278.「崑崙宮と西王母⑧」
【辰守晴人】
崑崙宮 1月2日
──崑崙宮の御殿の裏には大きな練武場があり、まだ日が昇る前からそこに仙女達が整列する。午前中は全員が同じ練武をここで行い、午後は各々が個々人の修行をしたりして自由に過ごすそうだ。
全体で行われる練武は、ゆったりとした動きで型を確かめるものから、激しい組手まで淀みなく続いた。
総勢50人余りからなる彼女たちの動きに乱れは一切なく、それは見る者を圧倒した。
まあ見る者と言っても、俺くらいなんだけど。
「──かわいい〜誰の眷属なの!?」
「──いい身体、ちゃんと鍛えてるのね」
「──もしかしてヘイフォン師姐の旦那様!?」
「──あの、この後一緒に房中術の修行をしませんか〜?」
午前の修練が終わると、崑崙宮の仙女達はいっせいに御殿に戻り湯浴みをし、そして昼食をとる。
まるでスイッチが切り替わったように、彼女たちは賑やかに昼を過ごす。
男で、しかも眷属である俺は、この崑崙宮にとっては珍客中の珍客。格好の興味の的だった。
「あの、ごめんなさい……まだ食べてるんでちょっと離れて貰えると……そんな触っても別にご利益とかないですからね」
男を見たことがないわけでもないだろうに、俺を取囲む仙女達はやたらと身体に触ってくる。俺だって多感なお年頃なのだから正直まんざらでもない、じゃなかった。食事は静かに食べたいものである。
(……それにしてもここの飯、びっくりするほど美味いな。中華屋の方の崑崙宮と遜色ない味だ……いや、そりゃそうか。こっちが本家だもんな)
「ハハハ! ここのメシは美味いダロ! 師匠は武術もスゴイが料理も最高なんダヨ!」
「え、これキーシャオさんが作ってるんですか?」
「イヤ、コレくらいその気になレバ師匠も作れるケドコレはまた別ダヨ。料理を教わりに弟子入りするモノもいるカラナ。きっとソイツラダヨ」
「なるほど……俺も弟子入りしようかな」
「それはとてもイイヨ。師匠は愛のある人ダカラ、何十年デモ何百年デモカケテ修行つけてクレルヨ」
「……もうすぐ結婚を控えているので考え直します」
残念だが弟子入りは難しそうだ。1ヶ月の短期集中コースとかやってくれないのか……未だに不老の時間の感覚に着いて行けない。
「──隣、いいかな?」
「ああ、お疲れ様ですバンブルビー。今終わったんですか?」
「うん。たっぷりしごいて貰ってもうヘトヘトだよ」
昨日に続き、バンブルビーはキーシャオさんにマンツーマンで修行をつけて貰っている。
左腕が戻って戦いやすくなったのかと思ったけど、実際そんな事はないらしく、むしろこれまで何百年もかけて体に染み込んだ隻腕の闘い方や、バランス感覚を矯正しなければならないのが大変なのだとか。
バンブルビーが隣に来ると、俺の周りに群がっていた仙女の皆さんが名残惜しそうに離れていった。ようやく落ち着いて食事にありつけそうである。
「今日も美味しそうなご飯だね」
「たくさん動いた分しっかり食べて下さいね」
隣に座ったバンブルビーは疲労のせいか妙に儚げというか、アンニュイな雰囲気だった。
加えて風呂上がりでまだ少し湿った髪に、ほのかに漂うシャンプーと石鹸の香り……崑崙宮の制服である旗袍は、ボディーラインがこれでもかと強調されている上にスリットまで入っている。
落ち着いて昼食をとれるなんてとんでもなかった。バンブルビーの生足が気になって食事に全然集中出来そうにない。
「──結局、あの酒は何に使えばいいんだろうね」
食事を終えて、箸を置いたバンブルビーがそう言った。
「言われてみればそうですね。結局キーシャオさんは嫌いの一点張りで受け取ってくれませんでしたし……」
「オマエら何バカなコト言ってるヨ。酒なんて呑む以外に使い道ナイダロ」
「いや、まあそうなんだけどさ」
「……案外、普通に呑んじゃっていいんじゃないですか?」
「そうだね、もう呑んじゃおっかな。師匠が嫌いなだけで、崑崙宮がお酒禁止って訳じゃないし」
「ヨシ、それでこそダヨ! おい師妹達、ヘイフォンが皆に酒ヲ振る舞ウと言ってるヨ!!」
ホアンさんがよく通る声でそう言うと、周りで昼食をとっていた仙女達が大騒ぎし始めた。
あれよあれよと酒の話は伝播し、あっという間に崑崙宮中の仙女が食堂に集まった。
中にはまだ風呂に入っていたのか、タオルを身体に巻いただけの状態や、下着姿で駆けつけた仙女もいたりして、たいそう目のやり場に困ったり……。
料理弟子のメンバーなんかは、猛スピードで酒のあてを作って持ってきた。みんな酒に飢えすぎだろ。
「それデハ全員酒持っタヨ!? ヘイフォンの愛二ッ……干杯!!」
「「ヘイフォン師姐の愛に! 干杯〜!!」」
まるで朝の練武のように息の揃った乾杯……いや干杯。全員グラスを真上に傾けて、酒を飲み干すのも同時だった。
あちらこちらで歓喜の声が上がり、おかわりを求める仙女達が、酒の入った大きな壺に群がった。よっぽど美味しいみたいだ。
「ナンダハレト、お前は呑まないノカ?」
