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29.「半開きとモーニングコール」


 【馬場櫻子】


 ふざけた名前の会社に、窓から出入りする社員。


 突然現れた魔女協会セラフの使者に転移魔法。


 魔女協会の本部に連れてこられたと思ったら、レイヴンに出くわして……。


──人生最高に目まぐるしい日曜日だった。いろいろと衝撃的なことが続け様に起こったせいで、未だに情報と心の整理が追いつかない。


 特に、魔女が『異単為生殖』だとかいう特殊な性質を持っていて、魔女同士でも恋愛が当たり前だという話がわたしを悩ませていた。


 つまり、わたしとヒカリちゃんとの関係にだけれど。


 ヒカリちゃんの気持ちに気づいてからは、ローズさんやマゼンタさんの話もほとんど頭に入ってこなくて、魔女協会セラフからどうやって家まで帰ったかすら、朧げにしか記憶していない。


 転校してからハレ君に続き、ようやく出来た友達がヒカリちゃんだ。ヒカリちゃんのことはもちろん好きだ。可愛くて、格好良くて、たまに破天荒だけど、すごく素直で……。


 けど、ヒカリちゃんがわたしのことを恋愛感情として好きだと分かって、わたしは何というかパニックになってしまった。


 胸の奥のもやもやするようなこの気持ちにつける名前を、わたしはまだ知らない。


 そもそも、わたしはわたしを好きじゃない。愚図で卑屈で卑怯で、こんなわたしが他人に好かれるなんて思っていなかったし、友達が出来ただけでも奇跡だと思った。


 だから、あまりにも真っ直ぐ向けられた好意に、わたしはまだ折り合いをつけられない。


──けど、それでも世界は回っているわけで、わたしは今日もオフィスビルのエレベーターに乗っている。


 あと一分もせずに、またヒカリちゃんと顔を合わせることになるというのに、どんな顔をすればいいのだろうか──

  



* * *




 わたしの心配を嘲笑うかのように、事務所にヒカリちゃんの姿は無かった。というか、熱川あたがわさんとおおとりさんの姿も無かった。


「おはよう馬場櫻子。10分前出勤とは優秀だな」


 事務所にはデスクにもたれかかってタバコを燻らせる八熊やくまさんが一人いるだけだった。


 相変わらず顔色は最悪で、名前もフルネーム呼びだ。そういえばヒカリちゃん達、昨日は若干遅刻気味だったけど、もしかして今日もそのパターンなのだろうか。昨日よりも時間帯が早い分、充分ありえる。


「馬場櫻子、昨日はどうだった。あの三バカと仲良くやれそうか?」


 八熊さんが言う『昨日』とは、わたしたちが魔女協会セラフに連れて行かれたことではなく、本来事務所で行われる筈だった親睦会のことだろう。


 昨日の件は四人で話し合った結果、八熊さんや社長には必要がない限りは黙っておこうということで話がまとまっていたし、なにか適当に答えなければならない。


「まあ、それなりには仲良くなれたと思います。おおとりさんは終始スマホの話しかしてなかったですけど」

「そうか、今日はもう一人バカを紹介しなきゃならんからな。覚悟しておいてくれ」

「は、はあ。分かりました」


 八熊さんは深く吸い込んだ煙を静かに吐き出して、タバコを灰皿に押し付けた。単純な動作なのに何故か目が離せなかった。もしかして八熊さん、顔色さえ良ければ普通にイケメンなのでは……。



* * *


 

 平日の今日、学校があるわたし達は早朝に事務所に集まることになっていた。集合時間は朝の六時半。現在は……六時四十分。

 

