297.「あの日と嘘つき⑦」
【辰守 晴人】
──過去上映2日目。寝るのが遅くなった割には早朝に目覚めてしまった俺は、まだ日が昇る前に練武場でストレッチをしていた。
さすがに外は冷えるし、皆が起き出すまで部屋に居てもよかったのだが、隣にバンブルビーが寝ている状況というのはどうもまだ落ち着かなかった。
気を抜けば変な気を起こしそうになりかねない。練武場へ来たのは、そういう邪念を取り払う意味でもあったのだ。
「──朝から精が出るのう」
ストレッチを終え、カタストロフで素振りをしていると背後から声を掛けられた。振り返ると、相変わらずよれたジャージ姿の仙女様が……。
「おはようございます西王母様。もしかして起こしてしまいましたか?」
「起こすも何も本座は昨日寝ておらん。追憶の続きが気になって気になって……ハイパー寝不足じゃわ」
くぁ、とあくびをする西王母様は、サンダルをぽいっと脱ぎ散らかしながら練武場へ上がってきた。
「──ふむ、大剣か。剣筋を見たところ、その剣に合っているようには思えぬが」
「恥ずかしながら、剣は殆ど独学みたいなものなんです。子供の頃に習った型で素振りをしたりはするんですけど、確かにしっくりきている感じはしませんね」
「なるほどの。では一つ手本を見せてやるとするか」
西王母さんはそう言うと、流れるような動きで構えをとった。その手に剣は握られていない筈なのに、何故だか俺が持っているカタストロフと同じ剣がダブって見える。
──決して速い動きではなかった。
西王母さんの型は、川の流れのように柔らかく、淀みなく、まるで優雅な舞のようだった。
身の丈程もあるあの大剣を、まったく持て余すことなく完全に武器と化している。俺は目の前の光景に、瞬きすら忘れて見入ってしまった。
「こんなものかのう。どうじゃ? 比較的に簡単な招式をいくつか組んで見せてやったつもりじゃが」
お手本を見せ終えた西王母さんは、いつもの調子に戻ってそう言った。ボサボサの髪もよれたジャージもさっきと変わっていないのに、何故かさっきよりも格好よく見えるから不思議なものだ。
「……西王母様、俺を弟子にして下さい!」
「嫌じゃ。ウルトラめんどくさいし」
「ですよね。まあ冗談半分でした」
つまり半分は本気だったのだがな。弟子にしてくれなんて勢いで言ってしまうくらいに、さっきの西王母様の型には感激したのだ。
「……それにしても、西王母様って闘える方だったんですね。あの過去上映の魔法からして荒事はしないのかと」
「はん、本座も見くびられたもんじゃのう! 言っとくけど本座スーパー強いんじゃからね!? 貴様のとこの盟主も、その昔ボコボコにしてやったことあるんじゃから!!」
「え、アビスさんをですか!?」
「そうアビスさんを! まあ、あの時は同盟を結んでおった他所の門派の高手共が味方に100人くらいおったんじゃが……勝ちは勝ちよな!!」
西王母さんは自分に言い聞かせるようにそう言って高笑いした。
(……なるほど、昨日マリアが言ってた討伐隊って西王母さん達の事だったわけか。いやしかしだな──)
「なんか聞いてると凄い卑怯というか……そもそもなぜそんな事に?」
「貴様のとこの盟主が急に喧嘩ふっかけてきたんじゃ。今はどうか知らんが、あの頃の奴は凶星そのものじゃった。異邦から突然この地に現れ、手当たり次第に虐殺と破壊を尽くした。ここから見渡せる景色も、一度は全部さら地にされたのじゃ」
「そんなことが……」
「うむ。あやつの星を降らせる妖術あるじゃろ。あの強大な力に因んで星天大彗の異名を取っておったんじゃが、当時は奴以外にもちょうど比武のために天下一剣がこの地に訪れておってな、あ奴の助成も大いに助かった。無論本座も活躍しまくったが、最終的には一騎打ちで天下一剣が星天大彗を切り伏せ、見事 調伏せしめたのじゃ」
