283.「出歯亀と実演」
【ライラック・ジンラミーもといラミー】
──本に夢中になっているフーを書庫に残して、私とブラッシュは空き部屋に移動した。
「実は私、つい先日辰守君に血を与えて眷属にしちゃったのよね」
「……ほう、ずる賢い奴め。だが……なるほどお前らしい。そっちが本命か」
「ふふ、そうよ。身内に刺される心配が解消出来たのももちろん嬉しいけど……1番はこっち。辰守君とリンク出来るようになれば、辰守君が女の子とイチャつく度にそれを体感できるわけだもの。見逃す手はないわ」
ブラッシュはペロリと舌なめずりをしてそう言った。
魔女と眷属の間には特別な繋がりが2つ出来る。1つは魔女が死ねば道ずれに眷属も死んでしまうというもの。
螺旋監獄から引き取られた私やブラッシュは、引き受け人であるバンブルビーに命を縛られていた。
その為に業腹ながら行動を制限されていた訳だが、今やその命を縛る契約印は腕ともに消え去り、そして駄犬の主人となった事で、絶対的な命の保障を得た。
駄犬を眷属にする利点などそれ以外にありはしない……そう思っていたが、どうやらこの色魔の狙いはむしろ2つ目の方にあったらしい。
2つ目の繋がり……主人の魔女が眷属の体感したものを共有できる“リンク”と呼ばれる能力。
ブラッシュの奴はコレを利用して、言わば究極の“出歯亀”に及ぼうとしている……否、既に及んでいるのだ。
「……今奴らは何を?」
「ふふ、どうして貴女に声をかけたか分からないわけじゃないわよね?」
「愚問だったな。いいだろう、付き合ってやる」
私はソファーに腰掛けて、ゆっくりと目を閉じた。意識を集中して、駄犬とリンクを開始する。
(……ほう、面白いことになっているな──)
リンクするなり、駄犬の五感が自分のものになったような感覚……すぐさま奴が見ている視界が頭に浮かんだ。
今目の前には、頬を染めた黒鉄がベッドに横たわっている。
『……手、握ってほしい……です……』
普段からは想像もつかない黒鉄の態度とセリフに、私は思わず吹き出した。
「……ぷっ、ぷぷぷ!」
「……ふふ」
何を話すでもなく目を閉じソファーに腰掛け、途端に吹き出す2人の魔女。はたから見れば酷く滑稽な様子であろうが、こればかりは仕方がない。
あの黒鉄のこのような姿を拝める機会はそうありはしない。ましてや、こんな特等席でなら尚更だ。笑うなという方が無茶なのだ。
──しかし、その後も駄犬と黒鉄の様子を見ていたが、ずっと笑ってはいられなかった。
リンクの特性上どうしても集中し過ぎると駄犬の感覚がダイレクトに自分と繋がってしまうのだ。
気を抜けば、まるで自分自身が駄犬になって黒鉄を抱いているのかと錯覚しそうになる。
隣のブラッシュはそれこそが目的ゆえに楽しんでいるようだが、流石に私にも最低限の一線はある。
「……それにしても、やけに長いな……もう何度目だ?」
「……はぁ、はぁ……ふふ、もう4回目よ……まだまだ足りないみたい……はぁ、ん……」
「ハァハァするな気持ち悪い……」
などと言いつつ、実際は私もリンクの熱に浮かされていない訳ではなかった。気づけば自然と身体から催淫香が過剰に漏れ出てしまっていて、ブラッシュもそれのせいで余計に興奮している。
というか、寧ろそれを狙って私を誘ったんだろう。どこまでもブレない奴である。
(……しかし、そうか。駄犬も私の眷属……奴からも催淫香は出ているはずだ。黒鉄の異様な乱れようも仕方ないな……本人は知る由も無いだろうが)
結局、切り上げるタイミングを逃したまま時は経ち、駄犬と黒鉄の部屋に乱入者が現れたところで鑑賞は打ち切りになった。
たしかあの女、元 鴉の狂愛の魔女 ホアン・チョンジーと言ったか。間がいいのやら悪いのやら──
「──おぉい! お前らこんなとこで何してやがんだぁ! とっくに飯は出来て……って、マジで何してやがんだお前ら……何だこの匂い」
狂愛が駄犬の部屋に乱入したのと殆ど同時、酒カスが私とブラッシュの部屋に押し入ってきた。
(……やれやれ。お前に関しては完全に間が悪いぞ。青トカゲめ……)
催淫香が充満した部屋で、息を荒くした私と鼻血を垂らしてぐったりしているブラッシュ。酒カスは目を白黒させている。
「……ったく、勘弁しろよ。ブラッシュはともかくラミーまで盛りやがって……ナニしてても勝手だが飯の時間には間に合わせろボケ! 俺様が作った飯が冷めちまうだろうが!!」
「な、おい待て酒カス! 妙な勘違いをするな! 盛っているのは駄犬と黒鉄で……」
