58.「尋問と地下牢」
【辰守晴人】
「──汚らわしい人間が、楽に死ねると思うなよ」
その言葉を最後に、アイツらは姿を現さなくなった。薄暗い地下の牢獄は、思っていたよりも快適だったが、このまま囚われていてはいずれ殺されるかもしれない。
ほんの一、ニ週間前までは、普通に学校に行ってバイトして、フーと龍奈と買い物に行ったりして──まさかこんな事になるなんて夢にも思わなかった。
いや、普通だと思い込んでいただけで、きっと何もかもが最初からおかしかったのかもしれない。
目を閉じるたびに龍奈とフーの顔が頭をちらついた。
結局フーは何者だったのか、どうして俺を刺したのか、龍奈が何故あの場にいたのか、なんで泣いていたのか……俺は何も分からないし、知らなかったのだ──
* * *
「──ろ……きろ……起きろー!!」
脳みそが揺れるような衝撃と声に、俺は深い眠りの淵から引きずり出された。
「……こ、ここは何処だ……?」
「むはぁ、やっと起きやがったか。お客様第一号」
目の前には灰色の髪に赤い瞳の少女、やけに顔が近いと思ったら、どうやら俺の髪の毛を掴んで無理やり顔を合わせているらしい。
周囲には数人の女が俺を取り囲むように立っている。
「う、だ、誰だお前……ここは、フーは何処だ?」
意識は覚醒しつつあったが、記憶がかなり曖昧だった。こいつは誰で、どうして俺はこんな所にいるのか、フーは一緒じゃないのか、全く状況が分からない。
「むはぁ、とぼけてんじゃねーぞ。お前らが私ちゃんの顔を知らねーなんてあり得ねーだろ」
「……お前、もしかして──」
喫茶店の店員。そう、確かこいつはフーと一緒に訪れた喫茶店の店員だった女だ。
「もう結構です。この男が眷属である事も、バブルガムを知っている事も確か……魔女狩りの異端審問官に間違いありません」
「むはぁ、だから最初っからそう言ってんじゃーん。スノウは相変わらずめんどくせーなー」
「な、だいたいアナタはいつも……」
「はいはい、ストップ。今は喧嘩するよりもこいつの処遇を決めようよ。ボスが帰ってくるまでどうするのかをさ」
俺を取り囲む女が口にした、魔女狩りと眷属という言葉で、何があったのか急激に思い出してきた。
俺はフーと二人で温泉に行った帰りに、魔女狩りを名乗る謎の二人組に襲われたのだ。
その内の一人が、確かに俺のことを眷属だと言っていた。
そして、その後フーが俺を──
「どうするも何も、さっさと殺してしまいましょう。どうせ大した情報は持っていませんよ」
「むふぅ、せっかく生捕にしてきたのに殺したらもったいねーだろー、ちゃんと情報は吐かせねーとだめだ!」
「正直俺もスノウに同意見だけど、せっかくブラッシュまで引っ張って来たんだし、一応尋問するだけしてみてもいいんじゃない?」
「私は尋問するよりも、貴女と楽しいことがしたいわ」
「おっと触らないでくれブラッシュ、妊娠する」
目の前で何が起きているかは依然さっぱり分からないが、意識を失う前のことは完全に思い出した。
フーに後ろから刺された後、急に龍奈が現れて、瀕死の俺に回復魔法の使い方を教えてくれた。
そして、龍奈が姿を消したしばらく後に、灰色の髪の女に俺は連れ去られたのだ。
「お前たち一体何者なんだ、俺をどうするつもりだ!」
「薄汚い魔女狩り風情が、勝手に口を開く権利はお前に、無い!」
「……ッが!?」
スノウと呼ばれていた黒髪の女が、俺の顔面を蹴り上げた。椅子に縛り付けられているから避けることも出来ない。
「むはは、モロだモロ」
「バブルガム、笑ってないで止めた方がいいんじゃない?」
「……お、俺は魔女狩りとかいう、訳のわからない組織とは、関係ない」
眷属とやらになったせいなのか、何とか意識は保てているし蹴り上げられた顎も大丈夫そうだ。脳みそはかなり揺れているが。
「っち、何度も同じ事を……」
「だめ、私がやる」
