275.「崑崙宮と西王母⑤【挿絵あり】」
【バンブルビー・セブンブリッジ】
──辰守君がトレイに行くと言うので、俺も化粧を直すという名分の元、休憩所のベンチで端末を取り出した。
ほとんど作家業の方でしか使わない端末だけど、仕事関係以外の連絡先も入っていない訳ではない。連絡先に登録された数少ない相手の内の一人にメッセージを送った。
……ヴー、ヴー、ヴー──
メッセージを送ってすぐ、着信を知らせる画面とバイブレーション。
端末を耳に当てる──
『──ふふ、もうアドバイスが欲しくなったのかしら。ではまず服を全部脱いで……』
「……切るぞ」
『つれないのね……ただの冗談よ。で、何のご用かしら?』
電話越しに、ペロリと舌なめずりの音が聞こえた。ブラッシュに頼るなんてどうかしてると思うけど、実際今の状況はどうかしてるんだから仕方ない。
「……その、今辰守君とデート……してるんだけど、今から彼の家に行くことになってて……」
「それで?」
「……まあ、確認なんだが……初デートでいきなりっていうのは、可能性としてあるのか?」
「あるわね」
「……ッ!?」
(……そうなのか……薄々そんな気もしてたけど、じゃあ、辰守君……その気なの!?)
「……けど、いくらなんでも早過ぎないか?」
「そんな事ないわ。ちなみに、彼から誘われたのよね?」
「そうだけど」
「だったら決まりね。完全にヤる気満々よ」
「……ま、満々なのか!?」
「仕方ないわよ。美女と見ると直ぐに家に連れ込みたくなるのが男の性だもの」
「そういう、ものか」
「そういうものよ。そういうSAGAだもの」
──確かに、つい先日もスカーレットと辰守君が事に及んでいたばかりだ。辰守君も、やる時はやる男って事なんだ。
「……どうすればいいんだ」
「そうね。まずはジャケットの内ポケットを確認してみて」
「……内ポケット? ん、何か入って……え、コレ……」
……避妊具、俗に言うコンドームが入っていた。
「それさえちゃんとしておけばなんの憂いもないわ。あ、着け方わかる?」
着信終了のボタンに押しまくった。あのやろう……他人事だと思って楽しんでやがる。
「──あれ、バンブルビー?」
端末を睨み付けていると不意に声をかけられて、慌ててコンドームをバッグに押し込んだ。
辰守君は俺の事を探してここへ来た訳ではなさそうだ。たぶん化粧直しに時間がかかると踏んで休憩所の自販機でも見に来たんだろう。
「……そんなことないよ。何か飲み物でも買う?」
「はい。実はずっと緊張してて喉がカラカラで……」
「そうなんだ。じゃあ喉を潤したらそろそろ行こうか……辰守君の家に」
「はい。きっと満足すると思いますよ!」
(……す、凄い自信だな……!?)
* * *
【辰守 晴人】
──バンブルビーは本当にいい人だ。お年賀なんて言いつつ、螺旋監獄から出所したばかりのルー達の事を思って服まで買ってくれた。
龍奈やラムはともかく、ルーはマジで服持ってないからな。幸い龍奈のサイズが合うから借りてるみたいだったけど。やっぱり自分の服があった方がいいに決まってる。
服に和菓子にケーキ……ここまでされたらセイラムタワーの皆も大喜びの大満足間違いなしだ。
俺達の為にここまでしてくれたバンブルビーに何かお返しが出来ないか、そう考えた俺の頭に1つのアイデアが浮かんだ。
「──じゃあ、この部屋で少し待っててもらえますか? 色々と準備してきますので」
まだ誰も使っていない最上階の角部屋にバンブルビーを案内して、そう言った。
バンブルビーは「……分かった、じゃあ俺も準備しとくから」と何だか悩ましい顔でそう言っていたが、きっと気の利いた新年の挨拶でも考えておくって事だろう。
さて、俺の作戦はこうだ。まずバンブルビーをこの部屋に待機させ、俺はお土産をラム達に渡しに行く。
大喜びしたラム達に、お土産は新年の挨拶にやって来たバンブルビーからのお年賀だと伝えて、キチンと挨拶とお礼を言えるようにしておく。
最後はバンブルビーが待機している部屋に行き、挨拶とお礼を済ませたら部屋の鍵をプレゼントしよう。日々 鴉で多忙な生活を強いられているんだから、こういうプライベートを守れる避難場所があれば喜んで貰えるんじゃなかろうか。ずっと、どういう形にせよお礼はしたかったしな。
考えをまとめながら、俺はラム達が居る部屋の扉のロックを解除して中へ入った。両手がお土産で塞がってるから、インターホンまで押す余裕はなかった。
──心臓が跳ねた。
「…………なんだよ、これ」
玄関を開けると、部屋の中が荒らされていた。
いや、荒らされていたなんてもんじゃない。玄関から見える限りの壁には所々穴が空いているし、廊下の扉も跡形もなく消え去っていた。
明らかに異常な光景だった。
(……魔女狩りの仕業か!? なんでここが──)
お土産を放り出して、俺は走った。
(……ッ龍奈は、ラムは、ルーは……ついでに店長は無事なのか!?)
