285.「怠惰の魔女とチラリズム」
【辰守 晴人】
「──で、どういう事か説明して欲しいんですけど」
俺は自分の頭に回復魔法を使いながら、ソファーでリンゴを丸かじりしているバブルガムにそう言った。殆ど何も知らされないままこんな所に連れてこられて、そのうえバスタブを顔面にくらったのだ。
さすがに言葉に怒気がこもるのを隠しきれなかった。
「むはぁ、そこでのびてるバカは昔レイチェルとジューダスが螺旋監獄にぶち込んだ魔女だ。レイチェルは隠し事の多いやつだったからなー……もしホントに生きてんなら、姉妹の私ちゃん達よりも戦った奴らの方が何か知ってるかもしれねーじゃんね?」
「……さいですか」
……先に説明して欲しかったのは何故俺が扉ごと蹴り飛ばされたのかって方だったけど、バブルガム相手に言っても仕方ないと諦めた。
むしろ、思っていたよりも説得力のある話に感心したくらいだ。
──ワンルームの端に設置されたベッド……その上でぐったりとうつ伏せになる魔女に目をやる。
裸でピクリとも動かない彼女は、スレンダーながらもいいお尻をしていた……じゃなかった。もしかして死んでるんじゃないかと心配になった。
「あの、どうしてあの人あんな事に?」
「オメーにバスタブぶん投げたからだろ。私ちゃんの彼ピッピに手ぇ出すとどうなるか分からせてやったんだ」
「なるほど。実は俺、頭よりも背中の方が痛いんですけどね」
「むはぁ、あのバスタブ……頭から背中まで響いてたのか。とんでもねーやつだな」
俺はわざと大げさにため息を吐いて、自分の背中に腕を伸ばして回復魔法をかける。背骨がぶち折れるかと思ったわ。
「──う、うぅ……」
回復魔法をかけ終わるのと殆ど同時に、ベッドの方からうめき声が聞こえた。見ると、うつ伏せになっていた彼女がのそりと首をもたげた。
身長はスカーレットやイースと同じくらいだろうか、スラリとした色白の手が、力なくベッドを押して上半身を持ち上げる。小さくも大きくもなく、程よい感じの胸が見えそうになるが、長い群青色の髪が身体から垂れて絶妙に隠れている。
(……見、見え……いや、逆にエロいな。チラリズムの神様ありがとう)
「むはぁ、鼻の下伸ばしてんじゃねーこのおバカ」
「ちょ、今度は何ですか!?」
バブルガムは急に視界を塞ぐように目の前に立つと、いそいそと俺の上着のボタンを外し始めた。
そしてあっという間にボタンを外して服を剥ぎ取ると、それをベッドの魔女にぶん投げた。
「……ぶへっ! な、何をする……って、誰だ貴様ら!!」
「むはぁ、いいから服着ろ。オメー今すっぽんぽんだぞ」
「んなっ!?」
俺達を見るなり敵意むき出しだった彼女は、しかし自分の姿を確認するや否や俺の上着にくるまった。
「……この、痴れ者共がぁ……余に何をした!!」
「むはぁ、私ちゃんは何もしてねーけど」
「またすぐそういう嘘をつく……ちなみに自分はどちらかというと被害者側です」
受けたダメージ量でいうと、俺がぶっちぎりで1番だろこれ。この部屋の扉とか備品は壊しても次の週には戻ってるらしいからな。
「ふざけた奴らだ……さっさと出ていけ!!」
「いや、ちょっと待って下さい! 実は今日はお話があってきたんです。まずはそれを聴いてから……」
「礼儀のれの字も知らん奴らと話す事などあるか! この余と話したくばそれなりの品位を持って出直してこい!」
彼女はベッドの上で、そのうえ半裸状態だというのに、妙に威厳のあるオーラを放ちながらそう言った。
なんだろう、魔法云々とかではなくただ単純にこの人そのものから高貴さようなものを感じる。
「むはぁ、どうする晴人? もっかいぶん殴るか?」
「……確認なんですけど、バブルガムって一応貴族なんですよね?」
「むははは! そう! 私ちゃん超貴族だぞ!!」
「……」
一方、バブルガムを見ていると全てが悪い冗談みたいに思えてくる。こいつが螺旋監獄に収監されてないのって、もしかしてとんでもない奇跡なのでは?