黒髪の女が再び俺を蹴ろうとしたが、喫茶店にいた青髪の女がそれを制止した。
「私の声をよく聴いて、君の名前は?」
青髪の女は俺の耳元に顔を近づけてそう言った。囁くような小さな声なのに、頭の奥までガンガン染み込むような不思議な感覚に陥る。
「……今はそんな事、関係無いだろ」
「もう一度。君の、名前は?」
「……あ、た……辰守、晴人、ッ?」
まるで身体を乗っ取られたかのように、俺の口が勝手に動いて勝手に喋った。
「好きな動物は?」
「……ね、猫だ」
「好きな料理は?」
「……三龍軒の、店長が作った、炒飯」
勝手に口が動くばかりか、嘘もつけない。きっとこの青髪の女の力、おそらく魔法によるものだ。
つまり、俺を攫ったこいつらは全員魔女だ。そしておそらく魔女狩りとかいう組織と敵対している。名前からして仲良くは出来なさそうだしな。
「ふふ、いい子。じゃあ君は魔女狩りの人間?」
「……俺は魔女狩りじゃ、ない」
「むふぁ!? んなバカな!」
バカもクソも無い、俺は本当にそんな組織の人間じゃないんだからな。
「おやまあ、バブルガム。お前魔女狩りと関係ない人間を連れてきたのか?」
「むふぅ、そんな訳ねーじゃん! 絶対こいつ魔女狩りの異端審問だよ! 店に来た時一緒にいた金髪女は、確かに他の異端審問官と一緒に私ちゃんを攻撃してきたんだぞ!?」
店にいた金髪、フーの事だ。つまり、フーは俺を刺して立ち去った後に、この灰色の髪の女と戦ったということなのか?
「……一緒にいた金髪の魔女は何者なの?」
再び耳元で青髪が囁いた。
「一緒にいた魔女は、フー。少し前に、知り合ったばかりだから、何も、知らない」
「バブルガム、こう言ってますけど?」
「むふぅ、じゃあ何でお前は知り合ったばっかの魔女の眷属になってんだよー!」
灰色の髪の女が酷く狼狽し始めた。もう俺が魔女狩りだとかどうかの話はどうでもいいのか。
「君はどうして眷属になったの?」
「……魔獣に、襲われた時に、血を飲まされて、助けられた」
「あらあら、じゃあどうして君はあそこで倒れていたの? 誰にやられたの?」
「魔女狩りに、襲われて、その後にフーに、刺された」
「……それはどうして?」
「……俺にも、分からない」
そんな事、俺が知りたい。どうして急にフーが──まるで人が変わったみたいだった。
だとしたらあれがフーの本性だったとでも言うのか? 俺は絶対にそんな事は信じない、信じてたまるか。
「なんだかよく分かりませんが、ブラッシュが口を割らせたのですから全て真実なのでしょう。つまり、バブルガムはただの死に損ないを城に連れてきただけということですね」
「むはぁ、おかしいなー。実はブラッシュの魔法が効いてねーとか……」
「辰守君、この中で一番恋人にしたくないのは誰?」
「……!? そこの、スノウとか呼ばれてる、女」
「むはは、なんだちゃんと魔法効いてるみてーだな」
「……な、なんで私が!? この汚らわしい人間が、貴様は何様のつもりだ!!」
「ハッハッハ、そりゃいきなり蹴るからだよスノウ。あーお腹痛い」
何とか俺が魔女狩りではないと分かってくれたようだが、それにしてもとんでもない質問しやがって、スノウとかいう女の目が血走っている。
「むはぁ、じゃあこいつどーすんだよー。元の場所に帰しとく?」
「ダメです、ただの人間ならまだしも、眷属にこの城のことを知られたんです。生かして返すわけにはいきません。それにこういったイレギュラーな事態の最終的な判断はアビス様に仰がなければ」
「だってさ。鴉へようこそ坊や。このバンブルビー・セブンブリッジが丁重に地下牢までエスコートするよ」
「おい、ちょっと待てよ、俺はただ巻き込まれただけだって分かっただろ!? さっさとここから解放してくれ!」
俺の訴えも虚しく、バンブルビーと名乗る隻腕の女は、片手で俺を椅子ごと持ち上げると脚で壁の窓を蹴り開けた。
