49.「圏外と厄日」
【夕張ヒカリ】
「──クソ、クソクソクソが!! 全っ然繋がんねぇじゃねえか櫻子の奴!」
さっきから何回も電話しているのに、一向に繋がらない。やっぱ何かあったのか? そもそも何であんな奴らのとこに……
「なんじゃヒカリ、妙に苛々しおって、カルシウム不足か?」
「櫻子が一人で鴉のとこに行ってんだぞ!? イライラしてんじゃなくてソワソワしてんだよアタシは!! だいたい毎日牛乳飲んでるわ!!」
温泉街の土産屋を出た後、櫻子が急に居なくなったと思えば──
『ちょっと用事を済ませてくるね、後で旅館の前で落ち合おう』
──なんてメールが届いた。
しばらく温泉街をぶらぶらした後、旅館に戻ったらヴィヴィアンを見つけたから、ダメ元で何か知らないか聞いてみた。
『櫻子ならバブルガム達のところに饅頭持って行きおったぞ?……あとたしか、ヒカリちゃん達には内緒でお願いしますね、とも言うておったわ……む、しまった』
その後ヴィヴィアンを問い詰めると、今日アタシ達が茶屋で特訓をサボっている間に、鴉と一悶着あったと教えられた。
一応は丸く収まったらしいけど、可愛くて律儀で義理堅い櫻子は、なんとあいつらにお土産を持って行ったらしい。
アタシだって櫻子からプレゼントなんてもらったことないのに、アタシにくれアタシに!
「──そもそもお前もなんで一人で行かせたんだよ! つーか行き先ぐらいちゃんと聞いとけ!!」
「むう、ぶっちゃけ此方は温泉で休暇を過ごすために来たというのに、昨日、今日とアクシデント続きで疲れておるのじゃ。櫻子も子供ではない故そう過保護になることもあるまい」
「くっそ、メールも返ってこねぇ……ダメだ、探しに行こう」
「此方の話全無視か……まあよい、どうせ探しに行くなら何かトマトジュースのアテとか買ってきてほしんじゃが……」
「うるせぇ自分で買いに行け!!」
ヴィヴィアンはあてにならないし、とにかく施設内をしらみ潰しに探すしかない。
そもそもトマトジュースのアテってなんだよ。
* * *
櫻子を探し始めてすぐに、成金のペットが脱走したとかいう警報が鳴った。スマホも圏外になるし今日は厄日なのか。
「……辛い、櫻子成分が足りてねぇ」
途方に暮れたアタシは、温泉街から外れた道を歩いていた。施設の利用客が店に避難して、軒並みシャッターも閉まってしまったし、もう他に探す場所がない。
「……ん、こんなとこにも店があったのかよ」
いつの間にか真横に喫茶店のような建物があった。見たところまだシャッターは閉まっていない。とりあえず入るだけ入ってみることにした。
「すみませーん、ちょっと人を探してるんですけど……」
「──むふぅ、お前らばかばか食い過ぎだろー! この饅頭、私ちゃんが貰ったんだぞ!」
「なによ、バブルガムがお饅頭持ってきてくれたって呼びつけたんでしょ!」
「そ、そもそも、櫻子ちゃんも……皆で食べてって、言ってたの」
「お饅頭もいいけど、私は皆を食べたい」
「むはぁ! お前ら裏でこっそりパフェ食ってたの知ってんだからな! てかブラッシュお前饅頭取るどさくさに紛れて胸を触ってんじゃねー!!」
店の扉を開けると、見た事のある奴とその他数人がホールの客席を囲んで騒いでいた。どうやらアタシが店に入って来たことに気づいていないらしい。
「……おい、お前らここで何やってんだ」
「……むふ?」
声をかけると、饅頭の争奪戦がピタリと止んだ。テーブルに座っている五人の視線がアタシに集中する。
「……あわわ、お、お客様、いらっしゃいませ、なの……もぐもぐ」
「あいにくアタシは客じゃねぇし、客だったら饅頭食ってる場合じゃねぇぞ。アタシは櫻子の同級生兼、同僚兼、親友兼、婚約者だ……鴉の魔女がこんなとこで何してるって聞いてんだよ」
こいつらが一心不乱に取り合っている饅頭を見るに、櫻子がここに来たことは間違いない。が、既に姿は無い。
どうやらアタシが探し回っている間にすれ違いになったらしい。それなら旅館に行けばおそらくは落ち合える筈だが、一応こいつらにも確認しておいた方がいいだろう。
「むはぁ、誰かと思えばヒカリンじゃーん! 見ての通り私ちゃん達はカッフェで絶賛仕事中だゼ!!」
バブルガムとかいうデコッパチが饅頭を両手に持ちながらウインクした。ヒカリンってのがもしアタシの事ならぶん殴りたいんだが……とにかく今は我慢だ。
「温泉饅頭の取り合いが仕事たぁ変わった店だな。櫻子はどこいった、ここに来たんだろ?」
「むはぁ、櫻子ちんならさっき帰ったぞー? 鴉に入らないか誘ったんだけどなーフラれちった」
「たりめぇだ! 櫻子が鴉とかいう陰気臭え名前の組織に入るわけねぇだろ!」
「……そこなんだ、そういえばあなた達の組織はなんていう名前なの?」
茶髪の女が妙に馴れ馴れしく話しかけてきた。このチビもしかして前に魔女協会に来てたやつなのか?
