59.「ショーツと酒瓶」
【辰守晴人】
「──あ、あの、ここから出してくれるって本当ですか?」
「おうよ、この俺様に二言はねぇ! ただし条件があるがなぁ!!」
地下牢に響き渡る大声は明らかに怪しいしヤバい雰囲気がするけど、俺にはもう他に縋るものが無かった。
「条件というのは?」
「テメェがそこから出たら、入り口にある鍵を使って俺様の牢を開けろ! それだけでいい!」
やはり怪しい、こいつが何者かは知らないが、そもそも地下牢に入れられている時点でヤバい奴に違いない。いや、俺は普通の一般人だけどね?
「……こちらからも条件があります」
「ほう、なんだ言ってみろ!!」
「俺には一切危害を加えないと約束してください」
「いいだろう、テメェが舐めたマネしねぇ限りは約束してやるよ!」
今のところこの声の主の言う通りにするしか手立てはない。口約束なんて何の意味もないかも知れないが、自分の背中を押す意味でも、しないよりはマシだ。
「じゃあ契約成立ですけど、具体的には俺はどうやってここから出るんですか?」
「その牢屋に黒いチェストがあるだろ! 下から二段目の一番右の棚を開けろ!!」
俺は言われるがまま、部屋の壁際にある黒いチェストを開けた。
「……こ、これは!?」
俺の眼前には、綺麗に畳まれて収納された女性用下着が、お淑やかに整列していた。
「おい! 開けたのか!?」
「……え、あ、開けましたけど!?」
「その中に黒いショーツがあんだろ!! それを出せ!! それ以外触ったら消し炭にするからなぁ!!」
どうやら開ける引き出しを間違えたわけではないらしい。俺は下着泥棒になったような気分で、黒いショーツを取り出した。
「と、取り出しましたよ!!」
「そこに鍵が隠してあるから、それ使って牢屋から出ろ!! んで俺様の牢屋も開けろ!!」
黒いショーツをしゅるりと広げると、カランと音を立てて鍵が地面に落ちた。
何故ショーツの中に牢屋の鍵があるのかは分からないが、とにかく脱出出来るなら今は何だっていい……いや、それにしてもこのショーツ、スケスケである。
──鍵を使って牢屋から出ると、すぐに薄暗い広間だ。壁に沿って視線をスライドしていくと、地上へ繋がる階段のすぐそばに、鍵の束が引っ掛けてあった。
「鍵見つけましたけど、どの鍵使えばいいんですか!?」
「一番新しいヤツだ! さっさと開けろ!!」
広間で聴くと余計に馬鹿でかい声だ。面と向かって喋ったら鼓膜が破れるかも知れない。
「えっと、これか?」
俺は鍵の束の中でも一番綺麗な物を鍵穴に差し込んだ。
──ガチャリ、と小気味のいい音を立てて鍵が開いた、瞬間。
「ガッハッハ!! でかしたぞ新入りぃ!!」
「……ッあがぁ!?」
俺は猛烈な勢いで開いたドアに吹っ飛ばされ、広間の中央くらいまで転がった。
「ん、どうした新入りぃ!! そんなとこで寝転んでんじゃねぇ、服が汚れんぞ!!」
「……つぅ、めちゃくちゃだ、めちゃくちゃだこの人!!」
俺は地面に突っ伏したまま叫んだ。怖くて顔を上げれない。地面から顔を離すと、額から脳みそが溢れる気がする。
だって額が割れてるんじゃないかと思うほど痛いし、まじで割れてないよね?
「大丈夫か? ほう、お前以外といい面構えだな!!」
「……ッんな!?」
身体が急に地面から浮いたかと思うと、いつの間にか俺は地面に立たされていた。
目の前には恐怖の声の主が……いや、可愛い女の人がいた。
「なんだぁ人の顔まじまじと見やがって、俺様の顔になんか付いてんのか!?」
付いてます、整ったお顔に、大きなお目目とツンとした鼻、小ぶりながらもぷるんとした可愛らしい唇が付いています。
てっきりネアンデルタール人に角を生やしたような奴が喋っているのかと思ったが、超絶美人が出てきた。
いや、しかし俺の想像は半分当たっていた。角が生えていた。超絶美人に角が生えているのだ。
「あ、あの、頭から何か生えてますけど」
「ん、なるほど、これ見てビビってやがったのか! これはなぁ新入りぃ、角だ!!」
「まんまじゃないですか」
本人も認めているから、間違いない。頭の両サイドから悪魔のような湾曲した角が生えている。
「ガッハッハ! 角なんかでビビってんじゃねえよ、ほれ何なら尻尾も生えてるぜ!」
言われてイースの腰あたりを見ると確かに尻尾が生えていた。かなり太くて長い尻尾で、人一人くらいなら絞め殺せそうだ。
「な、これは、いったい……」
「おう、とにかく今は礼を言うぜ! 俺はイース! 蒼炎の魔女、イース・バカラ様だ!」
「よ、よろしくお願いしますバカラさん」
イース・バカラと名乗るこの女性、真っ青な髪に禍々しい角、それと大蛇のような尻尾。
蒼炎の魔女と言うからには魔女なんだろうけど、魔女って角とか尻尾が生えても当たり前なのか?