「じゃあ、もしかしてアビスさんと取り決めを交わしたというのは、ジューダスだったんですか?」
「ほう、何故貴様がその話を……確かにあのシューティングスター女と天下一剣の間で何かしらの約定があったことはたしかじゃ。なにせ決戦の後、天下一剣とシューティングスター女が黒の同盟を立ち上げたのだからな。おそらく命を見逃す代わりに天下一剣の共生主義とやらに協力するとかそんな話じゃろ」
「……そう、ですか。でも、西王母様はそれでよかったんですか? 復讐したいとか……思わなかったんですか?」
「ま、死の応酬が続いても得する事など何も無いからの。悠久を生きる本座としては、あの女をぶち殺してスッキリするより、天下一剣のような侠客の元で更生させてそのうち金でもむしり取ろうと思ったわけじゃ」
カッカッカ、と笑う西王母さんは嘘を言っているようには見えなかった。きっとアビスの手にかかった犠牲者は沢山いただろう……その中には西王母さんの仲間だって居たはずだ。
過去上映の仙術や、さっき見た武術、凄い人だとは思っていたけど、この人の本当の凄さはそんな表面的なものではないのかもしれない──
「──辰守 晴人とか言ったな。せいぜいヘイフォンの世話を焼いてやれ。久方ぶりに会ったがあれは天下一剣への復讐心だけで立っておるように見えた。タオファが生きておった以上はその復讐にも影が射しておる。足元がおぼついてるようには見えん」
言うだけ言って、西王母さんは脱ぎ散らかしたサンダルを履き直して御殿の方へさっさと帰ってしまった。
西王母さんの背中を見送ってから呟いた言葉が、朝焼けの崑崙山脈に溶けて消える。
「ちゃんと支えてみせますよ」
* * *
──再開された過去上映……今俺の目の前に、400年以上前の光景が生々しく存在している。否、生々しい過去の世界に、俺という希薄な存在が紛れている……と言った方が正しいのかもしれない。
「──ほら、早くどうしてこうなったのか説明してよ。怒ったりしないからさ」
「……わ、私は悪くないわよ……」
「それはこっちで判断するから、さっさと喧嘩の経緯を教えなさい」
「ちょ、近いのよ!! っていうかその顔やめて!!」
舞台は旧 鴉城……の裏庭辺り。無惨にも崩壊した城壁の前でウィスタリアさんとヴィヴィアンさんが、1人の美青年にガン詰めされていた。
ちなみにこの美青年は、アビスさんが変身魔法で男に化けているのだ。男の俺から見てもカッコイイ……というか何だか神々しい。ウィスタリアさんも心做しかあの顔面に照れているようにさえ見える。
「くく、ウィスタリアは面食いじゃからのう。おいアイビスや、さっさと女の姿に戻ってやれ。このままではこの女、顔から火を噴くぞ」
「うるさいわよこの自殺女! だいたいコレはあんたのせいで……もう! 今日は人生最悪の日だわ!!」
「ふーん。ウィスタリア、おれ俺に照れてるの? 可愛いところあるんだね。もっと顔をよく見せて欲しいなー」
「〜っ!! だから、やめてってば!!」
ウィスタリアさんをからかうアビスさん。そして、それを少し離れたところから鑑賞する鴉のメンバーと思われる虚ろな影達……その中には、しっかりと形を保ったレイチェルやホアンさんの姿もあった。
レイチェルは、何やら複雑そうな顔で3人の様子を見守っている。
「何ダレイチェル、随分と浮かナイ顔ダナ?」
そばに居たホアンさんが、レイチェルに声をかけた。
「ホアン……私、変な顔してた?」
「眉間にシワ寄せてアイビス達の方を睨んでタヨ」