「ア、アタシ達の組織か? VCUだよ」
「VCUね……それって何かの略称とか?」
くそ、グイグイくるなこいつ。陰気臭えとか言った手前、うちのバカ丸出しの会社名の説明なんてしたくねえ。
「むはぁ、『Vivian is the cutest in the universe』の略だって言ってたぞ」
「いや知ってんのかよ!」
ヴィヴィアンか、あのバカが言ったのかバカだから。
「『ヴィヴィアンが宇宙一可愛い』……中々ポップな名前なのね、ふふっ」
「す、すごい、ダサ……センセーショナル、なの」
「むはぁ、いけすかなねー奴だけど正直言ってセンスの良さは認めざるを得ねーな!」
これに関してアタシは全く悪くないけど、顔が熱くなってくる。
アタシだって好きでふざけた名前の組織の一員になったわけじゃない。そしてあのデコッパチの感性はもう死んでる。
「……用事は済んだ、邪魔したな!」
アタシは逃げるように店を飛び出した。バカ社長のせいでとんだ赤っ恥だ、後で改名する様に八熊に言ってやる。
──『もう、ヒカリちゃん! もう、ヒカリちゃん! もう、ヒカ……』
店を出てすぐに、ポケットからメールの通知音が鳴り出した。
「ったく、誰だよこんな時にメール連投してきやがって……て、圏外じゃなくなったのか!?」
慌ててメールを確認すると、差出人は櫻子だった。
『ヒカリちゃん、ワニが逃げ出したって聞いたけどそっちは大丈夫?』
『大変、避難し遅れた人を見つけたんだけど怪我してて動けそうにないの! ヒカリちゃん今すぐこっちに来れないかな!?』
『どうしよう今近くにワニがいるみたい、隠れてるから電話出来ないんだけど、メール見てくれてるよね?』
どうやら厄介な事に巻き込まれているらしい。メールに添付されているファイルを開くと位置情報が載っていた。飛ばせばここから数分で着く場所だ。
『了解。今から飛ばして行くから三分待ってろ』
まったく、成金のペットめ、人騒がせが過ぎるだろ。もし櫻子にケガでもさせてたら皮剥いで財布にしてやる。
* * *
──位置情報を辿って着いたのは、倉庫のような場所だった。隠れてるって言うくらいだからもちろん倉庫の中に居るんだろう。
「おい、櫻子いるか? アタシだ」
薄暗い倉庫は静まりかえっていて、声にエコーがかかる。
「……あ、あの、ここ、ここだよ!」
倉庫の奥の方から、幼い声が聞こえてきた。駆け寄って見ると小学生低学年くらいの男の子だった。
「おう、大丈夫か? お前が怪我してんのか?」
「ううん、お姉ちゃんが足を怪我してて、あっちで横になってるの」
子供が指差す方を見ると、壁際の隅で確かに人が横たわっている。
「……おい大丈夫かお前、出血してんのか? それに櫻子は、一緒にいた女はどうした?」
横たわる女は額に汗をかいて辛そうにしていたが、意識はあるみたいだ。
「た、助けに来てくれたんですね、出血はしていません、足を捻ってしまって……櫻子さんなら外の様子を見に行くってさっき……」
「……そうか、素人が下手に動かさねえ方がいいか」
「いえ、私は大丈夫です。ちょっと起き上がりたいんですけど、肩を貸してもらえませんか?」
「……悪くなっても知らねぇからな。ほら、捕まれよ」
アタシは女の側にしゃがみ込んで肩を差し出した。
「っ痛、すみません、三、二、一、で起こしてもらってもいいですか、ちょっと心の準備が」
アタシの肩に腕を回しながら、女がそう言った。こんな状況なんだ、確かに心の準備がいるだろう。
