46.「落雷と愛の鞭」
【馬場櫻子】
「──それでその時バビーがどうしたと思う? なんと此方のせいにしたのじゃ! おかげでその後ウィスタリアと殺し合いじゃ、まあ此方不死じゃけどな!」
「……バビーちゃん、昔は随分可愛らしかったみたいね」
「ぷぷぷ、これは、みんなに……要報告、なの」
延々と続く社長の昔話で、いつのまにか青髪さんと前髪さんがとても親しくなっている。どうやら二人共社長と会うのは初めてらしい。
ちなみに青髪の人がブラッシュ・ファンタドミノで、前髪の人はライラック・ジンラミーというらしい。
もちろん二人ともバブルガムさんと同じく鴉の魔女だ。
「……むむむむはぁ、い、いい加減にしろこのばばぁ!! それ以上余計なこと言うとぶっ殺すぞー!!」
「ばばあー!! ぶっ殺すぞおー!! じゃと……見よ皆の者、これがバビーの反抗期じゃ!!」
「……ふふふ」
「ぷぷぷぷ」
「……あ、あひぃ、ひーっひっひ、あははは!!」
「むっはあ!! 馬鹿にするなヴィヴィアン!! あと櫻子ちん笑いすぎだろー!!」
社長の煽りがレベル高過ぎるのか、それとも緊張が解けたせいでわたしの笑いのレベルが下がったせいなのか、なんだかとてつもなく笑えて仕方がない。
まずい、このままだと笑い過ぎて腹筋が割れるかもしれない。
「あとこんな話もあるぞ、これはまだバビーが鴉に入って間もない頃……」
「……むふぅ、いい加減にしろヴィヴィアン!!」
顔を真っ赤にしたバブルガムさんが激昂し、叫ぶと同時に社長に飛びかかった。
社長が座っていた丸太が……というか、その辺り一帯が吹き飛んだ。
「……なんじゃバブルガム。急に飛びかかってきたら危ないじゃろ」
社長はいつの間にか少し離れた大きな木の枝に腰掛けており、肩で息をしているバブルガムさんに非難の声を飛ばした。
「むはぁ、お前が何でこんなとこに居んのかとか、何でそんなに小さくなってんのかとか、聞きてー事は山ほどあるけど……これ以上余計なこと言われてたまるか! 勝負しろヴィヴィアン、私ちゃんが勝ったら昔話は金輪際禁止だー!」
確かバブルガムさんはわたしを鴉に引き抜きたくて、社長と直談判しにきた筈だったけど……目的から大きく外れてしまっている。
「むう、よう分からんが落ち着け……いくら此方でもバビーと戦うのは流石に気が引けるわ。此方が勝ってもなんの得もないし」
「社長、バブルガムさんさっき社長のことボコボコにしてやるって言ってましたよ。馬の骨がどうとも言ってましたね」
「……ふむ、バビーがそのようなことを?」
「む、むはぁ、櫻子ちん……思ったより性格悪くね!?」
「……ふむ、気は乗らんが久しぶりに愛の鞭をくれてやるかの。ちなみに此方が勝ったら何でも一つ言うことを聞いてもらうから……のう!!」
社長は木の枝に座ったまま、後ろに身体を倒した。もちろん背もたれも何も無いからそのまま頭からくるりと地面に落下するわけだが、空中で黒い翼が広がった。
黒羽だ。翼が広がったのもほんの一瞬、瞬く間に翼がはためき、無数の黒い羽根が矢のようにバブルガムさん目掛けて射出される。
「……っちぃ!!」
バブルガムさんは飛んでくる羽根を凄いスピードで躱すと共に体制を立て直す。
「ほう、避けるのが上手くなったのう……では剣の腕も見てやろう……出でよキャンセレーション!」
地面に降り立った社長が何か唱えると、両手に二振りの剣が現れた。事務所のソファを一刀両断したやつである。
「むはぁ、いつまで私ちゃんより強いと思ってんだ……顕現せよ、スパイト・アンド・マリス!」
向かい合うバブルガムさんも、何か唱えると剣が現れた。社長と同じく二振りの剣だけどデザインが違う。刀身が大きく湾曲した剣と、長方形の出刃包丁のような剣だ。
「一つ聞きたいんじゃが、それってどっちがスパイトでどっちがマリスなんじゃ?」
「むはぁ、死ねえええぇ!!」
バブルガムさんが猛烈な勢いで社長に突進する。直後、金属同士がぶつかり合う音が鼓膜を刺した。
比喩ではなく、目にも止まらない速度で剣と剣がぶつかり合っていた。剣というか、肩から先があまりのスピードでブレて見えない。
一際大きな衝撃音と共に、両者が飛び退くように距離をとった。見たところ二人とも無傷のようだ。
「──ところで勝敗の付け方じゃが、普通にやったら此方不死じゃから絶対負けんし、お主が此方の首を飛ばすか、心臓を穿てば勝ちということにしてやろう」