「──皆、無事か!?」
扉のない廊下を抜けて、リビングを目で確認するよりも前に言葉が先行した。
「……!?」
リビングには、床に倒れた女と、それを取り囲むように何人かの人影があった。
……正確には、床に倒れた見知らぬ女を、困った様子で取り囲んでいた龍奈達の姿があった……である。
「は、ハレ!? あんた中国旅行に行ったんじゃなかったの?」
「いや、それが実はちょっと用事が……って、その前にこれはどういうことか説明しろ! 何がどうなってんだよ!」
リビングに倒れた女の周りには龍奈とラム、そしてルーが立っていた。部屋の中もよく見るとあちこちボロボロだ。
「あらあら、そんなに大きな声を出さないでください辰守さん。ユウ君が怯えてますよー」
「……え、姉狐さん!?」
声の方に目をやると、ソファーに腰掛けて幽君を庇うように抱きしめている姉狐さんの姿があった。なんで?
「……えっと、僕から説明するよラインハレト……その、こちらが僕の邪悪なる用心棒のヒルダで……」
ラムがそう言って、床に倒れている女を手で指した。
「……で、あっちが僕の邪悪なるメイド 兼 参謀のジーナだよ」
「はーい。姉狐もといジーナ・ペレストロイカでーす」
ソファーの姉狐がひらひらと手を振った。意味がわからん。
(……つまり、2人ともラムの知り合いってこと?)
「シェリー、こいつらは魔眼同盟のメンバーだ。セイラムが出所してここにいるって嗅ぎ付けてきやがったんだよ」
「なるほど。そういうことか……ていうか、邪悪なるメイドってなに」
ルーが簡潔に説明してくれたおかげで何とか把握は出来たが、完全に受け止めきれていない。あの虎邸の子供はなんなんだよって話である。
「邪悪なるメイドは邪悪なるメイドだよ! ジーナは僕を螺旋監獄から出所させるために色々頑張ってくれてたらしんだよね!」
「頑張りまくったわよほんと。保釈金を稼ぐために色んな国のマフィアとか企業に潜りこんで弱みを握ったり、鴉との交渉材料集めのために魔女狩りに潜入したり……まあ、格好つけて言うとスパイみたいな事してるのかしら。ラムちゃん勝手に出てきちゃったけど」
「『メイドさんは見ちゃった』が現実に!!」
フーとふざけて話していた事が現実になってしまった。まさかほんとうにこのメイドさんがスパイだったとは──
「……あの、ジーナさん? 姉狐さん?」
「お好きな方でどうぞ」
「じゃあ、ジーナさんで……その、幽君はどういうポジションなんですか」
「ユウ君は私の可愛い弟よ。虎邸の家に潜入したら、跡目争いのいざこざで殺されそうになってたから拾ったの。ね、ユウくん〜」
「はい。お姉さん」
ジーナが幽君を抱きしめてそう言った。めちゃくちゃな話だと突っ込みたかったが、よくよく考えると人のことを言える立場ではなかった。
「で、なんで部屋がこんな有様になってるんですか?」
「そこのアホ女が酒飲んで暴れたのよ! 出所祝いだとか言って……ワイン一口飲んだだけなのよ!?」
「……もう酒乱はお腹いっぱいなんだよなぁ」
酒飲んで暴れるとかイースだけで勘弁して欲しい。これあれかな、もしかしてここに住み着く流れかな……ラムはここに住んでるわけだし。
「こっちの話はもう分かったでしょ。アンタは結局何で帰ってきたのよ。用事ってなに?」
「ああ、実は時間が余ったからちょっとモールでお年賀を調達してたんだよ。ちょっと待ってろ、玄関に放り投げてきちまった」
荒れ果てた部屋の中で、幸いにも無事だったテーブルにお年賀を並べた。放り投げたけど奇跡的にケーキは無事だった。
「ケーキに服にお汁粉? どういう組み合わせよこれ」
「全員に喜ばれそうな物を選んだんだよ。ルーはまだ服とか全然持ってなかったですよね」
「シェリー、アタシの為にプレゼントを買ってきたのか! 今着てもいいかコノヤロウ!?」
「もちろんです……って、ここでは脱がないでください!!」
ルーが着ていた服を目の前で脱ぎ始めた。新年早々ツイてる……じゃなかった。ルーにはもう少し節度をもって欲しいものである。