ともあれ、この調子ではろくすっぽ話も聴けやしない。今更遅いかもしれないが、出来るだけの事はしなければ。
(でなきゃ、俺に任せてくれたバンブルビーに合わせる顔がないよな)
拳をボキボキ鳴らして肩を回しているバブルガムを背後からそっと持ち上げて、くるりと半回転……壊れた扉の方へ移動させた。
バブルガムはUFOキャッチャーの景品みたいに、プラプラと脚を揺らして螺旋階段と部屋の間の僅かな踊り場に着地する。
「……むへ? なにすんだ晴人」
「いいですかバブルガム。ここはまず末の弟である俺に任せてください。バブルガムの手を煩わせる程のことでもありませんし……ああほら、飴をあげますからちょっと下の階で食べてきたらどうですか?」
「むはぁ! これバンブルビーのお気にのやつじゃーん! 私ちゃんこれだ〜いすき!!」
ズボンのポケットから取り出した飴を見せると、バブルガムはそれをひったくるように奪い取って螺旋階段を駆け下りて行った。
(……あまりにちょろい……心配になるほどに……だがしかし、これで邪魔者は居なくなったぞ)
バブルガムが下の階に行ったのを見送って、俺は改めて背後の彼女に向き直った。姿勢を正して、深々と頭を下げる。
「まずは非礼をお詫びさせていただきます。自分は鴉所属の辰守 晴人です。同僚がご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんでした」
「……あの無礼者はいつもああなのか?」
「いえ、そういうわけでは……たまにマトモになるんですけど」
「なるほどな。タツモリと言ったか、貴様は気に入った。要件くらいは聴いてやろう」
「寛大なお心、ありがとうございます。ええっと、怠惰の魔女 バベリア・ビブリオ・ヴーヴリット・ヴェルボ・バーンさん……って仰ってましたよね?」
バスタブをぶん投げられる寸前……確かに目の前の彼女はそう言っていた。
“怠惰の魔女”……つまり、“色欲”や“傲慢”、“憤怒”と同じく七罪源の魔女の筈だ。
(ラミー様とブラッシュ……それにルーの仲間だった魔女か。ご多分にもれずヤバそうな人ではあるけど、話はマトモに通じそうだな……今のところは)
「──ほう、貴様……余の名を一度で覚えたか。ますます気に入ったぞ。造形も悪くない……こんな所に幽閉されていなければ召し抱えてやったものを」
「それはそれは、もったいないお言葉です」
「ふん。それで、余にいったいどのような理由で会いに来たのだ」
「はい。実は、レイチェル・ポーカーについてお聴きしたい事がありまして」
──途端に空気がピリついた。
いや、空気だけではない。レイチェルの名前を出した瞬間、バベリアの表情も露骨に険しくなった。
「……あの農夫の娘……奴がなんだと言うのだ」
「えっと……それはですね──」
俺は考えた。バブルガムの言葉を素直に信じるなら、バベリアを螺旋監獄にぶち込んだのはジューダスとレイチェル・ポーカーだ。
今バベリアにレイチェルの件を全て素直に話していいのだろうか……というか、そもそもバベリアはどこまで把握しているんだ?
「──実は、レイチェル・ポーカーが行方不明なんです」
咄嗟に出た言葉だったが、考え無しに言った訳ではなかった。
「……知ったことか、余には関係ない」
バベリアは吐き捨てるようにそう言った。確かに聞き間違いはない。つまり彼女はそもそもレイチェルがジューダスの裏切りによって死んだ事を知らないのだ。
もし知っていたならば、「行方不明だと? 奴は死んだ筈ではなかったのか?」というような返事が返ってきたはずだからな。
「レイチェル・ポーカーはかつて貴女と剣を交えたんですよね。何か特殊な魔法とか使っていたりしませんでしたか?」
「話を聴いてやるとは言ったが話をしてやるとは言っていない。そんな事をしてやって余になんの得がある」
バベリアは訝るような視線を向けてそう言った。バブルガムと違ってちょろくないにも程があるぞ。
「……まあそうですよね。ときにバベリア様、お腹空いてたりしませんか? 実は俺、料理には自信があってですね」
「毒味も無しに他人の作った料理など食うわけがないだろうが。次にくだらん事をぬかせばその舌を引き抜くぞ」
「……すみませんでした」
(くそ、なんだコイツ。普通に恐いじゃねぇかよ。たぶん上着返してとか言えるタイミングずっとないぞこれ)
バベリアの事はよく知らないが、七罪源のメンバーで、こいつを捕縛に向かったのが四大魔女のレイチェル・ポーカーとジューダス・メモリー……この情報だけでかなりおっかないのである。
さらに、螺旋監獄に収監されている魔女は魔法を使えないにも関わらず、こいつはさっきバスタブを軽々とぶん投げた。
つまり、素で馬鹿力だということ……だから彼女
を怒らせてはいけない。こわいもん。
(……けど、「くだらん事」じゃなけりゃ聞く耳もあるってことだよな……)
「バベリア様は、他の七罪源のメンバーが今どうなっているかご存知ですか?」
「ふん、知っている。余の次にラミーが、そしてイー・ルー、レヴィ、ブラッシュも貴様らに敗れて螺旋監獄に……残っているのはエキドナとグリンダだろう」
「なるほど、少々情報が旧いようですね。最新のものをお伝えしても?」
「……言ってみろ」