「むはぁ、お心遣い痛みいるなー! じゃあそっちは私ちゃんに降参って言わせれば勝ちにしてやるよー」
バブルガムさん、物凄くカッコつけて言っているけど、社長に比べるととても平和な提案をしているな。実はちょっとビビってるんじゃないのか。
「……櫻子! 見学もまた勉強の内じゃ、黒羽の使い方をよく見とれ!」
「……社長! さっきから見てるけど、目で追えないです!」
二人の動きは常軌を逸した速さで視線が置いてけぼりになる。これでは見学も何もあったものでは無い。
「魔力を始動して集中すれば見えるじゃろ……おっと!?」
「むはぁ! よそ見してる場合なのかお前!?」
瞬間移動のような速度でバブルガムさんが社長に斬りかかった。わたしは落ち着いて魔力を指導する。
全身に魔力の流れを感じながら、二人に意識を集中させる。
「しばらく見ん間に、なかなかやるようになったのう……!!」
「むはぁ、そういうお前は、しばらく見ねー間に、弱くなったんじゃねーか!?」
──見える。目で追うことも出来なかった二人の動きが、鮮明に見てとれる。
さっきまでは分からなかったが、激しい剣と剣の攻防の間に別の魔法や肉弾戦も交えている。凄まじい技の応酬だ。
「むはぁ……丸焦げにしてやる!!」
バブルガムさんが一瞬姿勢を低くしたかと思うや否や、社長の真上に瞬間移動した。
魔力を始動していても、殆ど見えない速度だった。空中のバブルガムさんがはるか下にいる社長に向かって剣を振り抜いた。
もちろん剣が届く事はないのだが、振り抜くと同時に剣から紫色の巨大な落雷が落ちた。ピシャッー!! と落雷が空気を削り取る音を響かせて地面が吹き飛んだ。
とてつもない轟音と衝撃波に、わたしは思わず尻餅をついた。
砕け飛んだ岩や木片が、散弾のようにへたり込むわたしの眼前に迫る。
魔力の恩恵か、反射神経や動体視力も爆発的に向上しているようだけど、流石に黒羽の発動は間に合いそうにない。
わたしは成す術もなく、数瞬後に訪れる衝撃に備えてただ目を固く閉じた──
「……?」
──しかし、いくら待てども砂粒一つ飛んでこない。わたしは恐る恐る目を開けた。
「……見学中に目を閉じちゃダメでしょ?」
「も、もう少し離れた所で……見た方がいいの」
いつの間にか、わたしの前にはブラッシュさんとライラックさんが立っていた。
どちらの仕業かは分からないけど、どうやら魔法で守ってくれたようだった。
「……あ、ありがとうございます。わざわざすみません」
「……お礼も謝罪もいらないわ。可愛い子を守るのは、当然の事」
「……ま、守ったの、私なの……」
鴉の二人に誘導されて、わたしは少し離れた場所に移動した。
それにしてもさっきの凄まじい魔法、社長は無事だろうか……落雷の被弾地点は粉塵に包まれていて、社長はおろかバブルガムさんの姿も見えない。
「──本来魔女同士の戦闘に不向きな雷魔法で、此方にここまでの傷を負わせるとは天晴れじゃな……クロンダイクの名は伊達ではないか」
社長の声と共に、粉塵が吹き飛んだ。社長が巨大な翼をはためかせて吹き飛ばしたのだ。
遠目から見ても一応五体満足のようだけど、右手が真っ黒に焼け焦げて、黒い煙が立ち上っている。
「むふぅ、今のを素手で防ぐとか……相変わらず馬鹿みてーに頑丈だなー」
「正直言って少し後悔しておる……超痺れるんじゃがこれ、三十秒ほど休憩せんか?」
「むはぁ、三十秒以内にその首飛ばしてやるよー!」
バブルガムさんが再び仕掛ける。社長の腕はまだ回復している様子はない。
二本の剣から繰り出される猛攻、それを社長は左手のみでいなしている。しかし、流石に手数が足りないのか、やや押され気味だ。
どうして社長は黒羽を出さないのか、頑なに左手の剣だけで戦っているけど……もしかして再生と同時には使えないのだろうか。
「むはぁ!!」
優勢のバブルガムさんが、とうとう社長の剣を弾き飛ばした。飛ばされた剣が巨大な岩を砕いて、根元まで深々と突き刺さった。いったい何キロあるんだあの剣……
「いかんいかん、問題発生じゃ! たんま、たんまじゃ!」
「むはぁ、たんま無しだヴィヴィアンー!!」
バブルガムさんを静止するように突き出した社長の左手が宙を舞った。間髪入れずに焼け焦げた右手も切り飛ばされる。次いで、右脚左脚も膝下からスッパリと切り落とされた。
「おい、たんまと言うたじゃろうが! 鼻の頭が痒いのに、これでは掻けんじゃろうがぁ!!」
