288.「城壁と内通者」
【レイチェル・ポーカー】
──いつになく大きな満月が、城を青白く染め上げていた。
わたしはしばらく神秘的な我が家をぼうっと眺めて、再び城壁へ向かって歩き出した。
ひとっ飛びに城壁の上まで登る。腰を下ろして、手に持っていたワインボトルをジロっと睨む。
……やっぱり、呑む気にはなれない。
ため息を吐いてぼんやりと景色を眺める。堀の向こうに広がる丘と、その先の森……街へ続く街道──
どこか懐かしい風の匂いを感じながら、そっと目を閉じた。
「──こんな時間に何してるの?」
どれくらい目を閉じていたんだろう。不意に声を掛けられた。
「……びっくりしたぁ。急に声かけないでよもう」
「あらごめんなさい。私、唐突の魔女で通ってますから」
「……それ、どこで通ってるのよジューダス」
唐突に現れたのはジューダスだった。月明かりに白銀の髪をなびかせる彼女は、神秘的というよりも妖艶で……なんというか、寒気が走るくらい綺麗だった。
「それ、一人で飲んでるの?」
ジューダスがわたしの隣に置いてあったワインを見てそう言った。
「ああこれ、そう。一人で呑もうかなって思って持って来たんだけど……なんかそんな気になれなくてさ」
「そう。じゃあ二人だったらどうかしら?」
「……ま、そうだね。お姉様に誘われたんじゃ、断れないでしょ」
わたしはワインのコルクを引き抜いて、グビっとラッパ飲みにした。一口だけ飲んで、ボトルをジューダスに渡す。
「……グラス持ってきてないの? お行儀悪いんだから」
言いながら、ジューダスもワインボトルを口に添えて流し込んだ。なんだろう、やってる事同じはずなのに妙にお上品に見えちゃうんだよね。ジューダス。
「で、今日はどうしたの?」
「んー、なんだか両親の事を思い出しちゃって……寝付けなくってさ」
「そう。まだ探してるの?」
「見つけるまではね。見つけて、殺すまでは」
わたしが鴉に入ったのは、両親を殺した魔女を見つけて殺す為だ。人間を虐げる魔女を狩っている組織があると、復讐に燃えていたわたしにかつてヴィヴィアンは教えてくれた。
でも、この組織に入って随分と時間が経った今でも両親を殺した魔女の手がかりは掴めていなかった。
時間が経つにつれて、最初は末の妹だったわたしにも妹達が沢山出来た。
セイラムを倒したせいで四大魔女なんて呼ばれるようになって、ロードなんて役職まで付いちゃったりもした。
お迎え係の相手だったバンブルビーは、いつの間にか補佐官になってて、よく笑うようになった。
暖かくて優しい時間の流れに、わたしの傷は癒されてしまいそうになって、そのたびに両親の事を思い出しては罪悪感が襲ってくる。
わたし一人が幸せになっていい筈がない。
お父さんとお母さんの無念を過去にしていい筈がない。
浮ついた心に、ナイフで文字を刻むように言い聞かせた。たまらなく苦しかった。こんなこと、早く終わらせてしまいたい。だからこそ……殺さなければならないのだ。あの日見た金髪の魔女を──
「レイ、また怖い顔になってるわよ。可愛い顔が台無し」
「……ほっといてよ。それに、ジューダスに可愛いとか言われても皮肉にしか聴こえない」
「あら、どうしてそんな事言うのかしらこの子は。いつもはそんなんじゃないでしょ?」
「別にいつもこんなふうだよ……って、ちょっとやめてよジューダス……」
ジューダスは座ったままずりずりと詰め寄ってきて、私を頭を抱き締めるように胸に押し付けた。そのまま髪をぐしゃぐしゃ撫で回されて、まるで犬か何かにでもなった気分だ。今はそういう事されたい気分じゃないのに。
「レイは頑張り屋さんだから、私はいっつも心配。皆に頼られるのはいい事だけど、同じくらい周りを頼ってもいいのよ」
「……そういう訳にはいかないよ。私は今ロードなの……もう末の妹じゃないんだから」
ジューダスの胸の鼓動を聴きながら、わたしはそう言った。今の立場はアイビスが私を信頼してくれた証だ。その期待を裏切るわけにはいかない……アイビスには、絶対にガッカリされたくない。
「末の妹じゃなくなっても、レイはいつまでも私の妹よ。私だけじゃないわ。バンブルビーもホアンも皆もそう……アイビスもね」
「……アイビスは、私が頼っても……その、ガッカリしたりしないかな」
「そんなわけないわ。むしろ大喜びで助けてくれると思うけど」
「ほんとに?」
「ええ。なんなら、レイに助けを求めて欲しくていっつも無理難題を押し付けてるんじゃないかしら」
「ええ〜なにそれ……ぷ、あはは」
わたしが笑い出すと、ジューダスはようやく抱擁から解放してくれた。わたしを見つめるジューダスは優しく微笑んでいて、なんだかお母さんみたいだった。
「レイは笑ってる顔が1番可愛い。ずっとそうしてくれるなら、お姉さんなんだってするんだから……大好きよ。レイチェル」
「……ありがとうね。わたしも大好きだよお姉様〜」
「ちょっとぉ、何だか真剣さを感じないんだけどぉ?」
「そりゃあジューダスが酔ってるからでしょ〜下戸のクセに無理するから」
ジューダスはさっきから顔が真っ赤だ。きっとワインを飲んですぐに酔っ払ってたに違いない。
でなきゃ、さっきの言葉も危うく変な意味に捉えるところだった。
「レイのそういう所、好きだし嫌いだわ」
「思ったこと素直に言うのは悪いことじゃないでしょ。クレームは受け付けません〜」
私はワインを一口飲んで、ボトルをジューダスに渡した。ジューダスもそれを受け取って一口飲むと、少し考え込むように目を伏せた。
「……ジューダス?」
「レイ。ご両親の件だけど、もう忘れるつもりはないの?」
「……え、どういうこと?……そんなの、あるわけないじゃん……」
「そう。分かったわ」
「……?」
ジューダスは、何だか複雑そうに微笑んだ。酔ってるにしても何だか妙だ……もしかして吐きそうとか?