「なんだよ水臭ぇな、一緒に脱獄した仲だろ!? イースって呼べよ新入りぃ!!」
イースが俺の肩に手を回して抱き寄せてきた。うむ、馬鹿でかいのは声だけではないらしい。立派な、いや立派すぎるお胸をお持ちだ。
「い、イース、まだ脱獄してませんよ。牢屋から出ただけです」
「俺はお前が入ってた牢屋に用があるだけだからいいんだよ! ほれ、お前もついて来い!」
イースに導かれ、再びさっきまで俺がいた牢屋に戻ると、イースがベッドの下に潜り込んで何やら怪しげな動きを始めた。
しばらく見守っていると、イースが手に何かを持って出てきた。
「……イース、それは?」
「なんだよ新入りぃ、酒も見たこと無ぇのか!?」
イースの手には一本の酒瓶が握られていた。もちろんそんな事見れば分かるが、俺が言いたいのは酒瓶なんて取り出して何に使うんだという事だ。
「そのお酒を何に?」
「新入りぃ、お前不思議な奴だな。酒なんだから呑むに決まってんだろ」
心底不思議だったのか、初めて怒鳴り声以外で返事が返って来た。なんだ、そんな可愛い声も出せるんじゃないか。
「……イース、ちょっと聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「貴女はどうして牢屋に?」
「んだよ藪から棒に、一昨日食糧庫の酒をこっそり全部呑んだのがバレちまってな! おかげでこの有り様よ!!」
「……じゃあ、イースもここの組織の人って事ですか?」
「はあ? 何当たり前のこと言ってんだ?」
まずい、訳がわからん。
昨日から訳が分からない事続きだが、これは中々パンチが効いている。
「俺、一応イースの仲間に閉じ込められてたんですけど」
「知ってるよ、聞いてたからな。 お前アビスが帰ってきたらぶっ殺されるんだろ?」
「……らしいですね、それで脱走しようとしてたんですけど、何で助けちゃったんですか?」
「お前と協力すりゃこの酒が飲めるからだが?」
──分かったこの人、ヤバい人だ。しかもアル中のヤバい人。
「ほらほら、いいから一献付き合えよ! 特別に俺様の酒を分けてやるからよ!」
「ちょ、やめて下さい! 俺まだ未成年ですから!!」
「バッカお前、だったら余計に呑んどけよ! 酒の味も知らねぇまま死ぬなんて勿体無いぞ!!」
くそ、さっきから人のこと死ぬ死ぬ言いやがって。こちとらそうならないように必死になっているんだ。
「イース、お願いがあるんですけど」
「なんだよ新入りぃ」
「その、俺がここから逃げる手伝いをしてくれませんか?」
どうせ一人じゃ先は無い。俺はここが何処かも知らないのだ。生き残る可能性を少しでも増やすには、イースを何とかして仲間に引き入れるしかない。
「無理に決まってんだろ! バカかテメェ!!」
「ですよねー」
まあ当然そうなる。さっきイースは、ただこの部屋に隠していた酒を呑みたいがためだけに、一時的に俺と協力したのだ。
酒を飲んだらイースは、俺の事を放っておいて自分の牢屋に戻るだろう。
俺がどうせここから完全に逃げ切れる事はないと確信しているからだ。
「イース、お酒って他にも隠してたりするんですか?」
「んあ? ここに隠してんのはこの一本だけだ。俺はいっつも牢屋にぶち込まれる時はこの部屋って決まってんだが、合鍵作ったり酒隠してんのがバレたのか、一昨日は違う部屋に入れられてな。ったくスノウのやつ、余計な真似しやがって……」
どうやらイースは牢屋にぶち込まれた経験が一度や二度ではないらしい。
合鍵や隠し酒の事から察するに、相当慣れているのだろう。ちょっとは反省しろよ。
「ここにはという事は、別の場所にもお酒を隠してあるんですか?」
「まあな、城にあるから今は吞めねぇが、絶対にバレない場所に隠してある」
「そのお酒、僕がここに持ってきたら協力してくれますか?」
「……なんだと?」
案の定、酒瓶をラッパ呑みしていたイースが食いついてきた。
「イースもこの地下牢から出てるところを見られたらまずいですよね。だから俺が代わりに隠してある酒を取ってきます」
「新入りぃ、テメェ自分が何言ってるか分かってんのか? 城の連中に見つかったらタダじゃすまねぇぞ」
「タダじゃすまないのは時間の問題です。俺は何もせずに死ぬなら足掻いて死にたいですから」
俺はイースの目を見てはっきりとそう言った。きっとイースには小手先の嘘よりも、正直にストレートに頼んだ方がまだ見込みがある気がする。
「……ガッハッハ! 気に入ったぞ新入りぃ! いいだろう、テメェが本当に酒を持って来たなら俺様は協力を約束しよう」
「じゃあ早速お酒の場所を教えて下さい。作戦を考えますから」
暁光だった。完全に手詰まりの状態から、僅かながらも生き残る道筋が見えた。
「まあそう焦るな新入りぃ、アビスの野郎が帰ってくるまで最低でも一月はかかる。詳しい地図は今日中に書いといてやるから、今はこいつでパアッとやろうぜ!!」
もちろん未成年なのでお誘いは丁重にお断りした。
イースはどうやら悪い奴では無いらしいし、上手くすれば脱出の手伝い以上に得るものがあるかも知れない──