言ってから、失言だったと思い至った。しかし、時すでに遅し。
「……ちょっと待て。てめぇ今なんつった」
「ふん、ざまぁないな酒カス。お前の愛しい男は崑崙で黒鉄と不倫旅行を満喫中だぞ」
さすがに出歯亀を言及されるのは体面が悪いので、咄嗟に駄犬の方に注意を向けるように差し向けた。効果は……抜群だった。
「……ば、バンブルビーと……晴人が、不倫だとぉ!?」
酒カスが爆発した。
比喩とかではなく、本当に爆発した。身体から蒼炎を放ち、部屋ごと私とブラッシュは吹き飛んで、目が覚めたのは翌日の朝になってからだった──
──翌朝。
「……なんだ、これはどういう状況だ」
意識が覚醒し、自分の体の主導権がライラックに移っている事を確認した私は、とりあえずライラックを押し退けて表に出た。
私はベッドの上に腰掛けていて、窓辺から差し込む光の角度から察するにまだ朝の早い時間……そんな時間に、駄犬の女どもが私を取り囲んでいた。
「あ、あんたラミーね!? やっと出てきた!」
「……おい、トカゲ共。なぜ隣でブラッシュが寝ている。おぞましい」
ふと隣を見ると、ブラッシュが静かに寝息をたてて眠っていた。何故このようなことに……。
「むはぁ、なんも覚えてねーのか? 昨日イースがおめーらを部屋ごと吹っ飛ばしたんだぞ」
「俺様は悪くねぇ!! 簡単に吹っ飛ぶ部屋とコイツらが悪いんだよ!!」
「このバカは無視するとして、アビスが出てて良かったわよ。あんなの見られたら絶対牢屋行きだけじゃ済まないし……じゃなくてっ! 晴人とバンブルビーが不倫してるってどういうことなの!?」
前のめりになる赤トカゲを見て、ようやく事の概要を理解した。
つまり、コイツらは駄犬とバンブルビーの件を酒カスから聞いてライラックを問い詰めていたわけだ。
「むはぁ、ライラックを詰めても喜ぶだけで全然意味なかったからな。さっさとそのおもしれー話を聞かせちゃってくれよラミー」
「……よかろう。では、エントランスにベッドを運べ」
「え、なんでよ、まだ寝る気!?」
「この狸寝入りをしている馬鹿に協力させて、駄犬と黒鉄の不倫旅行を実演してやろうというのだ。百聞は一見にしかずと言うだろう」
そう言うと、隣で寝ていたブラッシュがパチリと目を開けた。
「……ふふ、バレてたのね。てへぺろ」
「さっさと行くぞ。どうやら時間がない」
「ええ、そうみたいね」
どうやらブラッシュも察しているらしい。たった今、崑崙にいる駄犬達が帰り支度を初めた事を。
(ぷぷぷ……昨日の事を聞かされたトカゲ共と、それをバラされた駄犬共……これは楽しくなりそうだぞ──)
* * *
【辰守 晴人】
──よくない。非常によくない。
俺とバンブルビーの崑崙の一件は皆にモロバレしている。そのうえ、そのやり取りをラミー様とブラッシュが実演していたと言うのだ……3回も。
「……ごめんなさい」
頭を下げてそう言ったのは、バンブルビーだった。汗をダラダラかいて、耳まで真っ赤になっている。
(そうだよな。昨日のアレを晒されたわけだもんな……新手の拷問かよ)
「……色々言いたいことはあるけど、一番何が許せないって、ブラッシュのことよ。何で勝手に契約しちゃったの」
ラミー様の椅子になった俺と、頭を下げたまま動かないバンブルビーを見てスカーレットがそう言った。凍えるような冷たい声音である。
「いや、それはですね……その、成り行きでそうなったと言いますか、不可抗力と言いますか……」
「おい待てスカーレット。何が許せねぇってブラッシュの変態野郎と勝手に契約してた事よりも、バンブルビーとヤっちまいやがった方に決まってんだろうが!」
「そっちも怒ってるわよ。けどそれに関してはもうどうしようもないって言うか、半分諦めてるから……目を離した私が悪いのよきっと。ね、晴人」
「……ひぇ」
目前にしゃがみ込んだスカーレットの目は据わっていた。なんか今日、目にハイライトが足りてない。誰か入れ忘れたんですか。
「それよりも、複数の魔女と契約したって事の方が大問題よ。本来そんな事できっこない筈なのに、安全かどうかも分からないまま3人も……もし誰か1人にでも何かあったら……私……」
「……スカーレット」
スカーレットの言う通りだ。魔女が1人しか眷属を作れないように、眷属もまた主人以外の魔女とは契約なんて出来ない。そうらしいのだ。
なのに俺はどういう訳かフーとラミー様、そしてブラッシュと契約してしまっている。
リンクが使えているからにはもう1つの繋がりだってある筈だ。つまり、道ずれの方……。