「そろそろ城に戻るわ。レイもちゃんと部屋に戻って寝るのよ」
ジューダスはそう言い残すと、外壁から飛び降りて行ってしまった。
「……ちゃんと帰るよ。残りも呑んだらね」
誰も居なくなった外壁で、わたしは誰にともなくそう呟いた──
* * *
──石造りの廊下を、忍び足で歩く。自分の家だし別に忍ばなくてもいいんだけど、ただ何となくそんな気分だったのだ。
ワインを飲み終えた後、城へ歩きながら何となく視線を上げるとアイビスの私室から光が漏れ出ている事に気がついた。
それが妙に気になって、何をしているのか少し見に行ってみようと思い立ったのだ。
足音を立てないようにゆっくりと慎重に進む。そしてとうとうアイビスの部屋の前に辿りついた。
「──例の件、まだ視えないの?」
扉の向こうから、アイビスの声が漏れ聞こえた。どうやら、誰かに話しかけているらしい。
(……こんな時間に、誰と話してるの?)
「──そんな顔で睨まれても困るのだよ。吾輩とて多忙を極めるなか鴉のメンバーを総当りしているわけで……そもそも、狙った未来が視えるなら苦労はないのだね」
(……この声は、デイドリーム?……未来って、いったいなんの話を──)
アイビスの私室から聞こえてきた声。その主は鴉の相談役、デイドリームだった。よくインチキ臭い占いをしてるけど、今の話はいつもの雰囲気とは違ったように聴こえた。
わたしは音を立てないように、ゆっくりと耳を扉にくっつけた。
「調査を頼んでからもう何年経ったと思ってるの? いくら狙った未来を視れないからって……手がかりくらい掴めるでしょ」
「やれやれ、盟主殿は吾輩の魔法を何だと思っているのやら……吾輩に言わせてもらえば、何年も時間があったのだから盟主殿も自ら調べて然るべきではないのかね?」
「はぁ……頭が痛い……あのね、調べない訳ないでしょ。私だって自分なりにずっと調べてるよ。けど、見当もつかないし、やっぱり半信半疑だよ……鴉に裏切り者がいるなんて」
──自分の耳を疑った。
しかし、今確かにアイビスはハッキリと言ったのだ……
『裏切り者』と──
(……嘘でしょ。ほんと、なんの話してんのよ……)
「いやいや盟主殿。現実逃避はいただけないのだよ。状況証拠を鑑みるに裏切り者がいるのはまず間違いないのだね。セイラム・スキーム討伐の件……あれは鴉に内通者がいないと成り立たない」
「……分かってるよ。だいたい、セイラム本人がポロッと漏らしてたからね。鴉に裏切り者が居るって……まあ、私がレイチェルに化けてる時だったから言っちゃったんだろうけど」
「そのセイラム・スキームはまだ吐かないのかね?」
「もうとっくに諦めたよ。行方を眩ませた魔眼同盟のメンバー……たぶんアイツらが人質の役割になってるんだと思う。どれだけ詰めても情報を出す気配がないから」
「難儀な事であるな。そういえば、噂では七罪源の色欲の魔女はどんなに硬い口も割らせる魔法を使うと聞いたことがあるのだね……実に便利な魔法である」
「……不安定な未来予知の魔法とは違ってね」
「ちょっとちょっとぉ! このデイドリーム・フリーセルちゃんをバカにしないでよねぇー!? こう見えてすんごい危機から何度も世界を救っちゃってるんだから!!」
「キャラ統一しなよ。っていうか……ダメだ、頭痛が限界。もう休むね。呼びつけて悪かったよ」
「おうおう、私とお前の仲じゃねぇか! 水臭いこと言ってんなよな。じゃ、そろそろお暇すんぜぇ〜」
キャラがブレ始めたデイドリームが扉を開けて出てきた。肩で風を切りながら廊下を抜ける彼女を、わたしは天井に張り付いたまま見送った。
すぐに扉の隙間から漏れていた部屋の明かりが消えた。月明かりだけが窓から差し込む廊下に、ふわりと着地する。
薄い光に照らされるアイビスの部屋の扉……わたしはしばらく悩んだ末に、結局おずおずと自分の部屋へ歩き始めた──