何故窓を開けたのかなんて考える暇も無く、女は窓から飛び出した。もちろん椅子に縛られた俺ごとだ。
「……ちょ、んんんんッ!?」
中学生の頃、母さんに連れられて大きな遊園地に行ったことがある。その時乗ったジェットコースターは大層楽しくて何度も列に並んだものだが、断言する。
これはもう二度とごめんだ──
* * *
石造りの狭い階段を、椅子と一体化した俺がぶつからないようにバンブルビーは器用に降りていく。
かなり深くまで続いているようで、長い階段を既に四回は折り返している。俺は何度も解放するように抗議したが、バンブルビーは鼻歌を歌うばかりで気にもしない様子だ。
「さあさあ着いたよ辰守君。今日からここが君の新しい住まいだ、綺麗に使っておくれよ?」
階段を降り切ると、かなり大きな円形の広間があった。俺はその真ん中で椅子から解放され、いくつかある扉の前まで誘導された。
「おい、何度も言うようだけど家に帰してくれ。ここやアンタ達の事は絶対誰にも言わないし、もう二度と関わらないから」
「──まだ自分の置かれた状況が分かっていないのか? 貴様の死は既に決定事項だ。執行日が決まるまで、ここで余生を楽しめと言ってるんだよ人間」
気がつけばスノウとかいう付き合いたくない奴ランキング、ナンバーワンの女がいた。後ろに喫茶店の青髪や灰髪もいる。
「そうかよ、じゃあ悪いけど俺の家から枕取ってきてくれないか、枕変わるとよく眠れないタチなんだよ」
こいつらに解放する気が微塵もない事を悟った俺の、精一杯の口ごたえだった。
「……汚らわしい人間が、貴様楽に死ねると思うなよ」
俺は依然鼻歌を歌っているバンブルビーに部屋に押し込まれ、外からは鍵を掛けられた。
スノウの吐き捨てるような言葉を最後に、女達は地下室から去っていったようで地下の空間は静まりかえっていた。
当然ながら扉は固く閉ざされて開かないし、途方に暮れた俺は仕方がないから自分が閉じ込められた部屋を内見することにした。
まあ気に入ろうが何だろうが、ここからは出られないわけだが。
それにしても、地下室に監禁というと映画や小説に出てくる、鉄の扉に狭い部屋、剥き出しのトイレが一つぽつんとあるだけの、いかにもなやつを連想していたが、存外ここは快適な部屋かもしれない。
まずかなり広い。十畳ほどはあろうかという部屋に、大きなベッドがあり、チェストや小さなテーブルまである。
極め付けに部屋にはもう一つ扉があり、その奥がトイレになっていた。俺が扉を開くなり、トイレの便座がゆっくりとあがった。
トイレに至っては、俺の家よりハイテクときたもんだ。嬉しいのか悔しいのかよく分からない感情が込み上げてくる。
内見の結果、ここはちょっとしたホテルの一室くらい環境の整った部屋だということが分かった。
地下だから無論窓は無いし、もちろんルームサービスも頼めないけど、地下牢と言うには余りにも贅沢な部屋だった。
「──おい、新入りぃ」
突然、背筋が凍るような声が聞こえた。俺の部屋からでは無い、硬く閉ざされた扉の向こうからだ。
俺は恐る恐る扉に近づき、目線の高さにある監視用の小窓から外を見た。
「だ、誰だ? 誰かいるのか!?」
「居るから喋ってんだろうがこのタコが! 口の聞き方には気をつけろよテメェ!!」
物凄い声量だ、声はおそらく円形の広間の向こう側、つまりいくつかある扉の中から聞こえているはずなのに、耳がキンキンする。
「す、すみません。あの、どちら様でしょうか?」
「俺様に名を尋ねる前に、テメェが先に名乗りやがれ!」
「た、辰守晴人ですけど」
俺が得体の知れない人物に素直に従っているのは、さっきみたいに魔法によるものでは無い。
素直に声の主が怖いからだ。逆らう者を絶対に許さない、有無を言わさぬ迫力がこの声にはあるのだ。
それにしても、一体全体俺に何の用があるというのか──
「よし新入りぃ、俺様がお前をそこから出してやるよ」
「……今、なんて言いました?」