「未成年なんで。お茶をいただきますよ」
「ソウカ! ならまた呑める歳にナッタラ一緒に呑むヨ! その時は酒の嗜みカタというのを教えてやるヨ!」
ホアンさんはそう言って、殺到する仙女達に酒を注いだ。
酒番と化したホアンさんのすぐ隣にいる俺とバンブルビーは、酒を求めてやってきた仙女達に次々に絡まれながら時を過ごした。
「──ここでお酒を飲むのなんて久しぶりです。師匠が怖くて誰もお酒なんて持ち込めないですから……ヘイフォン師姐、ありがとうございます! 干杯!」
「──このお酒、持ってくるのに君も協力してくれたんですってね? お茶なんて置いてあっちで一緒に呑みましょうよ〜」
「──ヘイフォン師姐!! 師匠から話を聞いてずっと憧れていました!! 会えて感動です!! 干杯!!」
「──あのぉ、お酒飲まないなら2人で抜け出しませんかぁ〜? わらしの部屋で房中術を〜」
──なにやら崑崙宮の仙女達の憧れの的になっているらしいバンブルビーは、とにかく絡まれる度に干杯していた。
そして俺はというと、お茶を飲んでいる事によっぽど違和感があるのか、やたらと一緒に飲もうと熱烈なお誘いを受けた。
それに混じって、ちょくちょく“ボウチュウジュツ”という聞きなれないモノにも誘われたが「また今度……」とか「時間があれば〜」なんて言って適当に誤魔化した。
酔っ払いに「それなんですか?」なんて言葉は禁句だ。言ったが最後、延々と話を聞かされる羽目になるからな。
そして数時間後……巨大な壺の酒はあっという間に減り、残りは3分の1程になっていた。目測だがあの壺に満タンの酒が入っていたならゆうに200リットルはあっただろう。
つまり、一升瓶でいうならざっくり100本分以上……3分の2を呑んだということは、だいたい50人で一升瓶60本分を呑んだって事になるわけだ。
(……平均すると1人1本分以上呑んでる事になるな。なるほどなるほど、そりゃこうなるわ)
食堂を見渡すと、殆どの仙女達がテーブルに突っ伏したり、床に身体を預けたりして酔い潰れていた。
酒を飲んだことがないからわからんが、そもそもこの酒自体、かなり強いんじゃなかろうか。
「……ウヘヘ、ソレが……愛ダヨ……ウヘ……」
隣りにいたホアンさんもご多分に漏れず、酒を注ぐ柄杓を抱えて眠りこけている。幸せそうな寝顔である。
「……まったく、ホアン……だらしのない奴だな……」
グーグー寝ているホアンさんにそう言ったバンブルビーだが、彼女も意識はあるもののしっかり目が据わっていた。頭がふらふらと揺れているし、もう眠ってしまうのも時間の問題に思える。
「……あの、大丈夫ですか? ていうか、その……胸元が凄いことになってるんですけど……」
大量の酒を飲んで身体が火照ってしまったのか、バンブルビーはいつの間にか首元と胸元の留め紐を外していた。
そのせいで服がはだけて谷間が丸見えになっているのだ。
「……ん〜? あぁ、ほんとだね…………ごめん、ちょっと直してくれないかな……頼むよ、補佐官くん……」
バンブルビーはほんの少しだけ留め紐を右手で止めようと格闘したが、胸に服の生地が引っ張られて全然留められない。
すると、すぐに諦めて俺の方へ上体を差し出してきた。たぶん、左腕がついてること忘れてるなこれ。
「……の、飲みすぎですよバンブルビー……ちゃんと水も飲んで下さいね」
俺は極力胸に手が触れないようにしながら、服の生地を引っ張り合わせて留め紐を留めた。分かっちゃいたけどたいそう立派なものをお持ちである。
(……いかんいかん、これでスカーレットの事を思い出すのはよくないだろ……バカタレ)
つい先日のスカーレットとの一件が頭を過ぎった。俺とスカーレットは交際してるんだからそういう事したって誰に咎められることもないけど、バンブルビーを見てそんな気持ちになるのは話が別だ。ダメに決まってる。
俺は深呼吸して、気を取り直した。
「バンブルビー、水ですよ。飲めますか?」
バンブルビーは視界をふらふらと泳がせて、こくりこくりと頷きながら水を口に含んだ。
普段しっかりしてる人がこういう状態になっているのを見ると、何だかいけないものを見ている気分になる。
「……なんか、今日はもう……疲れちゃった……」
「バンブルビー?」
水を飲んでしばらくぼうっとしていたバンブルビーが、おもむろに呟いてよろよろと立ち上がった。そして、そのままおぼつかない足取りで食堂を出ていこうとした。
「部屋に戻るんですか? そんな状態で歩くと危ないですよ!」
「……ん。大丈夫……これくらい……ッ?」
言ってるしりからバンブルビーは足がもつれてコケそうになった。慌てて抱きとめたから、幸いケガはない。
「……やっぱり飲みすぎですよ。部屋まで送ります」
「あはは……面目無いね……ごめんね」
(……酔った時くらい、こんなお姉さんぶらなくてもいいのにな)
俺は申し訳なさそうに謝るバンブルビーを抱き上げて、食堂を出た──