「うーん、なんか自分でもよく分からないんだけど、アイビス達を見てたら何だかモヤモヤしてきちゃって……何でなんだろう」
「……それはずばり、愛! ダナ!」
「はい出ましたいつものやつ〜……まぁ、別に答えを期待してたわけじゃないけど」
「……? いつものヤツが何カ分からないケド、レイチェルが今モヤモヤしてる原因ハ分かるヨ。それ嫉妬ダヨ」
「は〜? わたしが何に嫉妬するわけ?」
「男に化けたアイビスにウィスタリアが照れテルのトカ、アイビスがウィスタリアに詰め寄ってるのが面白くナイんダヨ」
ホアンさんの言葉を受けたレイチェルは、少し驚いたように目を丸くして、俯いてしまった。
「……わ、わたしが、アイビスのこと好きみたいな言い方じゃん」
「そう言ってるんダヨ」
顔を上げたレイチェルの頬は赤く染まっていた。そして、逃げるようにその場を離れていってしまった。
残されたホアンさんは、レイチェルの背中を静かに見送った。
「──ホアンお姉様、あんな事言ってよかったみょん?」
いつの間に現れたのか、ホアンのそばに現れたのはルクラブだった。こいつは無邪気というかおてんばと言うか……変な言葉使いも含めて、バブルガムに雰囲気が似ている。バブルガムから毒気を抜いたような魔女って感じだ。
「レイチェルは鈍感だカラナ。誰かがハッキリ言わないと100年経っても気づかナイヨ」
「……その100年の間に、ホアンお姉様がレイチェルお姉様をとっちゃえばいいのに。お人好しだみょん〜」
「ナハハ! 惚れた女には幸せになって欲しいカラナ! そして幸せに出来るナラ、その相手は私じゃなくてもイイヨ。それが……」
「愛だみょん!! ホアンお姉様って私たちを毎朝サンドバッグにする事しか頭にないと思ってたみょん! なんか感動したみょん!」
「ナッハッハ! そういえば今朝の鍛錬ガまだダッタヨ! 今日もいっぱい殴らせるヨ! トーラス達は何処ダ〜!?」
「墓穴だったみょんッ!?」
ホアンさんはルクラブの首根っこを鷲掴みにしてその場を立ち去った。その後ろ姿が見えなくなるよりも前に、西王母さんの指パッチンで場面が切り替わった。
「──さて、どうかね櫻子君。体調に問題はないのかね?」
「……あ、はい。デイドリームさん。もう大丈夫です」
「まーた本座の部屋でゲロとか吐いたらタダでは済まさんからのう! 本座スーパーおこなんじゃからのう!」
「……昨日タオファ、いや、櫻子のゲロと母上の貰いゲロを片付けたのは辰守 晴人ですけどね」
「その件の借りは今朝返したからいいんじゃい!!」
──昨日の事もあり、本日一発目の過去上映は櫻子の体調の様子見という事で、テキトーな過去を映す事になった。まあ、テキトーだなんて言っても何百年も前の話だし、俺には全部とんでもない事に思えるんだけど。
ともあれ、櫻子は昨日の晩で吹っ切れたみたいで顔色も凄くいい。きっと西王母さんが心配しているような事にはならないだろう。
(……ていうか、今朝剣を教えてくれたりしたのってゲロ掃除のお礼だったのかよ。だったらもっと図々しく教えてもらえばよかったな)
「……こほん、ちなみに今しがた見た過去のすぐ後に、レイチェル・ポーカーとアイビス・オールドメイドは交際を始めるのだね。さすがにその辺りを見るのは野暮というもの、割愛して過去を先へと進めるのだよ」
様子見は終わり……デイドリームさんの表情がそう言っていた。
「──むはぁ、ホアンのやつが余計なこと言わなかったから、オメーとレイチェルがくっ付いてた世界線もあったんかねー」
バンブルビーの隣に居たバブルガムが、呟くようにそう言った。バンブルビーはほんの一瞬バブルガムに視線をやっただけで、何も答えなかった──