「分かった、じゃあいくぞ、三、二……死ねオラ!!」
アタシは頭を下げて女の腕を肩から外し、そのまま殴り飛ばした。女は悲鳴をあげて倉庫の入り口側へごろごろと転がっていく。
途中、ナイフが女の手から離れてカラカラとどこかへ飛んでいった。
「お、お姉ちゃん!!」
「……ちょっと、怪我人になんてことするんですか、不意打ちなんて卑怯ですよ」
子供が駆け寄って行くと、女はのそのそ立ち上がった。一応加減はしたが普通の人間ならまず立てないはずだ。
つまり、間違いなくこいつは魔女狩りの異端審問官だろう。最悪の状況だ。
「卑怯とかどの口が言ってんだよ、ガキまで使って油断させやがって」
「演技には自信があったんですけどねーどうして分かったんですか?」
「どうしてもこうしてもねぇよ、櫻子がガキと怪我人ほっぽってどっか行くわけねぇだろうが。それに奥から櫻子の匂いがするんだよ」
決定的な要素がもう一つある。血の匂いだ。倉庫に入って来た時は怪我人がいるなら血の匂いがしても不思議には思わなかったが、この女は足を捻っただけだと言った。
女のものでは無い血の匂いに、姿を消した櫻子。バカでも分かる、嫌でも点と点が線になっちまう──
「──てめぇ、櫻子に何しやがった」
「ふふ、愚問ですね。魔女狩りですよ私」
気がついたら身体が勝手に動き出していた。アタシは目の前の女目掛けて飛びかかった。
「てめぇ、殺してやるッ!!」
「あらあら、鼻がきくだけが取り柄の犬魔女かと思えば、まともな赤魔法が使えるんですね」
がむしゃらに殴りかかるも、女は全て紙一重で躱していく。
それどころかアタシの拳を避けながらナイフで斬りつけてくる。こちらの攻撃は躱され、攻撃すればするほど腕が傷だらけになっていく。
「……っクソがぁ!!」
「はいはーい、腕がなます切りになる前に健を斬っちゃいました。これでもう両手は使えませんね」
アタシの腕には何十箇所もの大小様々な切り傷が出来ていた。両腕とも膝から先が殆ど動かせない。
「どんなに怪力を出せる魔法でも、当たらなければ意味ないですよね。あなたは攻撃が直線的過ぎます。そんなんじゃ魔獣は殺せても私は殺せませんよ?」
「……うるせぇよ、腕なんぞ使えなくても蹴り殺してやるから安心しろ」
アタシは両腕をダランと垂らしたまま、短距離走のクラウチングスタートのように姿勢を低くした。
「懲りませんね、脚を切り落としましょうか……後でくっつければいいですし」
女は何処からかナイフをもう一本取り出し、逆手に構えた。得意のカウンターをする気だろう。
一瞬の睨み合いの末、アタシは猛烈な勢いで地面を蹴った。
渾身の蹴りが女の顔面目掛けて飛んでいく。しかし女は蹴りを余裕で躱し、アタシが身体を捩って続けて放った本命の二発目の蹴りをも避けた。
女は待ってましたと言わんばかりに、伸びきったアタシの膝目掛けてナイフを振り下ろした……瞬間──
ボキンッ! と言う痛快な音を立てて、女は猛烈な勢いで倉庫の壁に叩きつけられた。衝撃で壁面のコンクリートが剥がれ、女の上に瓦礫が降り積もっていく。
「おいクソ異端審問官、もう一度聞くぞ。櫻子はどうした」
「……ぁが、ごっほ、は、ははは……あ、なた、何で、腕が治ってるんですかぁ……」
「質問を質問で返すんじゃねぇよタコ、言わねぇなら言うまでボコすだけだぜ」
何とか上手くカウンターが決まった。正直言って実力も踏んできた場数も、おそらくこいつの方が上だろう。