「──ご機嫌よう、今朝は随分と冷えますわね」


 一番最初に来たのは、……いや、一番最初に遅刻してきたのは熱川さんだった。例によって窓から登場。エレベーターが泣いてるよ。


「おはよう熱川カノン。遅刻だぞ」

「あら八熊、6時40分ジャストですわ?」


「勝手に10分延長するな。あと八熊さんだ」


 このやりとりも昨日見たばかりだ。もしかして毎回この感じなのだろうか。


「おはよう熱川さん。あの、その制服って……」


 熱川さんは昨日のように私服ではなく学校の制服を着ている。このあと登校するんだから当たり前だけど、わたしが気になったのはその制服がわたしと同じ物だということだった。


「VCUで働くことが決まった時点で、中央区の高校に転校することになっていたんですの。手続きの関係でヒカリとは時期がずれましたけど。カルタも今日付けで転校のはずですの」


 そんな話、ヒカリちゃんからは何も聞いていなかった。しかし、そうなるとうちの学校は、魔女が四人も在籍することになるわけか。


 なんだか凄まじいことになってきた。わたしもその内の一人なわけだし。


「そうだったんだ。じゃあ学校でもよろしくね、熱川さん」

「……本当によろしくする気があるのなら、その他人行儀な呼び方をそろそろ改めてはどうですの?」

「……え、呼び方って?」

「ヒカリのことは名前で呼んでいますのに、わたくしやカルタだけ苗字で呼ばれてますわ」

「そうだよ〜そこはかとなく距離を感じるぞ〜」


 急に割り込んできた声の方を向くと、いつのまにか窓辺に鳳さんがいた。確かに鳳さんもわたしと同じ制服を着ている。


 それにしても、この二人が苗字で呼ばれているのをそんなに気にしていたなんて思いもしなかった。


 ヒカリちゃんは一緒に出かけた時に、向こうから名前で呼んでほしいと言ってきたからそうなったわけだけど、二人はそんなこと知らないのだ。


「その、名前で呼んでも、いいの?」

「当たり前ですわ。私は最初から櫻子のことを名前で呼んでますの」

「私もだよ〜櫻子〜」


 確かに、言われてみればそうだ。でも、初対面でわたしみたいな奴が他人を名前で呼び捨てにするなんて、そもそも選択肢にすら無かった。


 「……じ、じゃあ、カノンちゃん、カルタちゃん、改めてよろしくね」


 名前で呼び合うなんて、こんなのまるで友達みたいではなかろうか、なかろうか! と、照れる気持ちを押し込めて、わたしは二人に挨拶をした。


 二人は満足げに顔を見合わせて微笑んだ。


「おい鳳カルタ、ちょっといい雰囲気に混ざっても遅刻は遅刻だぞ」

「……やっぱりだめか〜」


 鳳さん……いや、カルタちゃん。そんなこと考えてたのか。


「ちょっと櫻子〜そんな目で見ないでよ〜」

「やれやれですわ。カルタ、あなた毎度遅刻して恥ずかしくありませんの? 育ちが知れますわ」

「うん。カノンちゃんも遅れてきたけどね」

「それにしても、ヒカリはまだ来ませんのね。誰か電話でもしてさしあげたらいかがですの?」


 露骨に話を逸らすカノンちゃん。でも確かにヒカリちゃん、もしかしなくてもまだぐっすり寝ている気がするし。


「私は〜ほら、スマホまだ壊れたまんまだから〜」

わたくしはそもそも携帯電話を持っていませんの」


 二人の視線がわたしに向いた。確かにヒカリちゃんの電話番号なら知ってるけど、昨日の今日でかなり気まずい。むこうはどうだかしらないけれど。


「……じゃあ、わたしが電話するね」


 スマートフォンの電話帳を開くと、すぐにヒカリちゃんの名前が出てきた。わたしの電話帳に登録されているのは、お母さんとヒカリちゃんだけだから当然である。


「……」


 耳に当てたスマートフォンから、コール音が繰り返し響く。なんだか妙に緊張してきた。


『……あい、もしもし』


 繋がった。電話の向こうから眠そうなヒカリちゃんの声が聞こえる。案の定寝ていたみたいだ。