「なんだシェリー、別にいいだろ。もう裸も見てんだしよ」
ルーが服を抱えて廊下に向かいながらそう言った。とてつもなく危険な置土産を残して。
「……ちょっとハレ。裸って、なによ」
「ラインハレト……そうなの?」
「あらあら、ユウ君はまだ聞いちゃダメよー」
「誤解です。いいですか、ちゃんと説明しますから殴る前に話を聞いて下さい。特に龍奈」
俺は正直にルーの色白で綺麗なお身体を見るに至ってしまった経緯を話した。龍奈も殊勝なことに、途中で殴りかかったりせずに大人しく聞いていた。
「──それ結局ただの覗きじゃないこのバカハレ!!」
「それはそうッ!!」
最後まで話を聞いた龍奈の渾身のボディーブローが刺さった。殴られる順番が変わっただけだった。
「着替えてきたぞシェリー! どうだ、似合ってるか!?」
腹を抱えてうずくまっていると、着替えが完了してご機嫌なルーが廊下からやって来た。
「……おぉ、めちゃくちゃ似合ってます! オーバーサイズがグッドです!」
「ほんとね、バカハレにしてはセンスいい服買ってきたじゃない」
「ククク、馬子にも衣装と言うやつだなぁ。我が邪悪なる同居人よ」
着替えたルーを取り囲んで、皆して褒めちぎった。実際に似合ってるし、ルーがそれだけ嬉しそうだったからだ。
「まあ、服もケーキも買ったの俺じゃないんですけどね。選ぶのは手伝いましたけど」
「え、そうなの?」
「シェリーじゃないなら誰なんだ?」
「バンブルビーです。彼女がここの皆に新年の挨拶をしたいと言ってお年賀買ってきてくれたんですよ」
「ああ、あの片腕の……あいつ、良い奴じゃない」
「黒鉄の魔女か、鴉のヤロウ共は気に食わねぇけど感謝はしておこう」
「彼女か〜ヒルダの件といいやっぱり良い奴だね! 僕 お汁粉大好きだし!」
ラムはさっそくお汁粉のパッケージを開封して調理にかかっている。好きすぎるだろ。
「……ヒルダの件、ってのはなんの事だ?」
「ん? ああ、僕たちとアイビスが昔戦った時にね、バンブルビーはうちのヒルダとやり合ったんだよ。その時勝ったのにヒルダの命を取らなかったから、今でも感謝してるんだ」
「なるほど」
ラムが監獄に入るきっかけになった例の事件の時の話か。大昔の話の筈なのに、なんか続々と当時の当事者が周りに集まってくるな……。
「──バンブルビー……だと……」
不意に呻くような声が聞こえた。それも随分と低い位置……床からである。
声の方に視線を向けると、床に倒れていたヒルダという魔女がゆらりと起き上がったところだった。
「……バンブルビーが居るのか……どこだ」
「えっと、このフロアの1番西の角部屋に」
起き上がったヒルダは、褐色の肌に艶のある黒い髪、額には大きな傷跡のある女だった。
まだ酔っているのか、ふらふらと足下がおぼついていない。
「……バンブルビー……今日こそ、決着を……」
ヒルダは頭痛が酷いのか、頭を抱えながらよろよろと歩く。千鳥足のせいで身体が廊下の壁にぶつかって、ミシミシと嫌な音が響いた。
「ちょっとアンタ! これ以上部屋を壊さないでよね!?」
「ヒルダ、僕お汁粉も食べたいけどケーキも食べたいから、どっちも食べていいよね!?」
「そんな事言ってる場合か! なんかよく分からんが物騒な雰囲気でバンブルビーのとこに行っちまったぞ!」
「ごめん僕今手が離せないからラインハレトが止めてきてよ!」
「だからお汁粉作ってる場合か!!」
ラムはオーブンに餅を突っ込んで鍋でお汁粉をコトコト煮込んでやがるので、龍奈とルーにヘルプを頼むことにした。
「龍奈、ルー! 一緒に来てくれ!」
「ああもう、仕方ないわね!」
「任せろシェリー」
3人でヒルダを追いかけると、ヒルダは既にバンブルビーが待機している部屋の玄関に入っていったところだった。
これはまずいと全力で走り、俺達も玄関を抜けた。すると、ヒルダが廊下の扉の前で魔剣を抜いてふらふらと振り上げていた。
(……うおおぉ、まずい!!)