本気で言っているのか冗談で言っているのか、とても四肢を切断された人のセリフとは思えない。地面に転がってモジモジと動く社長は芋虫のようだった。
「むはぁ、何処が痒いってー? 私ちゃんが代わりに掻いてやるよー」
バブルガムさんがそう言って社長の顔を斬りつけた。いくら不死身だとはいえかなりショッキングな絵面だ。
「おお、治ったわ……では再開じゃな」
芋虫状態のヴィヴィアンさんから、爆発するような勢いで無数の蛸足が四方八方に広がった。
その全てがバブルガムさんを捕らえようと不気味に蠢く。
「……むふぅ、ちょ、待て! たんま……たんまー!」
「くく、たんま無しじゃ!」
数本の触腕を斬り伏せたバブルガムさんだったが、次々襲いくる足にとうとう絡め取られてしまった。一本、二本と、気持ちの悪い蛸足がどんどん巻き付いていき、最終的にバブルガムさんの姿は見えなくなった。
「さて、どうやら此方の勝ちかのう? さっさと降参した方がよいぞー」
背中から生えた蛸足を足代わりにして起き上がったヴィヴィアンさんが、触手玉に向かってそう言った。
あんな状態で声が聞き取れるのだろうか、そもそもバブルガムさんは大丈夫なのか。
「んん、何も聞こえんが……ちゃんと生きておるのかぺっ……」
一瞬のことだった。
バブルガムさんをぐるぐる巻きにしていた触手がバラバラになったと同時に、社長の首がポロリと取れた。
「……むははははぁ! 私ちゃんを油断させる作戦だったんだろうけど、私ちゃんの方が一枚上手だったみたいだなー!」
どうやらバブルガムさんはわざとぐるぐる巻きになっていたらしい。社長を油断させるためとはいえ、アレにわざと捕まるのは凄い勇気だ。
社長が負けたのはちょっと悔しい気もするけれど、別にわたしには何のデメリットも無いし問題ない。
「……おいバブルガムよ、いつまでも笑っておらんで此方の頭と胴をくっつけよ」
今更驚かないけど、社長が当たり前のように頭だけで喋っている。本当に同じ魔女なのかあの人……
「むはぁ、仕方ねーなー……ほれさっさとくっつけ……な、おい! なんだこれ!?」
バブルガムさんが拾い上げた社長の頭が、急に触手になってバブルガムさんに絡み付いた。転がっていた胴体からも触手が生え、バブルガムさんの剣を絡め取る。
「むふぅ!? おいヴィヴィアン、卑怯だぞ! もう首は斬ってんだから私ちゃんの勝ちだろーが!」
「──うむ、首を斬っておればお主の勝ちじゃろうなぁ……斬っておればじゃが」
「むはぁ……お前、いったいどこから……!?」
近くの瓦礫の影から社長が姿を現した。傍らには四肢を切断され、首も飛ばされた胴体が、触手を生やしながらもしっかりと横たわっている。それにバブルガムさんをギチギチに締め上げているのも社長の頭部だったはずだ。
つまり、社長が二人居るということになる。
「お主が斬ったのは此方の首ではなく、右手じゃ」
社長は自分の右手を上げてプラプラと振って見せた。手首から先が無い……と思ったのも束の間。
転がっていた胴体が煙のように社長の右手首に吸い込まれ、みるみる内に手になった。
「……!?」
「此方の黒羽は変幻自在、右手を此方そっくりの人形に変えることも出来るわけじゃ」
「むふぅ、いったいいつの間にすり替わって……」
「──お主の落雷、威力が凄まじいのは認めるが少々隙が大きいからのう」
どうやら落雷によって発生した煙に紛れて自身は身を隠し、右手を使って作った人形が代わりに戦っていたようだ。
黒羽の形や材質を変化させる特訓はずっとやっているけど、極めればあんなめちゃくちゃなことも出来るのか……改めてヴィヴィアン・ハーツという魔女の非凡さを見せつけられた気分だ。
「むはぁ、分かったよー……降参だよもう!」
「ほう、随分とあっさり負けを認めるのじゃなあ」
「むふぅ、お互い手加減してたにせよ、力量の差が分からねーほど私ちゃんはバカじゃねーし……魔女協会で平和ボケしてんのかと思ったけど、400年前より強くなってんじゃねーか」
「ふふん、まだまだ此方も捨てたものではなかろう……どうじゃー櫻子、勉強になったじゃろ!」
バブルガムさんを触手から解放からした社長が、ぴょんぴょん飛び跳ねながらこちらに手を振っている。
確かに魔女協会の元盟主と鴉の現役魔女の戦いなんて滅多にお目にかかれるものじゃあ無いだろう。
自分がとても得難い経験をした事はよく理解している……が、あえて正直な感想を言わせてもらうと──
「──凄すぎて意味が分かりません」