「もしもし、ヒカリちゃん?」

『……あい』

「おはよう、今日は朝から事務所に集まるの覚えてる?」

『……あい』


 わたしの声に、しばらく間が空いてから同じ返事ばかり聞こえる。電話を片手にコクコクと意識が途切れそうなヒカリちゃんが脳内で再生される。というか『あい』ってなんだ。


「ほんとに覚えてる? もう集合時間すぎちゃってるよ。わたしの話ちゃんときこえてるの?」

『……んあ、誰?』


 ようやく『あい』以外の返事が返ってきたけど、やっぱり完全に寝ぼけている。カノンちゃんとカルタちゃんは、電話するわたしの様子を見てクスクス笑っている。


 おまけにカノンちゃんが必死に電話しているわたしをスマートフォンで撮影しだした。こんな場面写真におさめてどうしようというのか。


……いや、カノンちゃんスマートフォン持ってるじゃん!?


「もう、ヒカリちゃん! わたしだよ、櫻子ですよ! ちょ、カノンちゃん写真撮らないで……」


 白いギザギザの歯を覗かせながら、ニヤニヤした表情でパシャパシャと写真を撮りまくるカノンちゃん。


 カルタちゃんは止めるどころかアングルがどうとか言って混ざりだした。


『……さくらこ? 櫻子か!?』


 急に耳元で馬鹿に大きな声が響いて、思わずスマートフォンを落としそうになった。どうやらやっと目が覚めたらしい。


『うわ、やべぇ、朝から櫻子のモーニングコールで起きるとかまじ最高すぎる。てか今何時?』

「もう七時前だよヒカリちゃん」

『マジか、五分で着けばギリ間に合うな! 櫻子、起こしてくれてサンキューな!」


 言うだけ言って、ヒカリちゃんは電話を切ってしまった。五分で着こうが五秒で着こうが遅刻なんだけど。そんなことを言う暇もなかった。


「カノンちゃん……スマホ持ってるじゃない」


 わたしはスマートフォンを耳から離して、カノンちゃんをじろっと睨んだ。


わたくしなりに気を利かせてあげたまでですわ。面と向かって気まずくなるのは嫌でしょう?」


 しかし、驚くことにカノンちゃんは、わたしがヒカリちゃんに対して勝手に気まずくなっていることに気づいていたようだ。


 確かに、いきなり本人を目の前にするよりは電話の方が話しやすかったかも知れない。思ったよりも普通に話せたし。

 

「……でも、写真は別に撮らなくても」

「ヒカリならこの写真、お金を払ってでも欲しがりますわね」


 カノンちゃんがさっき撮った画面をわたしにチラつかせた。何やら必死に電話しているわたしが写っている。すごい恥ずかしいんですけど。


「そんな理由で撮ってたの!? ていうか買わないよ誰も」

「わ〜この写真ちょうど櫻子の目が半開きだ〜うける〜」

「ププ、本当ですわ、面白いお顔ですの」

「ちょ、うそ、やめてよ、消してよそんなの〜」


 わたしはカノンちゃんの手からスマートフォンを奪おうとするけど、ひょいひょいと躱されてしまう。 


「ほら、八熊もごらんなさい。この櫻子の顔ったら……」

「……八熊さんな」


 デスクでタバコを吸っていた八熊さんは、なんだかんだで気になるのか、こっちに近づいてきた。


「カノンちゃん、もう、消してよ〜」

「ヒカリにも後で見せてあげなくてはいけませんわ」

「ちょっ、消してって……消せっ!!」


 あまりにも話を聞いてくれないから、つい大声を出してしまった。朝からこんなに叫んだのは生まれて初めてである。


 カノンちゃんの携帯に群がっていた三人は、一瞬ビクッとして『ごめんなさい、反省します』と謝った。


「櫻子、キレたら怖い系の地味子だったんだね〜」

「あら、地味な子は大抵キレたら怖いものですわ」

「俺の周りにもそういう奴がいたっけな」


──ほんとに反省しとんのか、こいつら。





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