61.「隠し味と隠し酒」
【辰守晴人】
城といえば、まず日本史の教科書に載っている挿絵を思い浮かべる。石垣の上にどでかい木造建築が乗っかっているアレだ。
しかし俺が今いるここは、それとは毛色が違い、西洋風のお城だ。一言で言えば派手。
別に建築様式に詳しい訳でもなんでもないが、側にある泉に背中を向けてコインを投げ込みたくなる衝動に駆られるのは、この城がローマの有名な宮殿を彷彿とさせるからだろうか。
外観も然る事乍ら、内装も壁から天井まで嫌味なくらい豪華な装飾が散りばめられている。
状況が状況でなければ、ゆっくり見学でもしたかったところだ。
──地下牢から地上に出た後は、かなりスムーズに城まで移動できた。
距離もそんなに離れているわけではないし、一度は隻腕の魔女、バンブルビーに運ばれて通った道だったしな。
イースに書いてもらった地図を思い出しながら、俺は物音を立てずに、気配を殺しながら城内を進んだ。まずは食糧庫を目指す。
食糧庫は城の地下一階にあり、そこへ行くためにはエントランスから正面の廊下を突っ切らなければならない。
廊下には特に隠れる場所もないため、魔女と出くわしたら俺の人生が即終了である。
慎重に、かつ迅速にエントランスを抜け、そして廊下へ。
廊下の両側には左右対称に扉があり、真ん中を過ぎた辺りで一つの扉から光が漏れていた。
俺は息を止めながら扉を横切った。扉は数センチほど開いていて、覗こうと思えば中を覗けたのだが、余計な好奇心で命を落とすわけにはいかない。
なんとか廊下を抜けて地下への階段を降りた俺は、ようやく食糧庫に辿り着いた。
イースの話によると、食糧庫は部屋が三つ並んだ特殊な構造をしていて手前で保存食、真ん中で生鮮食品、そして奥の部屋で冷凍食品を保管しているとのことだった。
魚や肉なんて牢屋に持って帰っても、調理が出来ないと仕方がないので狙うのは保存食品だ。
意外にカップラーメンやお菓子類が多くて驚いたが、缶詰なんかもたくさん置いてあったから取り敢えずベッドのシーツで作った袋に詰めていく。完全に泥棒である。
手早く食料調達を済ませた俺は、次の目的地へ向かった。
イースの隠し酒があるという四階フロアである。
この城自体は五階建てになるらしいのだが、実際に五階建てになっているのは中央のドーム型の一部分のみで、他は全て四階までしかない。
つまり俺は、地下一階から実質最上階まで登らなければならない。
再び長い廊下を、夢と希望が詰まった袋を抱えて通り抜ける。さっき光っていた扉はまだそのままだった。
もしかして明かりをつけたまま寝ているのだろうか、人の気配は感じられなかった。
──上階へ続く階段を登った所で、少し事件が発生した。
階段横のフロアに誰かがいるのだ。確かここは厨房のはずだ。最上階に厨房があるなんて珍しいと思い、よく覚えている。
厄介な事に厨房の出入り口には扉がなく、横切れば中の人物に見つかってしまうかもしれない。
俺は壁に身体を密着させながら、ゆっくりと厨房の様子を伺った。
「──えっと、さつま芋の皮は厚めに剥くのがポイント」
スカーレットだった。深夜の零時を過ぎて厨房で一体何をしているというのだろうか。
「それにしても不思議ね、栗きんとんなのにさつま芋を使うなんて、このレシピ本当にあってるのかしら」
不思議なのはアンタだよ、なんで今栗きんとんを作ってるんだ。お正月にしてはちょっと早過ぎますよ?