「まず、ラミー様とブラッシュは現在 鴉のメンバーになっています。引受人は黒鉄の魔女 バンブルビー・セブンブリッジです」
「……なんだと!? あヤツら、裏切ったのか……ッ!!」
「……そして、イー・ルーは、自分が引受人となりつい最近出所しました。今は無所属です」
「……貴様が、イー・ルーを?……レヴィとグリンダはどうなった」
「レヴィは未だここに服役中、グリンダは七罪源を抜けて今は人間の男性と暮らしているみたいです。近々結婚するんだとか──」
(……ちなみにその相手、俺の親父なんだけどな)
「最後に、エキドナは現在魔女狩りに与しているようで、詳しい事は自分にも分かりません……自分の知りうる限りでは、ざっとこんな所でしょうか」
ベッドの上のバベリアは、俺の上着をぎゅっと握り締めて、肩をわなわなと震わせていた。
どうやら七罪源の中でも真っ先に螺旋監獄にぶち込まれたみたいだし、色々と思うことがあるのだろう……というか、ブチ切れだよな。ブラッシュとラミー様 鴉に入っちゃってるし。
「……七罪源は、フランス制服という目的の為に一時的に結成した組織だ」
いつ爆発するかとヒヤヒヤしながら見守っていると、バベリアはえらく落ち着き払った声で何やら話し始めた。
「当時はあちらこちらで魔女が徒党を組んでは殺し合いをしていた。もちろん我々も例外では無い。そして敵無しの強さだった……ジューダスが、鴉が現れるまでは……」
バベリアの言葉を聞いて、500年前に思いを巡らせた。ラミー様やイー・ルー、そしてブラッシュ……確かに個人個人が卓越した強さを持っている。
それが7人も集まれば、フランス制服という言葉は一切陳腐に聞こえたりしない。実際出来たのかもしれない。鴉さえいなければ。
「我々に仲間意識などハナから無い……それは分かっていた。だから余がここに幽閉された時も、助けなど期待はしていなかった。結果、500年経ってもここに居るが、それに怒りはない」
俯いたまま淡々と語るバベリア……表情は見えないが、その姿はどこか寂しそうに感じた。
「──だがな、この余にも看過できぬ事がある……崇高な種族である魔女が、人間如きの組織に与するなど裏切り以上の下劣な行為だ!!」
(……キレるポイントそこなんだ)
「おいタツモリ。貴様イー・ルーの引受人になったと言ったな」
「え、はい。言いましたけど」
「ならば余の引受人になれ」
「……ごめんなさい。なぜそんなことに?」
何言ってんだこの人。ならばの使い方知らないんじゃないのか……というか──
「だいたいですね、無礼を承知で言わせて貰いますがそんな事をして俺に何の得があるんですか?」
さっき言われたセリフをそのまま返してやった。いつまでも下手に出てると思ったら大間違いだぞこいつめ。
「──レイチェル・ポーカーの秘密を教えてやる」
「……なんですって?」
「貴様はあの農夫の娘の事を知りたいのだろう。行方不明だとか言っていたが、実際のところは生死不明……なのではないか?」
「……!!」
「キヒヒ、やはりな」
「何を知っているんですか!?」
「それを言っては取引にならんだろう。余の望みは釈放、貴様の望みはレイチェル・ポーカーの情報……双方に利のある話だと思わんか?」
本人はもう既にいないが、バブルガムの読みは正しかった。バベリアは明らかに俺たちが知りたい情報を握っていると見て間違いない。
だが、それを知るためにはこの危ない魔女を釈放……それも俺が引受人にならなければならない。いったいどうすればいいんだ──
「何を迷うことがある。貴様は情報を得られるうえに、この余の引受人になれるのだぞ?」
「その後半部分で大いに悩んでるんですけどね」
「余は気の長い方ではない。早急に答えを出せ。さもなくば去れ。さあ決めろ! 今決めろ!」
「……うぐ!」
バベリアはベッドから降りて俺に詰め寄りながらそう言った。まだ濡れた髪とかシャンプーの香りが大変セクスィーで……じゃなかった、圧が凄い。
(……ええい、ままよ!)
「わ、分かりました。俺が引受人になります。だから、レイチェルの話を聞かせて下さい」
「いいだろう。では教えてやる……レイチェル・ポーカーは生きている」
それは俺とバンブルビーが最も知りたいポイント……核心だった。
「あの、その……それはどういう──」
「今のは前払いだ。続きを聴きたくば……分かるな?」
(……ほんとに抜け目ないというか、可愛げのないヤツだな……)
「では、さっさと裁定人の元へ行って出所手続きを進めてこい。残りの刑期は保釈金で埋め合わせると言っておけ」
「え、バベリア様まだ刑期残ってるんですか?」
「ん? ああ、残っていると言っても300年程度だがな」
「……300年」
……ということは、コイツは懲役800年もくらっていた超凶悪魔女ってことではないか。元四大魔女のラムでさえ500年で刑期は終えていたというのに……後出しにしていい情報じゃないだろこれ。
「待っていろよ農夫の娘ぇ……もうすぐ殺しに行ってやるからなぁ……キヒヒヒ」
既に後悔でいっぱいの俺をよそに、バベリアは不気味な笑みを浮かべて目をランランとさせている。
(……エキドナにキレてるんじゃなかったのかよ。滅茶苦茶だなこいつ……やっぱ七罪源の魔女だわ)
結局、上着を返してとは言い出せなかった──




