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48.「ABCDと目標D」


 【馬場櫻子】


「──今朝は冷えるね」

 

 声に振り向くと、少女が白い息を手に吹きかけながら、部屋に入ってきたところだった。


「あ、やっと戻ってきた。何の騒ぎだったの?」


 わたしはベッドに腰掛けたまま、魔法で暖炉に薪をくべて火をつけた。


「ヴィヴィアンとウィスタリアが喧嘩。あの二人、ほんとに仲が悪くて困っちゃうよね」


 少女は外套がいとうを壁に吊るして、わたしの隣に腰を下ろした。冷え切って赤く染まった少女の指を、わたしは自分の手で包み込んだ。


「そうかな、喧嘩するほど仲がいいっていうけど」


「仲が良くても悪くても、喧嘩の度に城を壊されたらたまらないよ。仲裁する私の身にもなって欲しいな」


 少女は拗ねたような表情でわたしにもたれ掛かり、体をぐいぐい押し付けてくる。


「はいはい、朝からご苦労様です。今温かい紅茶淹れるね」


 わたしがお茶を淹れるために立ち上がると、寄り掛かるものが無くなってバランスを崩した少女が、そのままベットに倒れ込んだ。


「……ねえ、別の方法で温めてくれてもいいんだよ?」


 少女は悪戯っぽさと艶っぽさが混じったような目でわたしを見上げている。


「……ばか、朝から何言ってるの」


 わたしは昨晩のことを思い出して、しばし狼狽する。その拍子に、持っていたティーカップが指から滑り落ちた──



「──おい櫻子、ボーッとしてどうしたんだ、土産は買えたのか?」


「……っへ!?」

 

 ヒカリちゃんの声で、急に現実に引き戻された。目の前には可愛らしい小物や雑貨が並ぶ棚。


 そうだ、わたし達は今お土産を買っていたのだ。わたしはお店に陳列されていたティーカップを手に持ったまま固まっていたらしい。


 最近、白昼夢というか、気がついたらぼうっとしている事がある。我に帰ると大概何を考えていたのか忘れてしまうけど、病院とか行った方がいいのかな。



「……お土産ね、うん、お母さんの分と会社の皆の分、それにハレ君と三龍軒に持っていく分、大丈夫、完璧だよ!」


 わたしは肩にかけた鞄の中身を見ながら再確認した。


「……おい、ハレ君ってだれだ?」


「わたしの友達だけど、なんで?」


 ヒカリちゃんが急に怪訝な顔でわたしの肩を掴んできた。わたしよりも背が低いから、難しい顔で上目遣いなんてしてるとなんだか可愛い。


「さ、櫻子に友達……だと!?」


「え、何その失礼な反応」


 前言撤回、全然可愛くない。冗談じゃなくて本気で驚いているところが悲しいんだけど。


「しかも、君ということは殿方ではありませんの?」


「櫻子も隅に置けないね〜彼氏とはどこまでいったの〜? ABCDで言うとどこまでいったの〜?」


「こらカルタ、人をからかってはいけません! まったく……で、どこまでいったんですか櫻子さん」


 この二日で寝食を共にして、このメンバーとより一層仲良くなって分かった事だけど、皆魔女といえどもやっぱり年頃の女の子のようで、色恋沙汰とかが大好きなのだ。


「もう、ハレ君はただの友達だよ……ていうかDって何」


「そ、そんなこと私の口からはとても説明出来ないな~」


初心うぶな櫻子も可愛いぜ」


 まって、ほんとに気になってきたんだけど……Dって何、なんなの!?



* * *




「……す、すみませーん」


 温泉街の外れにある小さな喫茶店『風見鶏』。傾いた風見鴉が目を引くその店に、わたしは再び訪れていた。


「むはぁ、いらっしゃいませ……って、櫻子ちんじゃーん! どしたの?」


「あの、お仕事中すみません。さっきは色々ありましたけど、わたしにとってはいい経験になったので、お礼にと思って、これを……」


 わたしは温泉街のお土産屋さんでさっき買ったばかりの温泉饅頭を差し出した。


「むっはぁ、まじかー櫻子ちん超いい子じゃーん! さっきはいじめてごめんなー?」  


「いえいえ、ブラッシュさん達の分も入ってるので皆さんで召し上がって下さいね」


 ブラッシュさんとライラックさんには爆発から守ってもらったりしたし、心ばかりのお礼だ。


 本当はもうレイヴンには関わらない方が賢明なんだろうけど、きちんと自分の心に筋を通しておきたかったのだ。


「むはぁ、皆ー! 櫻子ちんがお饅頭くれたよー!」

  