俺はヒルダを押さえ込もうと腰に組み付いた。しかし、龍奈とルーも同じ事を考えていたのか、3人がかりでヒルダにタックルをぶちかましてしまった。
廊下の扉を盛大にぶち壊しながら、俺たちはリビングの床に倒れ込んだ。
「──辰守君!? どうしたの!?」
別の部屋の扉が勢いよく開く音がして、バンブルビーが慌てて駆け寄ってきた。が──
「……ば、バンブルビー……な、なんて格好してるんですかぁ!!」
「……えっ、いや……だって……準備しておくって言ったし……」
バンブルビーは風呂にでも入っていたのか、裸にバスタオルを巻いただけの状態だった。新年早々ラッキーが過ぎる……じゃなかった、いったい何がどうなってるんだ!
「は、裸で何の準備をしてんのよアンタ!!」
「まさかてめぇコノヤロウ、シェリーをアレしようとしてたのか……あの、アレだぁ!」
「な、誘惑しようとしてたってわけ!?」
「それだぁリュー・ナー!!」
「何で通じるんだよ。というか、バンブルビーに限ってそんな訳ないだろ。きっと汗かいたからシャワーを浴びてたんだよ! ですよね、バンブルビー!」
「……え、ああ……うん。そうだよ……ていうか、それ、俺が買った服──」
バンブルビーは目をグルグルさせて何かボソボソ言っているが、とにかく俺たちはシャワーでスッキリしたバンブルビーの着替えを邪魔してしまったわけだ。
さっさと退散しなければ。
「よし、みんなでこの酔っぱらいをさっさと連れて行くぞ。バンブルビーのご迷惑だ!」
「……うぅ、バンブルビー……」
「……え、ていうかソイツ、ヒルダじゃ……えっ──」
倒れたヒルダを担ぐ前に、とりあえず座らせようと上体を引っ張り起こした。しかし、これが良くなかった。
何が良くなかったかって、この時ヒルダは片手でバンブルビーのバスタオルの裾を掴んでいたのだ。
そうとも知らずに勢いよくヒルダを起こしたことにより、バスタオルがはらりと宙に舞った。
空中でひるがえるタオルの向こうには、バンブルビーの一糸まとわぬ姿があった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!?」
バンブルビーは声も出さずに両手で胸を隠してその場にへたりこんだ。顔が真っ赤で、なんなら半泣きである。
「ご、ごめんなさいごめんなさいありがとうございます……ちがう! バスタオル! バスタオルで隠してください!!」
俺はすぐさまバスタオルを拾い上げてバンブルビーに覆いかぶせた。バンブルビーは相当混乱しているのか、俺の方を見て口をパクパクしている。
「……だ、大丈夫、だから……着替えるから、ちょっと出てて貰えるかな……」
「は、はい。ほんと、すみませんでした!」
俺は今度こそヒルダを担いで部屋から退散しようとした。しかし、その時……。
「……おいリュー・ナー。こりゃあ何だ? 食いもんか? バンブルビーが今手から落としたんだが……」
「はぁ? なにそれ……って……」
龍奈がルーの手の中にある物を見て固まった。俺もである。
「…………バンブルビー、その、なぜコンドームを?」
恐る恐る、バスタオルにくるまったバンブルビーに声を掛けると。しばらく押し黙って、そしてぽつりとつぶやいた。
「……もう、殺してくれ」