だからこそアタシみたいな若い魔女に油断した。アタシの魔法をありふれた身体強化魔法だと思い込んでくれた。でなきゃさっきの一発は絶対に決まらなかっただろう。
まだ全力は出してないけど、もう一度戦えば次は勝てるかどうか分からない。ギリギリの勝利だった。
「……はぁ、はぁ、櫻子さんは倉庫の奥の、ごほっ、ロッカーに、閉じ込めてます」
アタシの拳は女の脇腹にクリーンヒットしていた。おそらく肋骨も何本かへし折ったはずだ。いくらこいつが格上の魔女でも、回復魔法を使えない限りもう再起不能だろう。
早く櫻子を助け出さないと、どうやら今のところ命に別状は無さそうだが。
「……あいつに手ぇ出してねぇだろうな」
「ふふ、生捕りにするのが、はぁ、仕事ですから……まあ、ちょっとナイフが、刺さったりしてるかも、しれませんけどね」
「……クソ野郎がッ!!」
さっき嗅いだ血の匂いが脳裏をよぎる。アタシは女に背を向けて倉庫の奥へと走り出そうとした。
「……動かないでください!」
背後から女の声、心なしかさっきよりもしっかりした声だ。
振り向いたアタシの目に入ったのは、壁にもたれかかった女が持っていた、小さな機械だった。
「てめぇ、何の真似だそりゃあ」
「ふ、ふふふ、このスイッチ、なんだか分かりますか? 櫻子さんのロッカーに一緒に入れた、爆弾の起爆装置なんです」
嫌な汗が、じわりと全身に滲んだ。展開がかなりまずい方に進んでいるかもしれない。
爆弾のこともそうだが、やはり気のせいではなく女が回復しつつある。さっき一気に方をつけておくべきだった。
「……ハッタリだ、生捕りにするのが仕事なんだろ!」
「それが出来ない状況なら、殺すのが私の仕事ですよ……信じられないなら、今押してみましょうか?」
女は起爆装置を掲げて指をボタンに乗せて見せた。思わず手が前に出そうになる、だめだ、こいつのペースに乗せられたら負ける。
「……命は助けてやる、スイッチ渡せ」
精一杯のハッタリだった。爆弾の信憑性は正直言って薄い。こいつの状態を見るに、おそらく回復するまでの時間稼ぎ。
けど万が一、万が一でも櫻子が死ぬ危険があるならば、アタシが動けるはずがなかった。
「あらあら、まあまあ、逆ですよー立場が。櫻子さんの命は助けてあげますから、大人しく捕まって下さい」
「……クソッタレが」
女は完全に回復した。壁にもたれながらゆっくりと立ち上がり、口元の血を拭えばもう目に見える外傷は殆ど無い。
ヴィヴィアン程じゃ無いにしろ、回復魔法を使う奴を敵に回すとここまで厄介だとは。
アタシは戦闘態勢を解いて、両手をポケットに突っ込んだ。こうなったら従うフリをして、何とか隙を見て起爆装置を奪うしかない。
「了承と受け取りますね……外装骨格展開」
──だけど、どうやら隙なんて見せてくれそうに無い。アタシがそうだったように、こいつもまだ全てのカードを切ってはいなかったらしい。
ヴィヴィアンの黒羽を連想させるような、禍々しい魔法だった。
女の背中から巨大な虫の脚のような物が生えてきた。一、ニ、三……全部で六本、節々にノコギリのような突起が付いた気持ち悪い脚だ。
「……なあ落ち着いて話し合おうぜ、アタシ虫苦手なんだよ」
「ふふ、きっともっと苦手になること請け合いですよー。見た感じ抵抗する気は無さそうですけど、まあ私の気が収まるまでは嬲らせてもらいますね」
もう、ほんと今日は厄日だな──