「面倒臭いけど、辰守君もきっと一人で心細いだろうし、せめて食事だけでも豪華にしてあげたいもんね。頑張るのよ私!」
なんと、スカーレットは俺のためにこんな時間から飯の用意をしてくれているようだった。頭にバンダナまで巻いて、やる気満々である。
豪華な日本食ときてお節をチョイスしたのは甚だ疑問だが、それでもスカーレットという魔女の心根の清廉さに、俺は心を打たれた。
それに、スカーレットはイースに負けず劣らずの美人だった。後ろ姿しかはっきり見ていなかったが、相当可愛い。
そういえば俺を椅子に縛り付けてああだこうだ言っていた奴らも、よく考えると全員美人だった気がする。
もしかして魔女ってそういうものなのだろうか。ファンタジーでいうエルフ的な……
「──あれ、ンジャヒュヌルコッペ入れたらまた色が濃くなっちゃったわ。まあレシピ通り作れば大丈夫よね!」
いや、いくら可愛くてもエルフは料理をクトゥルフ神話みたいにしないからな。一緒にしちゃダメか。
ていうか、んじゃひるるぺっぺ入れてる時点でレシピ通りじゃないんだよなぁ。
スカーレットには明日きちんと言っておこう。んじゃひるるぺっぺはもう入れなくてもいいと──
* * *
スカーレットが牛乳を床にぶちまけた隙に俺は厨房を横切り、とうとう目的の部屋へ到着した。
四階西側の一番奥の部屋、イースの私室だ。
聞いていた通り鍵は掛かっていないらしく、ドアノブに手を掛けると普通に扉が開いた。
イース曰く『俺様の部屋に無断で入るような命知らずはいねぇ!』とのことだったが、それにしても鍵くらい掛けておいた方がいいと思うけど。
イースの部屋は意外にも綺麗だった。華美な城とは裏腹に、無駄な家具があまり無くスッキリとしている。
なんだかんだで女の子の部屋に入るのはこれが初めてなんだが、なんだかいい香りがするな。
それにつけても、缶詰を袋に詰めた男が女の部屋に侵入して匂いを嗅いでいる様は、客観的に考えるとものすごく気味が悪いものだ。残念ながら俺なんだが。
「──さて、クローゼットの奥……ここか?」
俺は部屋の壁際に建て付けられたクローゼットを開け、背板を少し押した。
──ガコン、という音を立てて、中程から背板が手前に外れた。その奥には穴の空いた壁と、おそらくは隣の部屋のクローゼットの背板が見えていた。
「……ほんとめちゃくちゃやるな、あの人」
再びガコンと背板を外して、俺は隣の部屋に侵入した。イースの隣の部屋、つまりはスカーレットの部屋に。
〜以下回想〜
「え、お酒ってスカーレットの部屋に隠してあるんですか?」
「おう、あそこが一番安全だからなぁ! 俺様の部屋のクローゼットから壁に穴開けてな、アイツの部屋のクローゼットから出入り出来る様にしてんだ!」
「スカーレットはその事を知っているんですか?」
「バカ、アイツが自分の部屋に何があって何が無いかとか、穴が空いてるとか床が抜けてるとか把握できてる訳がねぇだろ!!」
「スカーレットっていったい……」
〜回想終了〜
スカーレットの部屋は壮絶だった。なんと言うか、床が無かったのだ。
床に穴が空いているとか、そういう意味では無い。足の踏み場が無いのだ。
床一面に服やら雑誌やらが散乱していて、一言でいうとクソ汚い。
今すぐにでも掃除したい衝動に駆られたが、俺はぐっと堪えて部屋の隅に埋もれている四角い洋服箱を掘り出した。
中にはびっしりとワインボトルが詰まっている。几帳面にラベルの位置まで綺麗に整列しているあたり、イースは意外と神経質な性格らしい。
イースとスカーレット、足して二で割れないものか。
「おっと、もたもたしてるとスカーレットが悪の実験から戻ってきちまうな」
俺は洋服箱から酒を一本だけ取り出して袋に詰めた。
──再びクローゼットからイースの部屋に戻ると、さっきは気がつかなかったが、壁に剣が二振り掛けられていた。
素人目にも高価なものだと分かるほど立派な剣だった。後でイースにそれとなく幾らくらいするのか聞いてみようかな。
* * *
スカーレットの実験場を掻い潜り、階段を降りてエントランスまで来た俺は、人の気配を感じて息を潜めた。
「──ラテ、すまないねこんなに遅くまで」
「ううん、気にしないで。そもそも二人で経理担当になったんだし、一緒にするの当たり前だよ」
どうやらエントランスの隅で二人の魔女が話しているようだ。さっき明かりが付いていた部屋の主はこの二人のどちらかだろうか。
「それでさ、よかったらなんだけど……私の部屋でコーヒーでも飲んでいかない?」
「……お誘いは嬉しいけど遠慮しておくよ。付き合わせた僕が言うのも何だけど、夜更かしはお肌の大敵だよ。ラテ」
「そ、そうだね、こんな時間にコーヒーなんて飲んだら、眠れなくなっちゃうしね……何言ってんだろ私、ごめんね、おやすみなさい」
「う、うん、おやすみ」
急に会話がお開きの流れに入って焦ったが、幸い二人とも俺がいる階段側とは反対の方向へ廊下を進んで行ってくれた。明かりが付いていた扉の方だ。
間一髪だったな。イースめ、全然魔女が寝てないんだが。
それにしてもさっきの二人、妙に気まずい雰囲気だったな。見ているこっちがむず痒くなった。まあ、俺には関係ないけどな。
それよりも今は空腹が限界だ。また別の魔女が現れないとも限らないし、こんな所に長居は無用だ。さっさと俺の住まいに帰るとしよう──