「え、わざわざいいですよ呼ばなくても」


 狼狽するわたしが、止める間もなくカウンターの奥からゾロゾロと魔女が出てきた。全員厨房で何をしていたんだろう。


「お、お饅頭、持ってきてくれたの? 好物、なの」


 先頭にいるのはライラックさん。前髪の隙間から見える表情は微かに微笑んでいるように見えた。そして何故か口元にホイップが付いている。


「お饅頭もいいけど、私は櫻子のほうが食べたいわ」


 次いでブラッシュさん。眠たそうな目で無表情なのに、言っている事がイタリアのナンパ男のようだ。よく見ると彼女は口元にチョコソースが付いている。


「ちょっと、いい加減にしないとまた謹慎くらうわよブラッシュ。ごめんね櫻子ちゃん、うちの女狂い見境がなくて……」


 この人は多分ラテさんだ。魔女協会セラフで会った時はフードを被っていたからあまり顔が見えなかったけど、整った顔立ちに大きな目、すごく可愛い人だった。そしてやはり口元にクッキーの欠片が付いている。


「ブラッシュの気持ちも分からなくも無いけどね、確かに櫻子ちゃんは凄く可愛いし……ああ、もちろん一番はラテだけどね」


 最後に出てきた人は知らない人だ。わたしの名前は誰かから聞いたんだろうか。言っていることはチャラそうだけど、清楚な見た目のせいなのか不思議と誠実な人柄が伝わってくる。


 まあ、当然口元にはいちごソースがついているわけだけど……この人達ホールにバブルガムさん一人残して、厨房でパフェ食べてたよね絶対。


「えっと、初めましてでいいんですよね? 馬場櫻子です」


「おっと、僕とした事がとんだ失礼を……初めまして、ヘザー・カルキュレーションです。以後お見知り置きを」


 ヘザーさんがペコリとお辞儀するので、わたしもつられて、ぎこちないお辞儀を返した。以後があって良いのか正直悩ましいところだけど。

 

「むはぁ、櫻子ちんいい娘だろー? 私ちゃんは是非櫻子ちんにレイヴンに入って欲しいんだけどなー」


「お誘いは有り難いんですけど、私もうヴィヴィアンさんの組織に入ってるんで」


 とりあえず社長の名前を出しておけばバブルガムさんもすっぱり諦めるだろう。社長には頭が上がらないみたいだし。


「むふぅ、まあ考えるだけ考えといてよー。気が変わったらうちはいつでも歓迎だからさ!」

   

「……ええ、まあ考えときます」

    



* * *



──ワニが脱走したとの警報を聞いたのは、温泉街の本道に戻ってすぐだった。


 施設の利用客達は続々と近くの建物に避難していく。ヒカリちゃん達とは旅館の前で落ち合うことになっていたんだけど、困ったことになった。


 とりあえず電話しようとスマートフォンを取り出したけど、画面には圏外の文字。おかしい、山手とはいえ昨日も今朝も普通に使えていたのに、こんな時に限ってついてない。


 そうこうしている間にも、わたしの周りの人はあらかた避難し終わったようで、店のシャッターがガラガラと閉まって行く無機質な音だけが辺りに響いていた。


「……?」 


 無機質な音に紛れて、人の声が聞こえる。子供の声だ、何か叫んでいる……。



「……けて、誰か助けて!」


 わたしは声のする方へ走り出した。ヒカリちゃん達も気になるけど、別にワニと遭遇してどうなるってこともないはずだ。背中に乗ってたし。


 それよりも今は目先の困っている人を助けないと。


「君、大丈夫? どこか怪我したの?」


「あ、あの、向こうでお姉ちゃんが、足を怪我してて……」


助けを求めていたのは小学校低学年くらいの男の子だった。何となくミユちゃんとミクちゃんのことを思い出す。


「分かった、わたしが何とかするね。お姉ちゃんのところまで案内できる?」


「うん、あ、ありがとう。こっちだよ!」


 走り出した男の子の後を追って、わたしは石畳を蹴った。


 しばらく進み、開けた倉庫のような場所で男の子が足を止めた。広い駐車場にフォークリフトやトラックが止まっていて、隅の方に高く積まれた運搬用パレットなどがある。


 おそらくここは入江温泉の施設倉庫だろう。しかし、何故こんな所にお姉ちゃんが居るのだろうか。


「お姉ちゃん、近くで足を怪我しちゃって、何とかここまでは来れたから、あの倉庫で隠れてるの」


「そっか、じゃあ倉庫に急ごう」


 なるほど、確かにワニがうろついている屋外にいるのはとんでもない恐怖だろう。まったく、カノンちゃんのペットときたら人騒がせなんだから。


「お姉ちゃん! 人を連れてきたよ!」


「……! ユウ君、よかった無事で……飛び出して行った時はどうなるかと、お姉ちゃん心配したんだから!」


 倉庫の隅の方、壁に寄りかかって足首を押さえている女の子がいた。暗くてよく見えないけど、わたしと同い年くらいだろうか。


「足、大丈夫ですか? 出血してたりは?」


「いえ、警報に慌てて捻ってしまって……折れてはいないと思うんですけど、一人では立ち上がれそうにないので少し肩を貸して貰えませんか?」


「分かりました、腕を回せますか?」


 わたしは女の子に駆け寄ってしゃがみ込み、自分の肩に腕を回させた。


「じゃあ、立ち上がりますね」


「あ、ちょっと待ってください、痛たた……三、二、一、でお願いします。ちょっと心の準備が……」


 女の子は少し足を動かしただけでも相当痛むようで、笑顔で話しているけど額に汗をかいている。


「分かりました。じゃあ、三、二……」


「……あッ!?」


 膝に力を込めて立ち上がろうとした瞬間、脇腹に激痛が走った。痛いというか、熱いような……まるで熱した鉄を押し付けられたような感覚が脇腹を刺したのだ。


「……え、なに……これ?」


 見ると、わたしの脇腹にナイフが深々と刺さっていた。ナイフの柄を握っているのは、わたしが助け起こそうとしている女の子だ。


……え、なんで?


