたのだ。
しかも、どうやら服を持ってきてくれたらしい。この人料理作るのやめて部屋が綺麗ならただの聖母だな。
「え、わざわざ買ってきてくれたんですか? すごく嬉しいです、ありがとうございます!」
これは掛け値なしの本音だ。なにせ血がついて穴の空いた服をずっと着ていたからな。
もちろん洗ってはみたが、血の汚れって全然落ちないし、穴はどうしようもない。
イースはみすぼらしいから裸でいろなんて殺生な事を言うばかりで、特に何をしてくれるわけでもなかったしな。
「お、お礼なんていいわよ、別に君のために買ってきたわけじゃないんだからね!」
さっき新品買ってきたって言ってたじゃん。スカーレットは照れるとポンコツンデレになるみたいだな。
「それで、朝ご飯なんだけど……」
「はい、毎度ありがとうございます。そこに置いといてください」
昨夜のスカーレットを見た後でトイレに流すのは忍びないが、これも生きるためだ。断腸の思いで、捨てさせていただく。
あんなの食ったら物理的な意味で断腸しかねないしな。
「……いや、今朝は時間あるから一緒に食べようかなって」
「はぁいいいいいぃぃぃ!?」
今なんて言った? 一緒に食べようかな? 何を? クトゥルフ様を!?
「ちなみに今朝の献立は、じゃじゃん! お節よ!」
大変だ、じゃじゃんとクトゥルフ様が降臨してしまった。案の定、重箱の中身は名状し難き黒い物体が詰め込まれている。
もうね、見た目全部一緒。全部真っ黒。怖いよ。栗きんとんどこ行ったの?
「朝起きてパパッと作ったから、本格的じゃないかもしれないけどね。でも海老と栗きんとんはちょっと自信作よ!」
いやいや、昨日の深夜から頑張って作ってくれてたじゃないですか。未だに頭にバンダナ巻いたままだし、なんなら朝までぶっ通しで作ってたんじゃないですか?
謙遜するところもとても素敵だと思いますけどね、ただどれが海老でどれが栗きんとんなのか判別がつかないんですよ。スカーレットさん……
「……やだ、今ベッドの辺りで物音が聞こえなかった? ネズミかしら」
「そ、そりゃあこんな美味しそうなお節があれば、ネズミの一匹や二匹出てきてもおかしくないですよ」
「なるほど、一理あるわね」
イースめ、ベッドの下で笑ってやがるな!? さっきからガタガタ揺れてるんだよ!!
「まあネズミくらいどうって事ないわ、何故か私の部屋にもよく出るし。早速食べましょうか」
ネズミが出るのは部屋が汚いからだぞ。スカーレットさんよ。
「あの、スカーレット。先に服を着替えたいんですけど……」
取り敢えず一度部屋からスカーレットを追い出そう。出て行った瞬間トイレにクトゥルフ様を全部捨てて、ネズミの大群に食べられた事にするんだ! 天才か!!
「あら、そうよね。私ったら気が利かなくて……はい、バンザイして?」
「バンザーイ」
──いや、もし彼女がいたらして欲しいけど!! 今はさっさと出て行けよ!!
俺も俺でつい言われるがままバンザイしちゃったけどね!?
「この服もう捨てちゃっていいよね? あ、まだ服着ちゃダメよ、背中拭いてあげるから」
まずい、聖母スカーレットにずっといて欲しい自分と、飯まず汚部屋スカーレットにさっさと出て行って欲しい自分が内部抗争を起こしそうだ。
「はい、綺麗になったわよ! バンザイして?」
「バンザーイ」
──俺のあかんたれめがッ!! このままでは地獄を見る事になってしまう、ヤバい、ヤヴァイ!!