最近生きるか死ぬかの闘いを終えたばかりのスカーレットは、その辺に敏感になってしまっているんだろう。
ようは、俺の事を心配して怒ってくれているのだ。何だかんだ言って、やはりスカーレットは心が広くて優しい人なのである。さすが鴉の数少ない良心。
「けどやっぱりムカつくのはムカつく!!」
「……ふべ!!」
勝手にホッコリしていた俺に、スカーレットはおもいっきりビンタして、さっさと踵を返した。振り向き様にはついでとばかりに尻尾でもビンタが飛んできた。
「ぷぷぷ! ざまぁないな駄犬」
鼻血がポタポタ床に落ちるが、ラミー様がゴキゲンな様子で背中に乗っているせいで回復魔法も使えない。その柔らかいお尻の感触がなんともいえず……じゃなかった、さすがにそろそろ下りてほしい。
「よぉし、今度こそ俺様の番だなぁ……晴人てめぇ、覚悟はいいかぁ!?」
「ごごご、ごめんなさいイース!! ちょ、なんで剣を抜くんですか!? イース!? イースさん!?」
「……ちょっと待って。イース、俺が悪かったんだよ。俺が晴人君の優しさにつけ込んだんだ……だから、傷付けるなら晴人君じゃなくて俺の方にしてくれ……頼むよ」
「……バンブルビー」
またしても、バンブルビーがイースの凶行を引き止めた。それも、自分だけが悪者なのだと俺を庇う形で。
「イース。その、ほんとうにすみませんでした……ラミー様達から聴いてるならもう知ってると思いますけど、バンブルビーだけが悪いんじゃないんです。というか、責任はほとんど俺の方にあります……気が済むなら、その剣は俺の方に向けて下さい。お願いします」
俺はイースの顔を見上げながらそう言った。イースは黙りこんでいるが、振り上げた剣を握る拳は力む余りにぶるぶると震えている。
「……はぁ、クソ……」
イースは魔剣を振り上げたまましばらく固まっていたけど、ため息を1つ吐くと腕をゆっくりと下ろした。
そして、そのままさっきのスカーレットみたいに俺の目の前にしゃがみこんだ。
「……別に、今更新しい女が出来たからってキレてんじゃねぇんだよ……ただ、お前の初めては俺様がもらうつもりだったから……このバカ」
常時 音量調節がバグり気味のイースが、いつになく小さな声でそう言った。いじけたような、寂しそうな、何とも言えない表情に何だか見蕩れてしまう。
(……ごめんなさいイース……そもそも、初めての相手はバンブルビーじゃなくてスカーレットなんです……)
とりあえず、喉までせり上がってきたツッコミは一先ず飲み込んだ。いずれは誰かから耳に入る話かもしれないが、それは今ではない。スカーレットもあっちでちょっと気まずそうな顔してるし……。
「この埋め合わせは必ずします。イースのしたいこと、何でもしますから……許してくれますか?」
「…………なら今度、一緒に出かけるぞ。どっか、楽しいとことか連れて行きやがれ」
「はい。よろこんで」
イースは鼻をフン、と鳴らすと立ち上がって剣を鞘に納めた。どうやら斬られたり燃やされたりする事態は回避出来たらしい。
「──むはぁ、やっと私ちゃんの番だなぁ! 私ちゃんこの場の誰よりも傷ついちゃったんだから、皆を代表して慰謝料をがっぽり貰わねーと……」
「さて、黒鉄よ。崑崙くんだりから何の用で帰ってきたんだ?」
「……それが、実は調べたいことがあってね……あの、その前にブラッシュを殴ってもいいかな。スカーレットもイースも俺の事好きなだけ殴っていいから、ちょっと先にブラッシュを殴らせて」
言いながら、バンブルビーの両手には既に黒鉄のガントレットが装着されている。『もう殺してくれ』事件のことと言い、よっぽど殺意がみなぎっているらしい。全然止める気はないから頑張ってほしい。
「好きにしろ。私には関係ないからな」
「ええ、別にいいんじゃない。っていうか、バンブルビーを殴ったりしないわよ」
「今後のことも考えりゃあ半殺し……おう。半殺しだな」
「むはぁ、あの……慰謝料……」
ラミー様、スカーレット、イース、3人とも誰1人ブラッシュを庇おうとはしなかった。これが日頃の行いという奴である。くわばらくわばら……まじで。
「……ふふ、バンブルビーったら物騒ね。けど、怒った顔も素敵だわ」
余裕そうな表情でベッドからぬるりと立ち上がったブラッシュは、バンブルビーの前まで歩み出た。この状況でそこに立つ勇気……それだけは賞賛したい。
「ねぇ、何をそんなに怒ってるの? というか、どれを?」
「全部だよ!!」
キーシャオさんとの修行の成果……それをよく感じられる、見事なフォームのパンチだった──