「……よいしょ、どうでした私の演技。中々のものでしょう、狙って汗をかいたりするの難しいんですよ?」


「……あ、あぅ、うぅ……」


 女の子がわたしの肩から手を外し、スッと立ち上がった。足、怪我してたんじゃなかったの? ていうか、何で刺したの……? まずい、凄く痛くなってきた。


 呼吸する度に脇腹と胸の奥に激痛が走る。わたしはうずくまりながら地面に倒れ込み、苦痛を喉から漏らした。


「痛いですよね、分かります分かります。まあ魔女ならそんな簡単には死にませんよ、たぶん。あとは、腕を失礼……拘束だけさせて貰います」


「……よかった、うまくいきましたね」


「うんうん、全部ユウ君のおかげだね。きちんと魔女を連れて来れて偉い、偉いよぅ」


 何が起こっているのか、全く理解が出来ない、ただただ痛くて、痛くて痛くて、呼吸したらもっと痛くて、息を小刻みに吸ったり吐いたり、呼吸が変なことになっている。


「僕、とりあえず皆さんに連絡しますね。……こちら虎邸とらやしき、目標Dを拘束しました。そちらの状況はどうですか?」


 さっきまで一緒にいた男の子が、まるで別人のように振る舞っている。


 全部、演技だったのだ。怪我をしたのも、助けを求めるフリをしたのも、全部わたしをここに連れてくるための罠だったのだと、痛みに浮かされた脳味噌で理解した。


 けど、今更気付いたところでもう後の祭りだ。既にわたしはどうしようもない状況に陥ってしまっている。


「……たす、けて……ヒカリ、ちゃん」


 恐怖と苦痛で、目から涙がぼろぼろ溢れる。痛い痛い痛い……刺された時は熱かったのに、今はだんだん寒くなってきた。わたしはこのまま死ぬのかな、せっかく皆と仲良くなれたのに……


「お姉さん、目標Cが想定外の動きをしたためロストしたようです」


「あらあら、やっぱり全部はうまくはいかないものね。けどまあ、むしろチャンスかもしれないわよユウ君」


「……チャンスですか?」  


 わたしを刺した少女がゆっくりと近づいてきた。逃げようとしたけど、腕を後ろ手に拘束されているし、そもそも足が竦んで思うように動かせない。


 わたしの真横まできた少女は、しゃがみ込んでわたしの身体をまさぐりはじめた。


「……やめ、て……いや、助けて……ヒカリ、ちゃん」


「はいはい、あんまり動くと傷が広がりますよ……あ、あったあった」


 少女はわたしのポケットからスマートフォンを取り出した。ここは圏外だというのに何をするつもりなのだろうか。


 少女は懐から小型の機械を取り出して何やら操作し始めた。再び機械をしまうと、今度はわたしのスマホを弄り出した。


「ロック掛けてないなんて不用心ですね、悪い人に盗られたら大変ですよ? っと、あらあら凄い着信溜まってる、メールも沢山」


 信じられない、さっきわたしが操作した時は圏外だったのにどうして。


「お姉さん、どうする気なんですか?」


「思いのほかDは簡単に片付いちゃったからね、Cも私達で頂いちゃおうと思って。本命のAは平田さん達に取られちゃったし、これでイーブンかな」


「じゃあこれで丁度三十人目ですね」


「そうそう、一年で魔女を三十人、何とか間に合いそうね。ユウ君、明日からは二人でゆっくりできるわよぅ……て、返信早いわねこの子」


 全くマシにはなっていないけど、段々と痛みに慣れてきて状況が掴めてきた。


 この二人はおそらく魔女狩りの異端審問官、狙いはおそらく合宿に来たわたし達で、他にも仲間がいるらしい。既に他のメンバーも襲われているかも……


 そして最悪なことに、わたしのスマホを使って、多分ヒカリちゃんを誘き出そうとしている。


「まあまあ、大変……もう着きそうだってユウ君。急いで準備しなきゃね。とりあえず貴女には眠っておいて貰うわね」


 少女が片手でわたしの首を鷲掴みにし、持ち上げた。わたしは完全に呼吸を断たれ、脇腹の痛みも忘れてもがいた。


 しかし腕を拘束されたわたしがもがいたところで何の意味もなく、あっという間に意識が遠のいてきた。


「……おやすみなさい、D」


 薄れゆく意識の中で、お土産屋さんで楽しく話していたことを思い出した。


 結局、ABCDのDって、何だったんだろうなぁ──

 




 


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