「よし、辰守君の着替えも済んだことだし、食べましょうか!」
「す、スカーレット、実は俺あまり食欲がなくて……」
通用するとは思えないが、オーソドックスに仮病作戦だ。
「──あ、そ、そうよね。ごめんなさい……私、君の気持ち全然考えれてなかったよね」
「……んん?」
「大怪我してこんな所に連れてこられて、牢屋にまで閉じ込められて……それなのに私、お節なんて作って、ぜ、ぜんぜん空気読めて無かったよね──」
かかか、軽はずみに仮病なんて使ってごめんなさいッ!!
「いや! 違う、違います! 食欲が無かったのはさっきまでですよ!? 今はもうペッコペコですよ!! わー、美味しそうなお節だなぁ!!」
もうダメだ、スカーレットには勝てない。俺は何でこんないい人が作ってくれた飯をトイレに流したりしてしまっていたんだ、バカか?
同じ鴉の魔女でも、イースは俺のことを死ぬ死ぬ言って笑っているというのに──
食べよう。甘んじてスカーレットの作った料理を食べようじゃないか。それが人の道ってもんだろう。
「ほ、ほんとに? 無理してない?」
「してませんよ! さあ、栗きんとんはどれですか!? まずはそれからいただきましょう!」
昨晩必死に作っていた栗きんとん、さつま芋の皮も厚めに剥いてスジが入らないようにしてくれたんだ、それをいただこうじゃないか! スカーレット、俺はもう貴女の努力を無駄にしたりしない!
「え、どれってなに?」
「……え?」
「え?」
──これは失言。全部見た目が同じだからつい口が滑ってしまった。というか、スカーレットは見分けがついているのか?
「──はい、今のは聞き流してくださいね。俺は栗きんとんが食べたいですよ!」
「え、ええ、栗きんとんね! ちょっと待ってね、多分これだと思うけど今確かめるわ!」
スカーレットさんが重箱の一角を箸で掬い上げ、そのまま口に運んだ。
「……もしかして、スカーレットもどれがどれか分かってないんですか?」
「……」
「す、スカーレット?」
「……」
「死んでるな」
「いや死んでませんよ!!」
ベッドの下からイースが不吉な事を言い放った。ほんとろくなこと言わないなこいつは。
しかし、イースがそう言うのも仕方ないかもしれない。スカーレットは白目を剥いて口から泡を吹いていた。
「こ、これは……何という威力」
「こいつ、今までこんなもん俺たちに食わせようとしてたんだぞ。一発殴っていいよな」
「鬼ですかイース、もう十分罰は受けてますよ」
悲惨な光景を見て我に返ったが、本当に今まで食べなくて正解だった。別によかったんだ、トイレに流してて。
「さてと、丁度バカが気を失った事だし、俺様は自分の部屋に戻るから、そのバカの介抱頼んだぞ。そのままだとマジで死んじまうかもしれんからな」
「え、こんな状況で自分だけ逃げるとか酔ってるんですか?」
「素面だよ燃やすぞテメェ、そもそも酔えるほど酒持ってきてねぇだろうが」
イースは吐き捨てるようにそう言うと、鼻歌を唄いながら本当に自分の牢屋に帰っていった。我が師匠ながら人格に重大な問題があるな。
「取り敢えず、吐かせないとダメだよな」
俺は床に座ったまま泡を吹いているスカーレットを抱き上げた。
その拍子に、スカーレットの頭に巻かれていたバンダナがズレ落ちた。
「……え?」
スカーレットの頭に、角が生えていた。イースと同じようで少し形は違うが、しかしやはり角だ。
さらに、自分の脛辺りに何かが触れる感触がして下を見ると、スカートの裾からズルリと尻尾が垂れ下がっていた。
「……まあ角が生えてようが尻尾が生えてようが、別にやる事は変わらないか」
突然の事に驚いたが、今はそんな事に気を取られている場合ではない。
早く体内から毒素を排出してやらないと死んでしまうかもしれない。恐ろしいことに口から溢れる泡がだんだん黒くなってきてるしな──
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